妹、襲来・前


 部屋のソファーに身体を預けてスマホで電子書籍を流し見ていると、唐突にスマホの画面上部に着信を知らせる通知が表示された。

 画面の一部を占有されて文字が追えなくなり強制的に読書を中断された事と、電話を寄越してきた相手が母親だったので僕は思わず顔を顰めた。


「どしたん?」


 隣で、というかソファーの肘掛けに背中を預け、僕の膝の上に脚を投げ出しながらマンガを読んでいた北条が僕の表情の変化に目ざとく気がついて話しかけてくる。

 僕が母親から連絡があったことを告げると、僕の足元でミニテーブルに向かい(官能)小説の執筆に励んでいた西園寺が反応した。


「おや、珍しいね。君の母親から電話が入るなんて、ボクたちがここに出入りし始めてから初の出来事じゃないかい?」


 実際その通りなのだが、我が家の家庭事情を言い当てられたのが何となく癪だったので、僕は西園寺たちがいない時に連絡を取っているかもしれないだろうと反論した。


「どうかな。君が自分から実家に連絡するとは思えないから連絡を取り合うなら向こうからの連絡待ちになるだろうけれど、ほとんど四六時中ボクたちの誰かしらが君と一緒にいるのにそんな機会があるとは思えないけれど」


 肩をすくめながらあっさりと論破してくる西園寺に僕が沈黙を貫いていると、北条が足先で僕の脇腹を突っついてくる。


「ていうか、電話出なくていいの?」


 執拗に突っついてくる北条の足を手で迎撃しながら僕は逡巡する。

 普段母親からはラインで事務的な連絡が来るぐらいで電話をかけてくるなんて事はなかった。そんな母親からの電話連絡なんて面倒な話にしか思えず、取りたくない気持ちでいっぱいだったのである。

 そうしているうちに母親からの着信は切れてしまった。

 切れてしまったものは仕方がないので、読みかけの本を読み終えて風呂入って歯を磨いたらラインで用向きだけ聞こうかな、うん。


「いや、普通に折り返せば良いだけじゃないの?それ」


 こっちから連絡したら通話料がかかっちゃうから……。


「家族相手ならファミリープランとかで通話料無料じゃないのかい?というかラインで通話すれば通話料なんてかからないだろう」


 ちょっと何言ってるかわからないですね。


「うわ誤魔化したわこいつ。どんだけお母さんに連絡したくないのよ……」


 ふたりから呆れたような視線を向けられるが、面倒臭いものは面倒臭いのである。

 しかし、そんな僕の抵抗なんて関係ないと言わんばかりに再び母親から着信が入った。


「おやおや。間をおかずに電話してくる辺り、着信を無視しているのはお見通しなようだね」


「この様子だと何度でもかけてくるだろうし、諦めて電話に出たら?もしかしたら身内に不幸があったのかもしれないし」


 西園寺に揶揄われ、北条に真っ当な言葉で諭されてしまった僕は観念して電話に出ることにした。

 北条の脚をどかしてソファーから立ち上がり、ベランダに移動する。

 ベランダに出ると、東雲がビーチチェアに寝そべりたばこを吹かしていた。

 東雲は真冬の寒空の下、相も変わらず半裸である。風呂上がりとはいえ、いや風呂あがりだからこそ湯冷めしそうなものだがまったく堪えた様子はない。


「やあ。君も吸いにきたの?」


 そう言いながら東雲がサイドテーブルのジッポライターに手を伸ばそうとするのを止めてスマホの画面を見せてやる。

 着信画面を見たであろう東雲は驚いた表情をしたが何やら意味深な微笑みを浮かべ、たばこの火をもみ消すと立ち上がった。話が早くてまったく助かる。

 僕がそんな東雲を他所にベランダの手すりに寄りかかり、薄暗い牛島邸の庭を眺めながらスマホを操作しようとすると。


「長居して風邪をひかないようにね」


 肩にふわりとちょっと湿ったバスタオルが掛けられる。僕が咄嗟に背後を振り向くと、肌色の背中とお尻を覆う白のレースが引き戸の向こうに消えるところであった。

 ……本気で心配されたのか揶揄われたのかは微妙なところであるが、湿ったバスタオルなんて逆効果ではなかろうか。

 そうは思いつつも気を取り直してずり落ちそうなバスタオルを直した僕は、いまだに着信を知らせ続けるスマホにため息をひとつ吐いてから応答ボタンをタップし耳にあてた。


『あ、やっと出た。ちょっと、たまの電話ぐらいすぐ出なさいよね』


 もしもし、と応答するよりも先に飛んできた小言に辟易しつつスマホが手元になかったんだと誤魔化しを試みる。


『嘘ね。あんたトイレに行こうが風呂に入ろうがスマホだけは手放さないじゃない。どうせ電話に出るのが面倒くさくてスルーしようとしてたんでしょ』


 しかし全てバレバレであった。


『それで、あんたちゃんと大学行って単位取ってるんでしょうね?うちに私大の学費を一年余計に払う余裕なんてないんだから、留年なんてしたら学費出さないからね』


 実家を出る前に耳にタコができるぐらい聞かされた文句に、ちゃんと単位は取っていることを伝える。うんざりした気持ちを多分に込めたつもりだが、母は気に留めた様子もない。


『そう?それならいいけど。あんた友達とかいなさそうだし、油断して怠けると誰も助けてくれないんだから気をぬいちゃ駄目よ』


 咄嗟に友達ぐらいいると反論しようとして、その友達候補筆頭が部屋の中の三人なことに気がついた僕は口を噤んだ。友達がいないと決めつけられるのも業腹だが、いると答えた結果根掘り葉掘り聞かれてこの現状について口を滑らせてしまった時の反応の方がはるかに面倒臭そうだ。

 僕はその代わりにサークルの同期や先輩が助けてくれるから大丈夫だと主張してお茶を濁した。


『あ、そう。帰宅部だったあんたがねえ。まあ、悪い先輩の誘いに乗ってサボったり悪の道に入らないようにしなさいね』


 そんなヤバい人がいそうなサークルになんて入らねえよと言ってやりたい気持ちをぐっと堪えて用向きを問うと、母はああそうそうとようやく本題を切り出してきた。


『千秋が来年には受験じゃない?それでどこの大学を受けるかとか色々調べたり考えたりしてるんだけどさ。大学ってオープンキャンパスとかいって直接大学に出向いて校舎とか見れたりするじゃない?それにも参加したいって言ってるんだけど、せっかくだから東京の大学を見たいって言ってるのよ』


 千秋、オープンキャンパス、東京と不穏な文言が並ぶ説明に嫌な予感しかせず、僕は先手を打って妹は地元の大学に通わせる方針だったはずだと指摘する。


『あんなのはお父さんやお爺ちゃんが勝手に言ってるだけよ。まあ女の一人暮らしなんて危ないし、千秋も友達が皆こっちの大学受けるって言うからたぶんそうなるとは思うけど』


 じゃあわざわざこっちの大学のオープンキャンパスを受けさせなくても、と僕が言う前に母が続けた。


『けど、東京の方が大学が多いから選択肢は豊富だし行って損はないじゃない?それにこれから本格的に受験戦争に突入する前の最後の遊びってことで東京観光がてらさ。だから、あんたの部屋に泊めて、あんたの大学見学に連れて行ってやってよ』


 やはりそう来たか……。

 僕はどうにかして母の依頼を回避できないかと頭を働かせつつ、うちの大学のオープンキャンパスは来月であると突っ込みを入れてみる。


『そんなのちゃんと調べて分かってるわよ。大学からの説明はなくても在籍してる学生の案内を受けて色々回れたら勉強になるじゃない』


 まあ、そうなるよなあ……。

 せめてもの抵抗でそんなの千秋のやつだって嫌がるだろうと主張するが、当然のように僕の意見は通らない。


『そんなのあんたがちゃんと暮らしてるかのチェックをする代わりにお小遣いを出すって言ったらすぐに頷いたわよ。今は色々と忙しいから無理だけど、そのうち私も観光ついでにそっちに行ってチェックするからね』


 僕の信用がないのは別にどうでもいいが、部屋の確認を名目に遊びにくるのはマジで辞めてほしい。


『いいでしょ別にそのぐらい。わざわざ遠くの大学に通わせてあげて、部屋の保証人にもなってやってるんだから。それに、どうせあんた冬休みなんだし勉強の邪魔になったりなんてことはないでしょ』


 この場合、部屋の家賃を支払っているのは僕自身であるという事は主張するだけ無駄なんだろうなあ……。

 僕は露骨にため息を吐いてみせてから、妹がいつから来るのか問うと、母は何でもないように答えた。


『明後日』


 明後日!?


『そうよ。早めに言ったら部屋片付けちゃってチェックにならないでしょ。これでもお父さんにせめて一日は猶予をくれてやれって言われて早めに教えてあげたんだから』


 いつもは妹の味方な父に感謝の気持ちが芽生えたが、大黒柱のくせに一日しか猶予を伸ばせていないことに気がついてすぐにそんな感情を放り投げる。

 というか、僕が用事で留守にしていたらどうする気だったんだ。


『そんなの大家さんに合鍵を借りて勝手に入るだけよ。ひとりでゆっくりできて千秋も喜ぶでしょうね』


 ……さいで。


『それじゃよろしくね。後で新幹線の時間連絡するから到着時間に迎えに行ってあげてちょうだい』


 僕の投げやりな返事を聞いた母はそれだけ言って電話を切った。

 ちょっと話していただけなのに疲労感が半端じゃなかったので、とりあえず一服しようとたばこを取り出して火をつけたところでラインの通知が入った。

 確認すると妹からで、『勝手に行くから迎えはいらない』とだけ素っ気なく書いてあった。

 僕はそれにたいして到着時間だけ連絡するようにと返信をしてスマホをポケットに突っ込むとたばこの煙を肺に吸い込み、そしてため息と共に吐き出した。

 久しぶりにくらった母の小言は中々にきつかった。普段はほとんど干渉してこないのにふとした拍子にこうして詰められることになるのだが、過去の経験からして言い返してもろくなことにならないので頭を低くしてやり過ごすしかないという実に厄介な時間だ。

 僕に反抗して母と喧嘩をするだけの意志力があれば多少はマシになったかもしれないが、今も昔もそんな体力は僕にはない。

 まあ、今はやり過ごした小言よりもこれからやって来る妹の事だ。

 僕は吸いきったたばこを灰皿に突っ込むと、部屋の中に戻る。

 わかりきった話ではあるが、部屋の中では西園寺たちが思い思いにくつろいでいた。

 西園寺は先ほどと変わらずソファーの前のミニテーブルに向かってノートパソコンを叩いているのだが、いつの間にかテーブルの上は酒とつまみに占拠されていた。

 北条もソファーに寝そべっているのは同じだが近くの床にマンガ本を積み上げている。そのマンガはうちで見たことのない少女マンガなのだが、北条がああいった本を自分で買うとは思えないので西園寺か東雲の私物と思われる。どちらにしろ我が家に持ち込まれてしまったからにはあのマンガは我が家の本棚を埋めることになるだろう。

 懸念していた東雲はしっかりとシャツを羽織って髪を乾かしている。東雲はうちにある安いドライヤーではなくなにやらお高いらしいドライヤーを持ち込んで使っているのだが、何でも美髪ケアやらダメージケアだとかの機能が備わっているらしく西園寺や北条も東雲のを借りて使っている。モデル業に身をやつしている者としては当然の配慮なのだろうが、似たような美容グッズが我が家に溢れかえるのは問題だった。


「あ、おかえり。どうだった?」


「表情から察するに延々と小言を言われ続けた感じだね、あれは」


 実際その通りなので特に反論はないのだが、そんなことは今はどうでもいい。

 僕は明後日に妹が泊まりに来ることを三人に告げる。


「まじ?あんたより出来が良くて甘やかされてると噂の?」


 噂って情報ソース僕だけじゃねえか。あってるけど。


「あってるならいいじゃない。けどまさかあんたの妹に会えるなんてね~。どんな感じの娘が来るのか楽しみだな~」


 北条は何やら当然のようにうちの妹に会うつもりでいるが、お前たちをうちの妹に会わせるつもりは一切ない。


「ええ~!なんで!?」


 それは当然、お前等に会わせてしまったら自動的にこんな酒やらたばこやらギャンブルやらにまみれた生活を送っていることが実家にバレるからだ。


「ついでに女を連れ込んでよろしくヤっていることもバレてしまうね」


 ヤってない。

 ともかく、明後日までにお前等の痕跡をこの部屋から消してごく普通の部屋に戻す。今まで好き勝手部屋に物を持ち込んでやりたい放題してきたんだから、それぐらいは協力しろ。


「ええ~面倒くさ~い。別にバレたって良いじゃない。息子が大学生活をエンジョイしてるって知ったらお母さんも喜ぶって!」


「そうそう。それにそこまでしなくても素直に酒好きだったりたばこを吸う友達が良く泊まりに来るからとか説明すれば問題ないんじゃないかい?」


 北条と西園寺が口々に不満を述べるが、僕は断固とした態度で臨むつもりである。

 普段の部屋の有り様を見られてしまったら、恐らく小言だけではすまないだろう。大学で悪い遊びを覚えたとか何とか難癖をつけられて酒もたばこも友達が泊まり込むのも禁止になるに違いない。

 と、さすがに無いだろうとは思いつつも下手をすれば本当にあり得なくもない未来を伝えると、ふたりは途端におとなしくなった。

 分かれば良いんだよ分かれば。

 さて、異論は無くなったようであるし、片付けるべき物をリストアップしなければ……。


「……本当にそれだけで誤魔化せるかな」


 僕が思考の海に沈み始める前に、東雲がぽつりと不穏なことをつぶやくのが聞こえた。


    *


 呼び鈴が鳴ったので玄関に出向いて扉を開くと、妹の千秋が立っていた。

 ほぼ一年ぶりに顔を合わせる妹は、急に背が伸びたとか太った痩せたなんてこともなくたいして変わり映えしなかった。

 髪は短かったのを伸ばし始めたのかミディアムぐらいの長さにして緩くパーマをかけているので洒落っ気は出ているが、理由もなく不満気な仏頂面は相変わらずだ。


「……早く入れてくんない?寒いんですけど」


 僕が千秋を観察していたのは一瞬のことだったと思うが、千秋に急かされて慌てて横に避ける。

 千秋が無言のままに部屋に入っていくので僕も無言で後に続いた。

 リビングに入り、部屋をぐるりと見回した千秋はつまらなそうに言った。


「ふうん。ぱっと見はちゃんと片付いてるじゃん」


 普段から掃除も片付けもしっかりとやっているので当たり前である。

 そもそも実家の部屋だってちゃんと片付けていたので疑われる事自体心外というものなのだ。


「いや、あたしは兄貴の部屋が片付いてたかどうかなんて知らないし」


 確かに中学ぐらいの頃からお前が僕の部屋に入ってくることはなかったな……。


「当たり前なんですけど。どうせ行っても面白い物は何もないだろうし」


 まあそうだろうな。結構早い時期から本は電子だったし、ゲームはパスワード付きのパソコンの中だったし。

 そういう状況になったのも妹に私物を略奪され続けた苦い記憶が影響しているのだが、今さらこいつに言っても詮の無い事だが。

 千秋は荷物を置いてコートを脱ぐと、面倒くさそうに呟いた。


「さてと。それじゃあさっさと部屋のチェックを済ませますか」


 なんだ、もう始めるのか。

 移動続きで疲れているだろうし、一息ついてから始めても良いだろうに。

 むしろそんな面倒な事は後回しで良いし、何ならやらなくても全く困らない。


「馬鹿言わないで。こっちだって色々予定ってものがあるんですけど。それに、ママからお小遣いまでもらってるんだからちゃんとやらないと怒られるんですけど」


 そんなの適当に問題なかったとか言っておけば問題ないだろう。


「無理無理。ママが電話した感じ絶対何か隠してるって言ってたから、しっかりと探して、あわよくば何か見つけないとすぐにバレるって」


 ええ……。

 どんだけ母親から信用が無いんだよ、僕は……。


「一年中連絡も寄越さず実家にも顔を見せずでいたら当然なんですけど」


 お盆も正月も帰って来いとは言われなかったぞ。


「言わずとも帰ってくるのが当たり前なんですけど」


 交通費が高いんだよ交通費が。


「そんなもん言えば出してくれるでしょ」


 そりゃあお前はそうかもしれないけどな……。


「……とにかく、チェックはするから」


 こいつ、ちょっとあり得るかもと思ったな。別にいいけど。

 さて、ここからが問題だ。

 昨日一日を使って部屋をくまなく確認し、西園寺たちの痕跡はできる限り消した。余計な酒やら服やらは運び出して牛島邸に預かってもらったし、ほぼ万全の態勢と言って良いだろう。

 後は変な見落としが無いことを願うばかりだが。

 千秋はまず本棚に目を向けた。

 

「何かマンガがめっちゃ多くない?ていうか紙で買ったの?兄貴が?」


 やはりまずそこに目が行くか。

 僕としてはマンガも牛島邸に運んでしまいたかったのだが、量が多くて重いということで皆が難色を示したためうちにあると違和感がありそうな女性向けマンガだけ移したのだ。

 まあマンガならいくらでも言い訳はできるので問題ない。

 僕は千秋に、そのマンガたちがサークルの部員が置いていったものだと説明する。

 量が多いのは今年卒業の先輩が実家に戻るにあたって所持していたマンガを押し付けていっていたからだとそれらしく語ってやると、千秋はふうん、と頷いた。


「まあ、万引きしたものだとかエロ本が並んでるとかじゃない限り問題ないんじゃない?」


 僕は万引きなんてするか、と突っ込みを入れつつ、西園寺が逆にあった方が自然だと主張して置いていこうとしたやつのエロ本を運び出したのは正解だったなと密かに安堵した。

 次に千秋が注目したのはクローゼットだ。

 千秋は無遠慮にクローゼットを開くと中を隈なく確認する。

 ここには三人の上着や私物の一部があったのだが、もちろんそれらも牛島邸行きだ。


「何これ……もしかして、筋トレグッズ?」


 それはクリスマスにサークルの人からもらったものだと説明する。贈り主が東雲な事以外は真実なのでこれは問題ないだろう。

 もちろん北条からもらったほぼエロいアニメのDVDと西園寺からもらった尻枕は牛島邸行きだ。


「ふうん。今さら鍛えたところで見てくれがどうにかなるとは思えないけど」


 全くもってその通りだが身内に言われるとちょっとイラッとするので、そういう物言いが母さんに似てきたなと言ってやると凄い目で睨まれた。ぴえん。


「……ん?ていうか、何で布団が三つもあるのよ」


 僕が友達やサークルの人が時々泊まりに来るから買い足したのだと語ると、千秋はもの凄く不審そうな目で僕の事を見てきた。

 千秋としては僕が部屋に泊めるほど仲の良い友達がいる事が疑問なのだろうが、まさか友達がいるアピールのためだけに布団を買い足したとまでは考えまい。

 まあ、友達がいるアピールのために運び出さずに置いておいたのだけれど。

 僕は泊まっている間は一番上に置かれた布団を使うようにと指示をする。

 他の布団は干していないので僕の友達の汗と臭いがついているだろうと言ってやると、千秋は嫌そうな顔をして頷いた。

 なお、千秋が使う予定の布団は北条が使っているものである。

 西園寺や東雲の布団を使うと酒とかたばこの臭いが移っていそうなので。


「ていうかそんな布団の上に置いたら意味ないんですけど。それならベッドの方を使わせてよ」


 こいつ、泊めてもらう側のくせに我が儘な……。

 まあ僕の汗と臭いが詰まった布団で良いなら使えばいいさ。


「そういやそうだったわ……。仕方ない、こっちの布団で我慢するわ」


 千秋は渋々頷いたが、ふと何かに気がついたように再びベッドに視線を向ける。


「そういや何でベッドに枕ふたつも置いてんの?」


 あ、やばい。

 僕が内心で冷や汗をかきつつ、セミダブルのベッドだからふたつあった方が見栄えが良いのだと説明すると、千秋は呆れたような視線を向けてきた。


「馬鹿じゃないの?妹相手にベッドはふたりで使ってますアピールして何になるのよ」


 僕はそういう見栄えじゃないと抗議したが、千秋はもうどうでも良いと言わんばかりに他に視線を向けている。

 ……どうやら僕が本当に女と同衾したとは夢にも思わなかったらしい。

 危なかった……。

 昨日は北条の布団を洗ったり干したりしていた関係で布団が足りなかったので、北条が僕と一緒にベッドで寝たのである。

 昨日のうちに片付けが終わっていたので後は問題ないと思って油断していたのだが、まさか枕を片付け忘れるとは……。

 僕がこっそり安堵のため息を吐いていると、千秋は引き戸を開けてベランダに出た。


「お、けっこう広くて良い感じじゃん……って、何これ?」


 千秋はベランダでビーチチェアを見つけて首を傾げている。

 僕がそんなの座るための椅子に決まっているだろうと突っ込むと、千秋は「何でこんな所に置いてるのって言ってるんですけど!?」と眦を釣り上げた。

 僕はこのベランダが陽当たりが良く、寛ぐのに最適なのだと語ってやる。最近は東雲に占領されている事が多いが、僕や他のふたりもけっこう利用しているのだ。このビーチチェアは。

 僕に揶揄われてご機嫌が少しよろしくなくなった千秋は鼻を鳴らすと徹底してベランダを調べ始めた。

 普段からしてたばこと灰皿が置いてあるぐらいで、当然それらも片付けられているのに不味いものがある訳なかろうと内心呆れつつ千秋の作業を見守っていると、千秋がビーチチェアに目を留めた。


「ん?これ……」


 千秋がビーチチェアに手を伸ばして何かをつまみ上げる。僕は最初、千秋が何を見つけたのか分からなかったが、千秋が摘んでいるものに気がついて顔が引き攣りそうになった。


「髪の毛……だけどなんか長いし、これ兄貴の髪の毛じゃないよね……?」


 僕の髪の毛でなさそうならば、それはほぼ間違いなく東雲のものだろう。

 僕はちょっと前まで髪が長かったからその時のものだろうと惚けるが、「毛が茶色っぽいけど染めてたの?」と突っ込まれて、じゃあサークルの先輩のやつだなと軌道修正するハメになった。探偵かお前は。

 千秋は僕の説明を聞きつつ髪の毛を観察していたが、やがてぽいっとそれを捨てて部屋に戻っていった。

 どうやら兄の部屋に女が来てベランダで寛ぐ姿が想像できなかったらしい。

 日陰者で助かったとちょっと複雑な気持ちを抱きつつ部屋に戻る。

 千秋はリビングに戻ると衣装ケースやらパソコンデスク周りやらベッドの下やらを確認するが、その辺もとっくに対策済みだ。

 いや、ベッドの下には元から何にもないのだけれど。

 やがて何も出てこなかったのがご不満なのか、顰めっ面のままリビングを出ていく千秋。

 今度は水回りの確認らしい。

 トイレに置いてあった生理用品も容赦なく回収させたし、洗面所の歯ブラシだの洗顔道具だのも持って行かせた。

 念のため洗濯機の中に衣類の忘れが無いかも確認したので完璧である。

 当然のように水回りもクリアして、千秋はつまらなそうな表情だが僕の内心はテンション最高潮だ。

 千秋は最後にキッチンを確認し、冷蔵庫の中を覗いた。もちろん中に詰まっていた酒は牛嶋邸である。

 なんの問題もなかろうと千秋の見えないところでドヤ顔をキメていると、千秋から質問が飛んできた。


「ちゃんと自炊してそうな感じだけど、作り置きのおかずが多すぎじゃない?内容もなんか味の濃いものに偏ってるし。ていうかそもそもこんなに料理できたっけ?」


 指摘するところがないが故の苦し紛れなのだろうが、痛いところを突いてくる。

 そんなものは西園寺が自分の酒のアテにせっせと作った品だからだ。

 流石に料理を外に出すわけにはいかなかったのでそのままにしていたのだが……。

 自分が作ったものではないので深掘りされると困る僕は、料理を頑張る分には問題ないだろうと話を打ち切りにかかる。

 千秋としても料理に口出しはしづらいと見えて、特に何も反論はなかった。


「……まあ、とりあえずこんな感じかな。ちゃんと暮らしてたのか頑張って一日で隠したのかは知らないけれど、ママにはとりあえず問題は見つからなかったって伝えてあげる」


 何やら含みのある言い方だが無事に切り抜けられたのなら何でも良い。

 後は大学にだけ連れて行ってやりさえすれば勝手に観光なりオープンキャンパスなりに出掛けるだろうし、問題無く終わるだろう。

 僕が勝利を噛み締めていると、千秋は自分の荷物を漁って何やら取り出した。

 ピンク色の風呂敷に包まれたそれは……赤福?

 地元の駅に売られているポピュラーな土産物(実際は三重のお土産だが)をなんでわざわざ?


「そりゃあ大家さんにご挨拶するためよ。手ぶらでお伺いしたら失礼でしょ」


 はあ?

 何でわざわざ大家さんのところに?


「ママが代わりに挨拶してくれって。聞いたら大家さんのお手伝いをする代わりに家賃まけてもらってるんでしょ?ご迷惑をお掛けしてるんだから当然よ」


 いや、確かにその通りではあるのだが、そんな恥ずかしい事をする程では……。

 というか、九子さん──大家さんの予定だってあるだろうに。


「ちゃんとアポは取ってあるわよ。ちょうど今からお伺いするには良い時間ね」


 お前、そんな直接……。


「兄貴に言ってもまともにアポ取ろうとしないでしょ。それじゃ言ってくるから」


 そうして部屋を出ていく千秋を僕は慌てて追いかけ、自分も同席する事を伝える。

 最初からそれも織り込み済みなのか、千秋は特に何も言わなかった。

 千秋の後に続きながら勘弁してくれと嘆くが、九子さんのおわす牛嶋邸はすぐお隣なので覚悟を決める暇もない。

 千秋が門の呼び鈴を鳴らすと、すぐに応答があった。


『はい?』


「すみません、ご連絡しておりました──」


『ああはいはい、あれの妹さんね。遠いところからわざわざありがとうねえ。そのまま入ってきておくれ。どうせあれもついてきてるんだろう?』


 そこまでお見通しかと憂鬱になりながら勝手口を開けて中に入る。

 立派な庭を進みながらちらりと千秋の事を盗み見るが、特に気後れした様子もない。まあうちの実家も似たような感じだしな……。

 玄関を開けて中に入ると、「そのまま居間に来な」と九子さんの声が飛んできたので素直に上がって居間に向かう。

 僕はもう投げやりになって居間にひょいと顔を出すと、そこには九子さんと七野ちゃんと、何故か八重さんと。

 本当に何故だか、いつもの三人がこたつを囲っていた。

 ……いや、何でここにいるんだよ。

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【web版】依存したがる彼女は僕の部屋に入り浸る(旧依存症な彼女たち) 萬屋久兵衛 @yorozuyaqb

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