第3話 お店の魔法と小さな依頼人

 ――チリリン!


 店のドアベルが鳴った。


 たまに緊急の依頼が入るが、それ以外は大体閑古鳥が鳴いているこの店の店主は、あまりにも暇すぎて眠気のあまり船をこいでいたところだ。


 OL仕事の後なので、仕事前に栄養剤に似た魔法薬を飲むのが習慣化しているが、暇には勝てなかった。


 とはいえ、流石にドアベルの音を聞き逃すほど深く眠ることは営業時間中まずない。


 慌てて入口を見ると、そこには慶子が立っていた。


「こんばんは。先日はありがとうございました!」


 そう言って深々とお辞儀をする。


「いえいえ、それが仕事なので!」


 恐縮しながら店主であるカスミが答えると、


「それでその……この間はお代金、忘れていたので……おいくらですか……?」


 恐る恐る、慶子が尋ねる。


「当店はニコニコ現金払いのみ、成功報酬でお客様の月収の1%を頂いております」


 報酬は成功報酬で月収の1%――


 魔女協会の定める相場は10%なのを考えると破格と言える。だが、カスミはそもそも協会非所属だ。利益より、助けられる人を見捨てたくない一心でこの値段にした。金持ち相手で利益優先の協会と距離を取る理由の1つでもあり、昼間OLをやっている理由の1つでもある。


「?! それって給与証明書とか取らないとですか??」


「いいえ、自己申告で結構ですよ」


「ええ?! 良かった……。それなら今払えます!!」


 高額請求かもしれない、と怯えていた慶子はほっと胸をなでおろした。助けてもらっておいて対価が払えないのは辛いから。


「ではこちらで。領収書はいりますか?」


 踏み倒されそうに見えるかもしれないが、これが意外と皆きちんと払ってくれる。


 命の対価が収入の1%で済むなら、と喜んで払ってくれる人がほとんどなのだ。まあ勿論渋る人もいない訳では無いが。


 無事会計処理が終わり、また来ます!という慶子を店の入口まで見送った直後。


「うわあああん!」


 突然誰かの泣き声が、店の中に大音量で響き渡った。


「外、かな?」


 カスミが急いで店の外に出ると、そこには小学校に上がるか上がらないかくらいの女の子が独り、店の前で泣き叫んでいた。


「ママああああ!! うわあああん!!」


 泣きじゃくる幼女に、カスミは優しく話しかけた。


「どうしたの? あなたのおなまえは?」


「……あゆか」


「あゆかちゃん、ていうの?素敵なお名前ね!」


「うん」


 そこまで聞いてひとまず彼女を店内に入れ、温かいココアを淹れる。


 あゆかと名乗った幼女が語ったところによると。


 母親と二人で暮らしていて、夕飯を食べている最中に、母親が黒い影に襲われて倒れたのだそうだ。


 黒い影は逃げたが、母親が起きる気配はなく、泣いていたらいつの間にか店の前にいたらしい。


 ――お店の魔法に引き寄せられたのね……!!


 実はこの店に来るパターンは2種類ある。


 1つは、普通に店を訪ねるパターン。


 もう1つは、助けを求める人の願いの力がお店の魔法に引き寄せられて来るパターンだ。


 この子は明らかに後者であろう。


 恐らく魂食みソウルイーターに襲われた母を助けたい一心でこの店に«ばれた»のだ。


「ママを、たすけて……!!」


 ココアで少し落ち着いた目に、再び涙が滲む。


「分かった! お姉さんがママを助けてあげる! お家は、どこかわかる? 住所、覚えてるかな?」


「しらないひとにはおしえちゃだめっていわれてるけど、まよったときやこまったときは、おしえていいってママがいってた!!」


 そう言って教えてくれた住所に、あゆかと二人で向かう。


「うわあー! すごい! はやい!! じめんきれー!」


 空飛ぶほうきに興奮しっぱなしのあゆかに、カスミは注意を促す。


「しっかり捕まっててね!」


 ほうきの周りは乗っている間、乗り手を保護する魔法がかかっているけれど、あまり派手に動かれるとやはり危ないのだ。


 頭上と地上に散りばめられた光の粒の間をすり抜け、街の夜空をかけるほうきは、程なくして目的地にたどり着く。


 小さなアパートの1階の、3号室の前であゆかは止まり、首に下げた鍵でドアを開けた。


 つけっぱなしの部屋の明かりに照らされて、ワンルームの部屋の真ん中に女性が倒れている。


「ママ!!」


 オーラが大分減っており、よくよく見ると今も減り続けている。あゆかには逃げたように見えたろうが、まだ、いる!!


 かなり危ない状況だが、どうやら辛うじて間に合ったようだ。


 今にも泣き出しそうなあゆかに下がるように言うと、持参した道具で手早く母親の周りに魔法陣を描き、その魂に結界を張る。


「お母さんを助けてくるから、待っててね!!」


 そう言い残すと、カスミは呪文を唱え、あゆかの母の魂の在り処へと転移した!


 ――思ったより大きいな……。


 もう既に半分以下になった魂に結界が張られ、再度齧りつこうとしている魂食みの身長は、ざっと見る限り人の2倍くらいはありそうだ。


 負の感情が大きければ大きい程魂食みに狙われやすく、食い尽くされて新たに魂食みになった際の力も強い。


「厄介だなこりゃ……。」


 明日の仕事に障りそう。呑気な発想を慌てて追いやると、攻撃態勢に入る。


 カスミの両手にまばゆい光球が生まれたその時、魂食みがこちらに気づいた!!


 シャァアアアア!!!


 不気味な声とともに黒い衝撃波のようなものをこちらへと放つ。


 くっ!!


 カスミは攻撃用の光球を本体ではなく衝撃波に向けて放ち、威力を相殺すると、再度作り出した光球を本体へと放った!!


 キシャアアア!!


 避けられた!!


 一瞬そう思ったが、よくよく見ると左腕に当たる部分が吹き飛んでいた。


 グォオオオオオオオオ!!


 魂食みは怒りとも悲鳴ともつかない叫びを上げると、こちらに向かって突進してくる。


 スピードはあるが、それ故に小回りが利かないその攻撃をカスミは辛うじてかわすと、突進後の隙を見逃さず、炎弾を呼び出した。


「いっけえええええ!!」


 炎弾は魂食みに見事に命中、動きを止めた!


「滅せよ!!」


 とどめの蒼き炎が魂食みに襲いかかり。


 ――スミコハ…!!オレノ!!オレダケノ!!


 断末魔と共にまたも映像がよぎる。


 母親スミコに一方的な片思いをいだき続けた結果、ストーカーに成り下がった哀れな男の最期だった。


 ――人を助けるたび、背負うものが増えるな……。


 わかっていても苦笑してしまう。けれど、逃げない。目を逸らさない。それが自分で選んだ道だから。


 ◇◇◇◇


 ――ママ!!ママ!!


 この声は……歩歌あゆか


 泣きながら呼ぶ娘の声に我に返ると、そこはいつもの自宅ワンルームだった。


「歩歌?」


「うわああん!! ママ!! よかった!!」


 事態を飲み込めない淑子すみこに、歩歌がたどたどしく説明する。


「たすけてくれたおねえちゃんがね、おきたらこれのんでって!!ぜったいだって!!」


 娘の手にはティーバッグが握られている。知らない人からもらった物は危ないかもしれない、と思ったが、飲まないと歩歌が泣くので恐る恐るお湯を沸かす。


 ティーバッグにお湯を注ぐと、とてもいい香りがした。体が――いや、魂が欲しているかのようだ。


 ひとくち口に含むと、なんとも言い難い味がしたが、不思議と心地よく、飲めば飲むほど体が軽くなるのを感じた。


「お姉さんに、お礼しなきゃね」


 そう言う淑子に、


「おれいはしたよ!! あゆかのたからもの、おねえちゃんにあげたの!!」


「そっか……!! ごめんね歩歌、あんなに大事にしてたのに」


「ううん! ママがげんきになったからいいの!!」


 母親は、健気に笑う娘を、そっと抱きしめた。


 清々しい日々を送れる、そんな予感がした。


 ◇◇◇◇


 ――ちょっと貰いすぎだよなあ


 仕事をしながら、香澄は悩んでいた。


 報酬は1%。そう決めているのに、大切にしていた「宝物」をもらってしまったのだ。


 小学生になりたてくらいならお小遣いもまだの可能性もある。だからお代は受け取らないつもりでいた、のに。


 あゆかがどうしても、というので断るのも逆に悪い気がして、受け取ってしまったのだった。


「上原、寝不足?」


 あくびを噛み殺す香澄を見逃さず、原田が聞いてくる。


「あう。す、すみません」


「まあここのところ少し残業もあったし、仕方ないさ」


 ――それだけじゃないんです、すみません


 と思わず香澄は心の中で謝った。


「ここが踏ん張り時だから。しっかり頼むよ!」


「はい!!」


 時折この優しい上司に、本当のことを打ち明けてしまいたい衝動に駆られることがある。


 しかし。副業禁止のこの会社でそれを言うのは色々まずい。まして内容が内容だけに怪しまれること請け合いだ。それに――


 会社にいる間は、普通に過ごしたいから。


 いつものようにぐっとこらえて仕事に戻る。


 普通のOLの普通の生活が、いつも通りすぎていった。


 そんな香澄のデスクには、可愛らしいテディベアたからものが飾られることになったのだった。

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