第18話 配信者は彼の声で語っている

 悲鳴じみた私の声に、和菓子先生は耳を塞いで少しのけぞる。そして、顔をしかめたままなめらかに話し始めた。


「無駄にとんでもない肺活量だね。舞台俳優になるといいよ。きっと素敵な大根役者になれるから」


「えへへ、それほどでも」


「嫌味だよバカが。はい、これが補習課題データ」


 和菓子先生がついっとタブレットを操作すると、私の鞄の中から通知音が響いた。慌てて鞄の中の自分のタブレットを確認し、私は愕然とする。


「こ、こんなに……!?」


「テスト形式じゃないだけ優しいと言ってほしいね。どんなにおバカな答えを書いても、課題を提出さえすればいいんだから」


 やれやれと息を吐きながら、和菓子先生は自分のタブレットを操作する。


 確かにテスト形式ではないのはかなりの温情かもしれない。これなら時間さえかければなんとかなる、はず!


「ああ、でも一個だけテストは行うから」


「えっ」


「『情報倫理』の先生に半べそで頼まれてね。どうしようもないあのバカにIT関係の課題を出してやってほしいってさ」


「は、半べそで……」


 そこまでひどい点数をたたき出してしまったのだろうか。『情報倫理』の教師の仏頂面を思いだし、私はさすがに申し訳なくなる。


 殊勝な態度になった私を先生はちらりと確認し、モニターにとある映像を表示させた。


 そこに映し出されたのは、「NOWLOADING」という文字と、小さなキャラクターが赤いクラゲをもふもふと叩いているループアニメーションだった。


「あれ? 先生、バーチャル配信なんて見るんですね」


 バーチャル配信とは、動画サイトで主に行われているバーチャルアバターを使った配信のことである。活動内容は様々だが、主にゲーム実況や雑談生配信などを行うことが多い。


 また二次元のアバターを使った配信という性質上、いわゆる『中の人』は名前を明かさないのが慣例となっているらしい。


「和菓子先生はどんなVが好きなんですか?」


「お前の補習用課題に決まってるだろ。ほら、配信開始までちょっとでも課題を進める!」


「ひええ……」


 珍しく厳しい口調で言われ、私は慌ててタブレットの課題を表示させる。一番上にあったのは国語だった。


 ファイルを開くと、ずらりと並んだ古文の問題が目に入り、私は思わずうっと唸る。


「和菓子先生……。どうして学生は古文なんかやらなきゃいけないんですか! 私、現代人ですよ!」


「君は現代文も成績悪いし、現代技術であるIT分野にも疎いでしょ。それとも何? いろは歌のあたりから全部やり直したほうがいい?」


「むっ、失礼ですね! いろは歌は丸暗記していますよ!」


「へえ、じゃあその意味は?」


「え?」


 きょとんとする私に、和菓子先生は戦慄した表情になる。


「……まさかとは思うけど、どんな用途で使われてたものなのか知らないわけじゃないよね?」


「し、知ってますよ! なんか……切ない意味があるんですよね! 感動した記憶があります!」


「あーそっちじゃなくて五十音のアナグラムっていう……まあいいや。それについて書くのも課題ってことで」


「えーっ」


 そんなやりとりをしていると、モニターから流れていたBGMがすっとフェードアウトして画面が切り替わっていた。


『こんサカナー。芳呉サカナだよ』


 画面中央にバストアップで映し出されているのは、金髪のバーチャル配信者だった。少年と青年の中間のような見た目で、かわいらしいという印象を受ける。


 だが、気にするべき問題はそこではない。


『今日は芳呉よしくれサカナの突発配信に来てくれてありがとね。皆も知っての通り、僕、今度ライブをやるんだけど――』


 跳ねるような印象を受ける甘いテノールボイス。特徴的なその声の主を私はよく知っていた。


「え、和菓子先生の声……?」


 信じられないものを見る目で、私は和菓子先生とモニターを見比べる。


「補習課題だよ、美世ちゃん。『芳呉よしくれサカナの仕組みを答えよ』」


 薄く笑みながらの先生の言葉に、私は思わず彼を指さしていた。


「つまり、先生なのに副業してるってことですかー!?」


「はい。うちは私立の学校だから問題ないんだよ」


 ひらひらと手首を振りながら平然と先生は言う。私はちょっと考えた後に手を上げた。


「はい! 回答します!」


「お、今日は早いね。どうぞ、言ってごらん」


 どことなくこちらを侮っているような口調で促され、私は負けじと力を込めて回答した。


芳呉よしくれサカナの正体は和菓子先生である!」


「いいえ」


「あれっ」


 出鼻をくじかれ、私は硬直する。そんな私を和菓子先生は、まるで悪戯が成功した子供のようにくすくすと笑った。


「正確には、おおむねいいえだけどね。それに、俺の質問は『芳呉よしくれサカナの仕組み』だよ。もうちょっと踏み込んでほしいかな」


「そんなこと言われても……」


 途方に暮れた表情で私はモニターに目を戻す。画面の左上には『LIVE』の文字が表示されていた。


「……これ、生配信なんですか?」


「はい。疑うなら、コメントしてみる?」


 和菓子先生は画面右に流れていくコメント欄を指さす。




【(←100円←)突発配信感謝です。頑張ってください】


『うん、ありがとう。来てくれたみんなのために頑張るね』


【(←300円←)サカナちゃん、今日も最高に可愛いね! パンツ何色ですか!?】


「ありがとう。黒だよ」


【(←5000円←)未成年の労働についてどう思いますか。IT技術が進歩した近年、未成年児童への搾取構図が問題となっ[続きを読む]】


『……ごめんね。その質問には答えられないんだ』




 芳呉よしくれサカナは流れていくコメントのいくつかに丁寧に答えているようだ。どうやら、生配信というのは本当らしい。


「このアカウント、1000円だけチャージしてあるから、これを使って課金コメントを送るといいよ」


「えっ、ポケットマネーですか?」


「ポケットマネーだよ。金額に上限があるから質問内容は慎重にね」


「は、はい……」


 途方もない金額ではないとはいえ、自分の指先に他人のお金がかかっていると思うと、どうしても緊張してしまう。私は迷いに迷った末に、和菓子先生に向き直った。


「ヒントを要求します!」


「おお、潔いね。駄目だよ」


「えーっ」


 不満の声を上げる私を見つめて、先生はにまにまと笑う。


「これは補習の一環だって言ってるでしょ。ほら、頑張って」


「そんなこと言われても……。いつもみたいに昔話してくださいよー! 先生だって昔話するの好きなくせにー!」


「開き直ったバカはすごいな……。まあいいや、昔話だけならしてあげようかな」


 和菓子先生はふうと息を吐くと、ゆっくりと語り始めた。


「これからするのは、とある吸血鬼の日常の話だよ」

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