第3話   隣の新人はよく飯食う客だった(後)

 時間は少し戻る。

 ザインは無事に、街の外で戦えると――E級冒険者にふさわしいと認められた。訓練用の木剣とはいえ、C級相当の実力を持つグレイが振るったそれを素手で砕いたからだ。どうやら格闘術の心得があるらしい。それだけで戦えることは充分にわかる。試験が即行で終わった理由もそれだった。

 ちなみに、この時、グレイがザインの名前を尋ね、それにザインが答えたあと、グレイの態度が急におかしくなったのだが……いったい、その名にどんな意味があるというのか。

 一方、この話を聞いたクリスは、必ずザインを手に入れてみせると意気込んでいた。

 顔良し、金有り、将来性有りの三拍子揃った超優良物件だからだ。何やら事情を抱えていそうな点はむしろ魅力に感じるらしい。

 他の独身女性職員は、グレイとの関係性がネックで躊躇しているのだが……冒険者登録をした日以来、ザインはグレイと長く話していない。たまに冒険者ギルド本部で会っても、グレイのあいさつに短く応えるくらいだった。

 つまり、グレイがなぜかザインに対してだけは妙に丁寧なのを知っているのは、偶然にも会話を聞いた酒場の唯一の店員であるクリスだけだった。

 これは大きなアドバンテージである。

 つまり大チャンスだ。

 とはいえ、それもこれもまずはザインがクリスを認識しなければ始まらない。

 問題はどうやって接触するかだが――これは考えるまでもなく解決していた。

 ザインは翌日の夕方も酒場にご飯を食べに行ったからだ。

 しかも一人で。

 そう、なんやかんやで邪魔なグレイはこの場にいないのだ。

「いらっしゃいませ、ご注文は何になさいますか?」

「ニューカマー定食で」

「はい、少々お待ちください」

 定型文のやりとりだが、これをこなす前に話しかけるのはあまりにも不自然というものだろう。

 誰にも見せたことのない最高の笑顔で接客するクリス。誰にも見せたことがないのは、これまでに良さそうな新人冒険者がいなかったからだ。

 さて、男女の恋愛関係に発展するか否かはここからなわけだが。

「あの……」

「ん……? 何か? 注文はもうしたが?」

「ああ、いえ、そうではなくてですね、その……昨日、グレイと一緒にいましたよね? あいつろくでもない奴なので、あまり近づかない方がいいですよ」

 何と、クリスはグレイを話しかけるきっかけに使った。確かにグレイは邪魔者だが、ろくでもない奴であることも確かだ。会話のきっかけにはもってこいの材料である。

「ふむ……忠告には感謝するが、奴とは同郷でな。心配は無用だ」

「そうなんですか……? でも、やっぱり心配です。えっと、あたしクリスっていいます。何かあったら言ってください。父がギルド本部の幹部職員なので、力になれると思います」

「そうか……わかった、何か問題が生じれば頼ろう」

「絶対ですよ? いいですか、絶対ですからね?」

「ああ、その時はよろしく頼む」

(よし、今日はこんなところでいいでしょう)

 名前を伝え、いざという時の相談先としてもアピールできただけで、クリスはそれ以上自身を推すのをやめた。一度に全ての手札を切るのは愚の骨頂だからだ。人間関係とは少しずつ育んでいくものであることをクリスは理解していた。

 ザインの名前を訊いていないような気もするが、それは次の時に使う手札なのだろう。素で忘れていたわけではないはずだ、たぶん。

 ちなみに、ザインはこの間、討伐系の依頼をこなしている。皇都周辺は採取系の依頼をこなすには不向きで、さらに街の外から来たばかりでは植生もよくわからず苦労する。それなら、どこにでもいるゴブリンとか、都市にはつきものの大ネズミとかの討伐依頼をこなした方が楽だからだ。

 ただし、依頼料は決して高くない。

 ザインも、最初の依頼達成報告の時は「わかってはいたがこんなものか……」と大銅貨数枚を手にぼやくしかなかった。

 とはいえ、ザインは素手で木剣を砕けるほどに格闘術の心得があるため、武器を使う冒険者に比べれば金銭面は有利だ。

 あくまでも怪我をしなければ、だが、ザインにその心配はないだろう。何しろ実力だけならC級の木剣を砕いたのだから。

 ザインは毎夕酒場でニューカマー定食を食べた。

 さすがに飽きると思うのだが、金を貯める目的があるのだろう。

(皇都でお金が必要なこと……ハッ、もしや皇都に定住を?)

 自分で思いつつ、クリスはあり得ないと切り捨てた

 皇都で家を購入するには最低でも金貨十数枚が必要だ。

 一度の依頼で大銅貨数枚しか手に入らない今のザインに、定住先を考える余裕など、あるはずもない。

(まあ、あたしと、その、結婚、することになっちゃったりとかすればその限りではありませんが!)

 今の段階では、それは定住よりもっとあり得ないはずなのだが、頭の中がピンクになりつつあるクリスは気付いていなかった。

 クリスが再び自身を推したのは、ザインと出会って四日目の夕方のことだった。

「あの……」

「ん……? ああ、クリスか。何か?」

「いえ、その後どうなったかと思いまして」

「今のところ問題はない。グレイとの関わりも極力避けている」

「そうですか、それは良かったです。前も言いましたけど、何かあったら本当に言ってくださいね。あいつ、新人潰しの噂があるので」

「ほう、新人潰し? 俺には気のいい先輩といった感じだったが……」

 それはザインさんにだけです! と叫びたいクリスだが、ここはグッと我慢する。

「名乗り出ている被害者はいませんが、本部内ではかなり信ぴょう性の高い噂です。昨日も本部の職員さんが『グレイと一緒に依頼を請けたはずの新人がまた戻ってこない。なのに、グレイはそんな奴知らないと言っている』って話していましたので」

 ちなみに、この話は本当である。

 本当に昨日酒場に来た職員の一人がそう話していて、クリスも一昨日まで来ていたはずの新人冒険者の姿を昨日から見ていない。

 クリスはその新人冒険者にも同じ忠告をしていたが、どうやら無駄だったようだ。

「なるほど、新人潰しか……」

「本当に気をつけてくださいね? ……あっ、そういえばお名前を訊いていませんでしたね。教えていただけますか?」

「ん? そうだったか。俺はザインザード・ブラッドハイドという。ザインでいい」

「ザインさんですね。改めまして、ギルド直営酒場唯一の店員クリスです。よろしくお願いしますね」

「ああ、こちらこそよろしく。ともかく、情報提供に感謝を。気をつけておこう」

「はい! またのご来店をお待ちしています」

(……どこで区切るんでしょう? ザインさんの名前)

 ようやくザインのフルネームを知ったクリスだったが、ラプラスと同じ疑問を抱いていた。そんなにもわかりづらいのだろうか、ザインの名前は。

(まあ、そのうち訊けばいいですよね)

 実に能天気だが、これをクリスが後悔するのにさほど時間は必要なかった。

 それはザインと出会って六日目の夕方のこと。

「クリス、今少しいいか?」

 最初はザインの方から話しかけてもらえたことに内心ガッツポーズをしていたクリスだったが、続いて言われたことにそのテンションは急落した。

「はい、何でしょうか、ザインさん」

「突然ですまないが、明日、皇都を旅立つことにした」

 この落差である。

 ようやく相手から話しかけてもらえたというのに、その最初の話題が別れあいさつとは……。

 今ならザインがニューカマー定食ばかり注文していた理由がわかることだろう。

 言うまでもなく、旅費を貯めるためだ。

 早々に旅立つつもりなら、確かにより安い食堂を探すより、同じ店に通った方が楽である。その時間も旅費を稼ぐために使えるからだ。

 それからどんなやりとりをしたかほとんど覚えていないほど、クリスの心は突然の別れに激しく動揺していた。

 覚えていたことは、かなり早く旅立つので見送りは要らないということ、特に知り合いもいない土地で親切にしてもらって助かったということ、そして――いつになるかはわからないが必ずまた皇都エミールに来るということだけだった。

 大事なことだけはしっかり覚えていたのは、都合の良い方向に考える性格のおかげかもしれない。

 なお、グレイの件があったからこそライバルがいなかっただけで、ザインが再び皇都を訪れる時には隣に知らない女性がいるかもしれない、ということにクリスが気付いたのは就寝間際のことだった。

 まあ、いろいろ放り出して「ついていかせてください」とすがるわけにもいかず、涙を呑んで見送るしかないのだが。

 次の日の朝早く、ザインは皇都エミールから旅立った。クリスが起きるよりも早く出ていったため、サプライズお見送りなどはない。

 結局、別れのあいさつがぼんやりとした記憶のまま終わり、ため息をつくしかないクリスだった。




 ザインが旅立った日の昼頃、いつものようにクリスが酒場から受付を覗いていると、ギルド本部の方がにわかに騒がしくなった。

 誰もが何事だろうと思ったが、その理由は耳をすますまでもなく聞こえてきた。

 新人潰しのグレイ――ろくでもないあいつが死体で見つかった、と。

 だが、被害者の誰かが復讐したわけではない。あくまで死体の状態からそうとは思えないというだけのようだが。

 死体はスラム街の路地裏に倒れていたが、乾きかけた血だまりの上に綺麗に倒れていて、周囲も荒れていないことから即死だったと考えられる。

 たとえ不意を突いたとしても、C級相当の実力があるグレイを即死させるには、最低でもA級相当の実力が必要だ。

 そして、新人潰しの被害者にそんな実力者はいない。

 しかも、その傷跡が妙なのだ。

 心臓を一突きとか、首を切り裂かれていたとかではなく、股から頭まで一直線に串刺しにされたとしか思えない傷跡。そんなことができるのはいったいどんな化け物なのか。

 クリスは知り合いのA級冒険者ソレイユを思い浮かべたが、彼女でもさすがに無理だろうと結論付けた。ソレイユは冒険者ギルドにおいて最高ランクであるS級に匹敵する実力の持ち主と言われているが、それは戦闘技術の面においてであり、決して人体を縦に貫通できるような腕力があるわけではない。

 結局、新人潰しのグレイ殺しは、被害者がろくでもない奴だったこともあり、あっという間に忘れさられた。

 だが、その日の夜、クリスはなかなか寝付けないでいた。

 グレイが新人潰しをしているという話をしたその日、ザインが帰りがけに「まさか忠告以前に問題があったとは……忠実でない駒は要らんな」と呟いていたのをたまたま聞いてしまっていたからだ。

 そしてもう一つ。グレイが死体で見つかる前日の昼頃、当のグレイ本人が「ザインの旦那はモンスターをあっという間に串刺しにすんだよ!」とよくつるんでいる素行の悪い冒険者に話していたのも聞いてしまっている。

(……………………。……あたしが何も言わなければいいだけのことですよね……)

 散々悩んだあげく、クリスはそれらのことを胸の内にしまっておくことにした。

 それだけで、冒険者ギルドも、皇都エミールも、ラプラス皇国も平和でいられるからだ。

 よくわからない方法でC級相当の冒険者を瞬殺する化け物が、新人冒険者として人間の中に紛れ込んでいるなんて、自分以外知らなくていい。

 ザインは今日の早朝に皇都から旅立っていったただのE級冒険者――それでいいのだと。

 正確に言えば、ザインは旅立つ直前にD級に昇格している。歴代でも指折りの早さだ。まあ、D級への昇格は一定数以上の依頼を達成することなので、討伐依頼を大量に請ければ余裕で達成できるのだが。

 クリスもそれを思い出し、

(さすがザインさんですね、将来有望です)

 いや待て、クリスがいったいザインの何を知っているというか。ほんの数回話しただけのはずだ。将来有望はともかく、さすがはおかしい気がする。

(…………おっと、そういえば、今日は週に一度の定期報告の日でした)

 だが、脳内が完全なピンクになっていたクリスはそのことに気が付かない。

 ベッドの下から人の頭くらいの大きさがある球状の物体を取り出すと、それをベッドの上に置き、自身はその前に正座した。

 これは「遠信の珠」という二つ一組の魔術道具で、魔力を流し続けている間だけ、離れていても互いに会話ができるというものだ。

 もちろん、かなりの貴重品である。

 なぜただの酒場の店員のクリスがこんなものを持っているのか。それは、父にも内緒の秘密のお仕事が関係している。

「……定期報告ですね」

「はい、ノイン様」

 両手を添えて魔力を流すと、「遠信の珠」から永久とこしえの教皇ノイン・ラー・ラプラスの声が響いた。そう、ラプラス第九使徒――理外の法だ。

 クリスは一年ほど前のことを思い出していた。あの心底驚いた、国の頂点から直々に誘われた時のことを。

 極限の運命神ラプラスを崇めるラプラス教では、大聖堂で祈るにはその内容を教皇に提出する必要がある。クリスがノインと面識を持つことができたのは、その祈りの内容が適していたという理由からだった。なお、そんなことで決めていいのか、と思ったことは内緒である。不遜だから。

 クリスは、基本的にギルド直営酒場唯一の店員として見聞きしたことを、つぶさに報告するよう命じられている。それ以外にもいろいろ命じられることもあるが、非常にやりがいを感じていた。

 酒場の店員よりもか、と問われれば、当然のように是と答えるほどに。

 何しろこの仕事を引き受けたからこそ、皇国の真の頂点であるラプラスにも会えたのだから。

 ラプラス皇国に住む民は、基本的にラプラスの狂信者である。クリスも例に漏れず、ラプラスの素晴らしさなら何時間でも語れることだろう。思い込みの激しさは生来から教育されたものだった。

 クリスが早速この一週間にあったことを報告しようとしたその時、

「その前に伝達事項を。新たな十番目が選定されました」

 ノインから待ったがかかった。

 十番目。

 これはラプラスが選定する使徒の十番目、つまり第十使徒のことだ。

 使徒は全部で十人いる。正確には「最大で」だが。

 空いていた十番目が新しく決まったことは、クリスにとっても実に喜ばしいことだった。何しろ十番目とは、ラプラスが退屈を紛らわすためだけに、わざと問題のある人間を就ける枠だからだ。

 そしてラプラスが飽きたら処分される。

 そういう枠だからこそ、他の枠と差別化するため、他は「第何使徒」と呼ばれる中、唯一ただ「十番目」と呼ばれている。

 いずれにしても、ラプラスの退屈が少しでも紛れるのであれば、狂信者たる者はこれほど喜ばしいことはないと言うだろう。

「新たな十番目の力は『異端の影』。詳細は不明。なお、ツェーンの異名授与を拒否しています。よって呼称は『異端のザイン』とします」

「……!」

 ラプラス様の異名授与を拒否するとは何という不届き者でしょうか! と本来なら真っ先に憤激すべきところだが、クリスはそれ以上に「異端のザイン」という呼称に動揺していた。

 ザイン――あの冒険者と同じ名前。

 当然だが偶然ではない。確認するまでもなく、あのザインのことである。

「……ノイン様、異端のザインとはもしや、ザインザードブラッドハイドという者のことでしょうか?」

「おや、なぜその名を……? ああ、もしやすでに接触していましたか。偶然でしょうが、運が良いですね」

 果たして運が良いというノインの言葉に頷くべきなのか。あの新人冒険者ザインが、新たな十番目である異端のザインと同一人物。それはつまり、脳内が完全なピンクになるほど想っていた相手がいずれ処分される身だということである。

 こうなってしまっては、事を胸の内だけに秘めているわけにはいかず、嘘偽りなくザインについて知っていることを全て話すクリス。

「股から頭まで串刺し……おそらく影を使ったのでしょう。しかし、選定されたばかりとは思えないほど使いこなしているようですね……」

 本来物理的な影響力を持たない影で人を殺す。実に奇怪、かつ埒外な力だ。

 知らなければまず回避は不可能で、グレイがやられたことを加味すると、知っていても難しいだろう。

「そして本人はすでに皇都を出ているわけですか。どこへ向かったかはわかりますか?」

「申し訳ありません、わかりません」

「そうですか。まあ、仕方ありませんね。皇都を再訪するとも言っていたとのことですし、放置するにしろ処分するにしろ、あなたを動かすとしたらその時でしょう。その時は頼みますよ」

「はい、かしこまりました、ノイン様」

 繰り返すが、クリスはザインについて知っていることを全て話した。

「……ですので……ずいぶんと夢中になっていたようですが、彼のことは諦めるように」

「はぅぅ……」

 そう、彼を恋人にしようと狙っていたことまで全て。

 こうして、ラプラス第六使徒――死の氷ゼクスの初ラブロマンスは、早々に幕を閉じた。

(くすん……)




「ところで十番目の名前はどこで区切るかご存じですか?」

「いえ、私も知りません」

 だからそんなにもザインの名前はわかりづらいのかと。

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