逃亡

ザーーーーーッ

 川の激しく流れる音がやまない。私はゆっくりと瞼を開いた。

「ごめんね………びっくりさせちゃったね…」

 細い大人の腕が、私のお腹と胸を抱えていた。目の前には汚い色をした川。この人に離された瞬間、落ちてしまいそうだった。

 恐る恐る後ろを振り返ると、見たことのない髪の色をした女性が涙を流していた。どうしてこの人は泣いているんだろう。そしてその人は私を抱っこしてどこかに連れて行こうとした。

 ずっとぼーっとして、真っ白になっていた私の頭に、あの町でのできごとが浮かんだ。このままでは殺される。そう思い、私は女性を蹴った。弱々しくも、抵抗した。けれど女性は私を絶対に離そうとせず、途中から小走りでどこかに向かっていた。殺されたくない。怖くてパニックになっていた私は、ただ力なく、かすれた声で泣くことしかできなかった。

 一瞬だけ、一瞬だけだけど、女性の手が私の肌に触れる瞬間があった。彼女の体温が高かったのか、私の体温が下がっていたのかはわからないけど、いつものお母さんの手と同じくらい温かかった。冷めきった心の底にマッチの光を当てたような、ポカポカするという言葉が一番似合うような、そんな感覚があった。

 お母さんの顔が頭によぎった。さっき見たこわい顔と、いつもの優しい顔が、交互に。私を抱っこする彼女の顔は、温かいお母さんとも、こわいお母さんとも違った。なんというか、まっすぐな顔。さっきまで怖かったはずなのに、彼女をジッと見ていると、自然と落ち着いていた。

 走り疲れ、泣き疲れた私の声はどんどん小さくなり、重くなった瞼を閉じた。

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