【数学読み物】〈1を足す〉が〈すべての数〉を作る

あかいかわ

1 世の中は偏見であふれている

 〈数学〉を勉強していた、というとよく誤解される。


 いろんな種類の誤解があるけれど、その代表格といえるのが〈じゃあ暗算とかメチャクチャ早いんでしょ!〉というものだ。

 もちろん暗算が早い人もいるかもしれない。でも、だいたいにおいて、数学を好きな人が特別暗算が早いという傾向はない。むしろ個人的な直感では、暗算のような〈具体的な〉雑事が苦手だったり、少なくとも嫌いな人こそ数学を好む傾向にあると思う。

 数学好きは面倒くさがりなのかもしれない。

 具体的な計算なんて、数学好きは、できればやりたくないのだ(驚くべきことに大学教授だって、しょっちゅう簡単な足し算を間違えていた)。


 数学とは〈抽象的〉な取り組みだ。

 例を挙げる。


 x^2 + 2x + 1

  ※このお話では数式を扱うのはこの一度だけなので、どうかお許しください!


 xの二乗(xかけるx)プラス2x(xの2倍)プラス1、という数式で、ここでは変数xというものを扱っている。変数とは具体的な数字の代わりに扱う仮の数字で、指定がなければどんな数字をここに入れてもいい(これを代入という)。


 例えば〈xに2〉を入れれば、結果は【9】となる。

 (2の二乗プラス2かける2プラス1、つまり4足す4足す1)

 同様に〈xに3〉を入れれば、結果は【16】という数字になる。

 (3の二乗プラス2かける3プラス1、これは9足す6足す1)


 つまりxに具体的な数字を入れた【9】とか【16】とかいう結果は〈具体的〉なものであり、xで表現された数式は〈抽象的〉と捉えることができる。〈具体的〉なものを取り扱うにはより多くの計算が必要になり、(数学好き的には)若干面倒くさい。


 そしてもちろん、〈抽象化〉にはメリットがある。


 〈x^2 + 2x + 1〉という数式は整理することができる。中学校での数学に親しみを感じていた人であればすぐに気づくかもしれないが、この式は(x + 1)^2(〈xプラス1〉の二乗)と書き換えることができる。このふたつの数式は同じことを表しているので、xに数を入れたい場合は、こちらの式を使ってもかまわない。

 つまり、〈xに2〉を入れるなら、〈2足す1(つまり3)〉の二乗、3かける3で【9】。

 〈xに3〉を入れるなら、〈3足す1(つまり4)〉の二乗、4かける4で【16】。


 簡単に計算できるし、何よりこの式が〈何かの数の二乗〉という構造に気づくことができる。


 このように数学とは、物事を〈抽象化〉していくことでその背後に存在する〈構造〉だとか〈仕組み〉を見つけていく、そんなプロセスともいえる。


 もうひとつ、例を挙げる。


 〈1111〉と〈820〉


 このふたつの数を見比べたとき、どちらがよりきれいに見えるだろうか。あるいは、特別に見えるだろうか。

 もちろんさまざまな意見はあると思う。それでもたぶん、それなりに多くの人が【1111】を特別な数に感じるだろう(何しろ同じ1という数字が4つも並んでいる! そんなことって、滅多にない!)。では、次の数ならどちらがよりきれいだろうか?


 〈1464〉と〈1111〉


 きっと今回も【1111】が選ばれやすいと思う。先程と同様だ。同じ数字が並んでいるのだから、きっとそこには数学的に何か特別な構造が潜んでいるのだろう。きっとそうに違いない。

 しかしここで、ある重要な事実をお伝えしなければならない。実は、


 1111=1464  820=1111


 上記の等式が成り立っているのだ。

 もちろん、この式はこのままでは成り立たない。ある特殊な但し書きが必要になる。つまり、


 1111(10進法)=1464(9進法)  820(10進法)=1111(9進法)


 それぞれ数字の〈書き方のルール〉が異なっているのだ。

 〈10進法〉は我々が通常用いている数字の表記法。10種類の文字を使い、位取りで数を表現している(1、2、3、…、9、0の10種類)。いっぽう〈9進法〉とは、9種類の文字による表記法となる(1、2、3、…、8、0の9種類)。9進法で〈10〉と書くとき、それは〈8〉の次の数だから、10進法的な表現ではそれは〈9〉という数のことになる。


 ある数が何か特別なものに見えるとしても、それは〈10進法〉という環境においてそう見えるだけで、見方を変えるとそれは特別でもなんでもないのかもしれない。つまり〈具体性〉が生み出す罠、偏見のようなものがたしかに存在する。我々はその罠にどうしても引っかかりやすい。だからこそ、物事を〈抽象的〉に捉えてみる訓練が必要となる。これも数学の持つ、ひとつの重要な役目になるのだろう。


 おいおい待てよ、数字の基本的な書き方である10進法と、あくまで特殊事例である9進法を比べるのは、それこそただの偏見じゃないのか。

 もしかしたら、そう思う人もいるかもしれない。

 しかしそれは明確に間違っている。10進法は宇宙的に見れば何も特別なものの見方ではなく、あくまで地球という星のいち方言にすぎない。もっといえば、人間という種族のある特定の文化圏の持ついち方言にすぎない。現代社会の我々が10という数に固執しているのは、生物学的な偶然が生んだ特殊事例に由来しているからだ。かつて我々が数をかぞえるとき、ごく身近なところにとても便利なものがあって、それを折ってかぞえることが習慣になった。我々の持つ、ある生物学的固有器官。それは一般に〈指〉と呼ばれ、扱いやすい手指については、通常10本を生まれつきに備えている。我々はそんな指を折って、数をかぞえる。


 だからもし、我々が8本指を備えていれば、我々は8進法を用いていただろう。12本の指であったなら、我々はおそらく12進法を用いていたのだ。


 ちなみに、〈9進法〉を用いる文化は現実世界にも(メジャーではないが)存在する。

 その文化の人たちは、もちろん生まれながらに指が9本、というわけではない(もちろん)。儀式で一本切り落としてしまうわけでもない(もちろん)。しかし面白いことに、彼らも数をかぞえるときには指を使う。彼らは数を示すとき、指を折るのではなく指で〈ある場所〉を指し示す。最初の〈1〉は反対の手の親指の先。そして〈2〉は、親指と人差指のあいだの股の部分。そして〈3〉は人差し指の先、〈4〉は人差し指と中指のあいだの部分……。このようにしてかぞえたとき、最後にたどり着く小指の先は、〈9〉という数字を示すのだ。


 〈具体性〉はもちろん大切なもので、というかむしろそれがなければこの現実世界で生きていけない。いくら数学好きが嫌がったとしても、生きていくためには面倒くさい計算も避けては通れない。しかしそこには罠がある。特別でないものに特別さを感じてしまったり、あるいは大切な構造を見落としてしまったり。我々はいともたやすく、そんな〈偏見〉にとらわれてしまうのだ。


 世間にはほんとうにたくさんの〈偏見〉がある。

 でも、もし。我々にとって身近で当たり前な存在であるはずの〈数〉でさえ、一種の〈偏見〉であるとしたら、どうだろう?

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