第6話 夢
「キューピッド様、キューピッド様、いらっしゃいましたら、YESの方へお願いします」
始まったばかりなのに、もう鉛筆から手を離したくなってきた。
絵美はいきいきとしている。ゆかりも笑顔で鉛筆を凝視していて、それを見ていると、私の顔がこわばった。
千紗は、うつむいたまま。
絵美は、同じ言葉を繰り返した。
──動かくていい。冒険なんてしなくていい。無事に卒業して、春休みに引っ越しの準備をして、四月から新しい中学校でお友達を作るの。
私は手の力を緩めて離そうとした。そのとき、ふわっと何かに包まれたような、右腕に不思議な雰囲気を感じた。
そのとき、鉛筆がYESの方へ動く。
「うわ、動いた! キューピッド様、ありがとうございます!」
絵美は、ほっとした顔を見せながら、お礼を言っている。
「えっと、はじめまして。キューピッド様がお困りのことはないでしょうか。私たちがお手伝いをしたいと思います」
絵美のその言葉に、ゆかりが「質問することが違うじゃない!」と反論した。
「これでいいの。こちらからお願いしてばかりじゃいけないでしょ?」
この場での女王様は、ゆかりではなく間違いなく絵美だった。
「この質問が終わったら、ちゃんとあのこと聞くから」
ゆかりは何を知りたかっているだろう?
それが気にしながら、鉛筆に注目する。鉛筆はゆっくりと動き出す。
【ち、ゆ、う、か、く、の、う、ら】
「ちゆうかくのうら?」
「中学の裏?」
絵美がそのまはまを読んだあと、ゆかりが動いた文字のことばを正した。
【や、ま、に、あ、る、ほ、こ、ら を】
「山にある祠? えっ? 中学の裏の山のこと? 山なんてあったっけ?」
ゆかりが、みんなの顔を見渡す。
「中学の裏って、昔、小高い山になってたって聞いたことあるよ。今は、ひかりニュータウンになってる」
千紗が消え入りそうな声で言った。
どうしてそんなことを知ってるんだろう?
「祠って何? その山には神社か何かがあったの?」
絵美が千紗にたずねる。
すると、鉛筆がまた動き始めた。
【ほ、こ、ら、さ、か、し、て】
「祠を探してほしいということですか?」
絵美は質問する。
鉛筆は、YESの方に動く。
【と、こ、か、に、あ、る】
「どこかにあるのですか? それを探してほしいということですか?」
鉛筆はYESの方へ進む。
【わ、す、れ、な、い、て、ほ、し、 い】
……忘れないでほしい。
キューピッド様は、ニュータウンを作ることで忘れ去られた祠を、よみがえらせてくれと言ってるの?
小学生の私たちに、そんなことができるの?
「祠は、その土地を鎮めるために作られた。人間が作って、人間がその場所を荒らして、忘れ去っていった。知ってる? ニュータウンの工事のとき、作業員が何人か亡くなってるの……」
千紗が、ぼそぼそと話す。
どうしてそんな話を今、するんだろう……。
千紗は、作り話なんかしない。嘘を嫌う。
ゆかりも絵美も、それはわかってる。だから、二人の顔は青ざめていた。
「時間の流れで忘れ去られるなんてかわいそうだよ」
千紗のその言葉に、ゆかりは「そうだね」とつぶやいた。
「キューピッド様、あたしたちが必ず祠をみつけます。無事にみつけたら、あたしたちの願いをかなえてくれますか?」
ゆかりの願い?
聞いたことある。
小一のとき、ゆかりと同じクラスになった。自己紹介でゆかりは言った。
『あたしは、なんでも演じられる女優さんになりたいです!』
お姫様のように髪の毛をくるくるに巻いて、かわいらしいレースのついた薄いピンクのワンピースを着たゆかりのその言葉は、私を惹きつけた。
私の、お姫様だと思った。女の子にどきどきするのっておかしい。そう思ったけど、あの日のゆかりを見たら、みんな好きになる。
持って生まれたもの、そういう魅力は年々、ゆかりの自信とともに周りも納得させるものになった。
男女構わず、惹きつけるオーラのようなものがある。すぐに人気者になった。
願いというのは、女優になれるようにしてほしいということ?
いくらキューピッド様でもそれは無理なんじゃないかな?
「まずはキューピッド様のお願いをクリアしないと」
絵美が言った。
「そうね。でも、ひかりニュータウンって結構広いよね」
ゆかりは、ふいに私を見つめてきた。アドバイスを求めている目だ。
【た、れ、も、み、つ、け、て、く、れ、な、 い、と、こ、ろ、に、あ、る】
鉛筆がすっと動く。
【み、つ、け、た、ら、か、な、え、 る】
「誰も見てくれないところにあるんですね。家がないようなところ? そこは空き地ですか?」
ゆかりが、焦った声で質問する。
鉛筆は再びYESを指す。
「願いごとを聞いてくれますか? ちゃんと、見つけます。だから、願いごとを」
ゆかりは声を張り上げている。発声練習のためだとかで、合唱部に入っているゆかりの声が、部屋に響く。
【ね、か、い、こ、と、し、つ、て、 い、る、き、つ、と、か、な、う】
「キューピッド様は、あたしの願いごとを知っているんですか?」
ゆかりの顔がっぱっと明るくなる。
鉛筆はYESの方へ動く。
「私の願いも知ってますか?」と、おそるおそる絵美も質問する。
鉛筆はYESの方へ動いた。
「すごい。さすがキューピッド様だね」
絵美は、ゆかりの方を見る。ゆかりはうんうんとうなずく。
「私の願いもきいてもらえますか?」
千紗が、それまで消極的だったのに、急に大きな声を出す。
鉛筆はYESの方へ動いた。
千紗の願いは、お母さんの病気がよくなることだろうと思う。
絵美の願いは、学校の先生になることだった。
私の願いは、誰にも話したことがない。
──中学に入って、千紗にお友達がちゃんとできるように。
──ゆかりが女優になれますように。
──絵美が学校の先生になれますように。
私は、なりたいものが何もない。だから。
「ハルの願いは、いいの?」
ゆかりが私を見る。
「私は、いいよ。とくにないから」
私は苦笑いをする。
恥ずかしくて、誰にも言ってない願いだから。きれいごとだと言われたくない。本心からそう思ってるけど、言えない。
【み、ん、な、の、ね、か、い、か、な、う】
鉛筆がゆっくり動く。ゆかりと絵美と千紗の顔が明るくなった。
千紗はずっと不安そうだったけど、急に晴れ晴れとした顔になっている。やっぱり信じてる?
私は信じてないわけじゃない。でも、全部信じるのは怖い。
それでも、祠を探した方がいいような気がしてる。
「ありがとうございます。キューピッド様、必ず祠を探し出します」
絵美は、何度もお礼を言う。
「キューピッド様、ありがとうございました」
絵美はそれから、キューピッド様が無事に帰れるような呪文を唱える。
紙に書かれた『出口』の場所まで鉛筆が移動したあと、絵美が言った。
「もう離していいよ」
千紗がそっと離す。
私とゆかりも手を離す。
絵美が最後に手を離した。
「ふう、終わったね」
絵美の言葉で、みんなが深く息を吐いた。
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