二十・遊花街(二)

 王都・白麟はくりんを鳥の目で見れば、東西にやや長い方形の外郭がいかく(防壁)に囲まれた巨大なゆう(都市)、ということになる。

 外郭は、北端に鎮座する白貴はっき城の城壁と内堀うちぼりをも包み込み、王城の後背を抱く銀湖山ぎんこざんの岩肌へと、溶けるように繋がっていく。


 王城正門は南面し、内堀の橋を越えた先には、王都を南北に貫く大道だいどうが一本伸びている。大道とは、王族が公の外出の際に使う道のことだ。

 交差する同じ幅の大道が東西にも一本。それよりやや幅の狭い中道ちゅうどうが、各大道の左右に二本ずつ。合間にはもっと細い小道しょうどうが網目のように走り、土壁に守られたそれぞれの‶〟を繋げている。


 里とは、租税や賦役ふえきを管理し簡易裁判を行うための、最小単位の集落のことだ。どのような規模の邑であっても、基本的には里の集合体からできている。

 一つの里には百戸程度が収まり、庶民が日々の暮らしを営んでいた。

 市場、工房、官吏宿舎、月兎げっと祭殿といった、特定の目的のために設けられた里も数多くあり、遊花街ゆうかがいもそうした場所の一つだ。


「これはおひい様、‶月下恋情げっかれんじょう〟へようこそおいでくださいました! 高貴なお方のために良いお席をご用意しております。ささ、どうぞこちらへ!」


 門外で馬車を降り、番人に番賃を渡して東の花街へと足を踏み入れた途端、人波を軽快にかき分けて、旅芸人一座の呼び込みの小男が駆けつけた。

 赤や黄、青に緑と、けばけばしい色使いの派手な衣服を着て、顔には白粉おしろいと頬紅を塗り、房飾りのついた丸い帽子を被っている。小柄な上に背を丸めているので、周囲の誰よりも頭の位置が低い。

 いきなり声をかけられてルドカは面食らったが、前に立つ杏磁あんじは慣れた様子だ。


「一番良い席に座れるのか」

「それはもう、十分な席料さえ頂けましたら、確実にございます!」

「無礼な。姫が席料ごとき問題にするとでも。して、あたいは」


 頬を染めてあれだけ楽しみにしていた姿が幻かと思えるくらい、杏磁は貴族の娘らしい居丈高な物言いをして、勿体ぶった仕草で巾着を持ち上げている。


「へえ、一番良いお席ですと、お一人様につき、弓張り月を頂いてございます」

 小男は遊花街に特有の金額の表し方をした。


 国で最も使われている貨幣は、中央に方形の孔が開いた円形の銅貨だ。

 月地銅げっちどうと呼び、一銅、二銅と数える。一銅で一しん(約百五十センチ)分の芋茎ずいきが買え、五銅あれば麦粥一杯と漬物の膳にありつける。

 遊花街では朔月が百銅、弓張り月が五百銅、望月が千銅を意味した。


 百枚以上の銅貨を持ち歩くのは難儀なため、実際の支払いは月牒げっちょうと呼ばれる木製の約束手形か、同価値の貴石など物品で賄うことも多い。

 杏磁は家紋入りの月牒を出した。主であるルドカがお忍びのため、彼女の実家でひとまず立て替えておくのだ。暗黙の了解でこういうことができる家柄でなければ、宮廷勤めは難しい。


「最も良い席を横並びに三つと、中央真後ろの席を買う」

「へえ、ありがたき幸せ! ささ、どうぞこちらへ」


「ふっかけられましたね」

 後ろで紅玲こうれいがぼそりと呟いた。こういう場に来るのが初めてのルドカには相場がよくわからないが、富貴な者にとっては銅の百や二百変わっても大差ない。よほど目に余る場合を除き、言い値で気前よく払ってやるのが風雅とされる。


 どこの邑でも、花街の青い門を潜ってすぐの場所は広場になっており、訪れた旅芸人が興行のために小屋掛けをしたり、遊歴の侠客きょうかくが名を上げるための試合をしたりと、かなり自由な使い方が許されている。

 大きな邑になると、予め芝居のための戯台ぎだいが設けられていることも多く、王都もその例に漏れなかった。


 案内された客席は、屋根と柱だけの四阿あずまやの下に設えられていた。

 横長の石製台座が数列連なっており、最前列は見るからに幅広い。柔らかく温かそうな羊毛の敷物に覆われ、肘を置くための脇息きょうそくや、暖を取るための手炉しゅろまで置かれている。その中央の席に案内され、ルドカを挟んで右に杏磁、左に紅玲、後ろに良家の娘風の衣服を着た娘子じょうし軍の兵が着座した。


 後方へ行くに従い安い席になるため、幅は狭くなり、敷物もなくなり、しまいには屋根もなくなって、立ち見になる。それでも舞台さえ見えればいいとばかり、押し寄せる客は引きも切らない様子だ。


 目の前には、簡素ながらしっかりとした造りの戯台があった。

 正方形の高床に左右二本の柱が建てられ、縁が反り返った形の瓦屋根が乗っている。後方には楽屋の建物があり、両端に役者の出入りする門が見える。


 満員御礼を叫ぶ声が聞こえると同時に、客席の周囲に幔幕まんまくが張り巡らされた。

 柿渋色の布面をした一座の者によって篝火かがりびが焚かれ、太鼓の音が一定の間隔で打ち鳴らされる。

 先ほどの小男が舞台に上がり、独特の節回しで口上を述べ始めた。その後ろで、上手の門から楽器を抱えた数人の奏者が静かに現れる。


 三弦を抱えた細身の女がいた。

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