十七・帰宮(二)

 考えあぐねた末に、一つ妙案を思いついた。

 三弦さんげんの名手と噂を聞き、習うために招いたという言い訳はどうか。


 三弦とは、大蛇の皮で覆った木製の丸い胴と、細長く平たい竿を持つ弦楽器のことだ。竿に張った三本の絹糸を、指や銀杏いちょうの葉の形をしたばちで弾いて音を出す。

 琴と共に奏されることが多いので、合奏を頼むのもいいかもしれない。


(熱心に教えを請うあまり、ついつい足止めしてしまって……とか)


 あまり長期に渡ると無理が生じるものの、肩書ばかり立派な成人したての公主こうしゅが同性の愛人を囲うよりは、まともな理由なのではないか。


(とにかく、まずは藍明らんめいに会わないと)


 こういう時、いつもなら真っ先に頼るのは寧珠ねいじゅだが、今回ははばかられた。乳母めのととして赤ん坊の頃からずっとルドカの世話をしてきた彼女は、実母よりも近しい存在であるため、過保護もいいところなのだ。遊花街いろまちの情報を探ってほしいなどと言ったら、泡を吹いてひっくり返りかねない。


 華瞭原かりょうげんにおいて遊花街といえば、宴席を設けて芸妓や娼妓と遊ぶための店が軒を連ねる、艶めいた界隈にほかならなかった。国の王都・白麟はくりんにも当然、近隣のまちとは比べ物にならないほど大規模で華やかなそれが存在している。


 手前と奥に門が二つあり、手前の「花街」と扁額へんがくに書かれた青い門は、女性や子供も入っていいことになっている。王都内では遊花街にしか逗留できない旅芸人が、門近くの広場で興行を行うからだ。奥にある「遊里」と書かれた緑の門の先へは、男性しか入ることができない。


 王都は広いので、遊花街は西と東にあった。旅芸人の逗留は一つ所に三日までしか許されていない。セツが「転々としている」と言ったのは、この東西を行き来しているという意味だろう。

 今はどちらにいるのかを、まず調べなくては。


 王太子の名で呼び出したらどうかと、一瞬考えてはみたが、人質になることがセツの指令であると藍明に伝えなくてはならない。他者に任せれば漏洩の危険が生じる。やはり自ら迎えに行く必要がある。


 ルドカは起き上がり、寝台からそっと抜け出て、室内履きに素足を入れた。

華月天心かげつてんしん〟の名を聞いたことがあるか、世情に通じた女官たちに尋ねようと思ったのだ。寧珠は昼餉ひるげの支度に向かったから、動くなら今のうちだ。


 とばりの間から抜け出ると、花窓はなまどの向こうから談笑の気配が伝わってきた。

 居残りの女官たちが敷物を広げ、繕い物をしているのだろう。いつもならこの時間帯、ルドカは文机に向かって書を読んでいる。彼女たちにとっては寛ぎの時間なのだと思うと、向かう足が自然に遠慮がちになった。


 美しい格子の組まれた円形の花窓は、冬の間は桐の油を沁み込ませた紙を張っておくが、桃の節を過ぎると紙を剥がして風通しを良くし、夜間は絹織物を吊るすことで冷気を凌ぐ。今は昼間なので開け放たれており、近くに寄れば外の会話がよく聞こえた。その中に自分の名が出てきたので、ルドカは思わず息を潜めた。


紅玲こうれい様、ルドカ様を軽々と抱き上げて、本当に素敵だったわね!」

「私、思わず悲鳴を上げて倒れるところだったわ」

「身長差が丁度いいのよね。ルドカ様も武芸の鍛錬を積まれてはいらっしゃるけれど、紅玲様に比べるとずっとお小さくいらして華奢きゃしゃだし」

「‶月下恋情〟を思い出しちゃった」

「そのお芝居、私もこの間のお休みに、ついに観てきたの。公子は中性的で儚げだし、護衛官の青年がたくましい美丈夫で、すごく素敵だったわ!」

「あら、公子の方を見たのね。私は公女よ」

「どちらも見た方がいいわ。筋は同じなのに、仕草や台詞の細部が違っていて、見比べるとすごく面白いのよ」


 一体、なんの話をしているのだろう。


あるじが伴侶を得ても互いに秘めた恋情があるというのがいいわよね」

「異性なら愛人になれたかって護衛官が苦悩するところ、最高じゃない?」

「むしろ異性じゃないからいいのに!」

「そうよ。男女の関係なんて家だの跡継ぎだの、現実的すぎて興醒めだわ!」


 同性愛こそ純愛よ! と盛り上がる声を背に、ルドカは忍び足で寝台に戻った。

 紅玲が何を言いかけたのか、わかった気がする。


(同性同士の恋物語のお芝居が、ちまたで人気なのかしら……?)


 しかも公子と公女、両方の筋書きがあるらしい。

 同性の愛人を囲う問題で悩んでいる時に、奇妙な符合に感じる。

 セツの顔がちらりと脳裏に浮かんだ。

 芝居も旅芸人が行う芸の一つだ。


(……まさかね)


 気を落ち着けてから、ルドカは改めて寝台を降りた。

 今度はわざと足音を立て、くしゃみの真似事をし、咳払いまで付け加える。

 帳を割ると、花窓の格子越しに、立ち上がった女官たちの顔が並んでいた。

 ルドカはにっこりと微笑んだ。


「目が覚めてしまって退屈なの。あなたたち、最近の王都では何が流行っているか、面白い話があったら教えてくれない?」

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