《幽鏡》のドロレス(3)

「えっ」


 思わずわたしは顔を上げる。質問?


「そう、質問。アタシも考えなしにいろいろ質問しちゃったからさ。ここはひとつ情報交換ってことで」


 言って、ドロレスはまたけらけらと笑った。


「知りたくない? アタシの固有術理とか、弱点とか。アタシに答えられることなら、なんだって教えちゃう。すごくない?」


「すごい」


 すごい、とは思ったけれど、でもそれは、「目の前の女の子が何だか急にわけのわからないことを言い出した」際に出てくる類のだ。


 だって、ふつう、固有術理の情報は「知りたくない?」で喋っていいものではない。術理は魔女の生命線であり、研鑽の結晶だからだ。

 そういう意味で、わたしの呪爪つめについて根掘り葉掘り聞いたドロレスの行為は礼儀に欠けるものだと言えたけれど、大昔に廃れた付与呪術の応用と、〝忌み名〟の術理開示とでは、全くもって天秤の釣り合いが取れない。

 例えるなら、偶然誰かのスカートの中を覗いてしまったお詫びに、着ている服をいきなり全部脱ぎだした感じだった。


「えっと、うーん……」


「ほらほら、魔術のこと以外でも良いんだよ? 誕生日とか、好きな食べ物のこととか」


 ドロレスは飼い猫にそうするように、両手を広げて笑顔を作る。わたしは別に彼女の飼い猫でもなんでもなかったので、彼女に抱きつく代わりに腕を組み、少しのあいだ自分が質問すべき事柄について考えた。


 それまでに話した感触から、ドロレスが損得の勘定をしない、あるいは出来ない種類の人間では無いことはわかっていた。

 どちらかといえばむしろその逆、ドロレスというぴかぴかに磨かれた鏡は、映し出された以上のものをこちらには与えないもののように思えた。


 その証拠に、彼女の銀色の瞳の奥には特定の種類の光が宿っていた。

 いつかどこかで見たことのあるその光は、魔女というよりは、商人を思い起こさせる。故郷の村に日用品や生活必需品を売りに来ていた、やり手の行商人たちだ。

 彼らはみな愛想がよく、はきはきと喋り、けれど余計なことはひとつも言わず、不釣り合いを許さない。金貨と天秤を信奉し、過剰すぎず、けれど何かが足りないということもない。


 彼女の瞳の奥底には、そういった光というか匂いのようなものが漂っていて、それがどうにも警戒心を喚起させた。

 端的に言えば、白錆の魔女ことドロレス・ホワイトは――彼女のありようが良いか悪いかは別として――なんだかちょっとだけ、うさん臭かったのだ。

 

 そんな彼女が、古臭い付与呪術と自らの固有術理の情報を天秤に掛ける、ということが何を意味するのか。わたしは幾ばくかの逡巡ののち、ひとつの結論に至った。

 彼女の中では損得が釣り合っているということだ。


 つまるところ彼女の固有術理は、原理がわかったところで対処出来なければ意味が無い、そういう類いの魔術であるということ。

 あるいは、

 そうであれば、その理を知ることは、実質的にあまり価値の無いことだと言えた。


 であれば、わたしは、それよりはもっと実入りのある質問をすべきだ。王立学院ミスカトニック代表チームそのものの弱点や、そんな大それた情報でなくとも、何か我々にとって有利な情報を。


「……ニナちゃんさあ」


 ドロレスは少々呆れた表情で、考え込むわたしに声を掛ける。わたしは思考を中断して、彼女の呼びかけに答えた。


「はい?」


「アタシたちは魔女である以前に、女の子なんだよ? わかる?」


 自分自身とわたしを交互に指差して、ドロレスは眉をしかめる。


「わかると思います」と、わたしは答え、考え、そして尋ねた。「……つまり?」


 我々が女の子であることは、まあわかる。わかると思う。けれど、ドロレスの質問の意図だけがよくわからなかった。女の子だから、なんなのだ?


 ドロレスは大げさにため息をつき、「だいぶ変わってんなあ、この子」と小さな声で言った。それから肩をすくめて笑う。


「……なにもニナちゃんとなにかを取引ディールしようってわけじゃないの。女の子なら、用がなくたって、実利がなくたって、おしゃべりしたいときがあるじゃん、ってこと。たまにはアタシたち魔女だって、『ワオ! わたしの魔術を見られちゃったわ!』『とってもいい魔術ね、ニナ!』『ねえドロレス、あなたの魔術はどんなのかな? 見せてちょうだい。仲良くしましょうよ!』……って感じの時があっていいと思うの。素敵じゃない? そういうの」


 早口で小芝居を交えながらドロレスはそう言い、小山羊のベルのようにまたからころと笑った。

 気になったのはドロレスによるわたしの物真似のあまりの似ていなさで、だって、わたしは大袈裟に口元を両手で隠して「見られちゃったわ!」なんてことは、多分人生で一度もやったことはない。


 けれどでも、ドロレスの言わんとしていることは――自分の切り札をガールズ・トークのにしようとしていたこと以外は――理解できなくもなかった。それもあくまで、ナコト先輩の一件がなければの話だったけれど。


「いえ、あんまり……」


マジThat'sウケるepic.


 ドロレスの笑顔は、額装して飾っておきたいくらいの毒気のないもので、だからこそわたしはひどく混乱した。

 わたしはわたしの中のドロレスの分類を、「とても話しやすく油断ならない人」から「とても話しやすい変わった人」に変更し、それからまた、質問すべきことを考えることにした。

 ドロレスはどうやら本当にただ世間話がしたいだけらしく、それならばわたしも変に緊張する必要はない。

 肩の力を抜き、今度はできるだけ〝女の子〟性のある、砂糖とスパイスの効いた話題が望ましい。


 でも、それは上手くいかなかった。いつだってそうだった。


 わたしの頭の中のクローゼットには引き出しがたくさん付いていて、他の人びとと同じようにちゃんと話すべきことが詰まっている。

 けれど、特にこういった、「今から誰かと仲良くなろう」という場面において、その引き出しは強固に口を閉ざしてしまう。

 引き出しの中身が入っているのはわかっているのに、そのすべての立て付けが狂ってしまうのだ。がちゃがちゃと引っ張ったってゆすったって、ちっとも開いてくれない。


 そんな風だからわたしの友だちは極端に少なくて、それは代表箒手になったところで急に変わることでもなかった。

 ロバを旅に出したって、一角馬になって帰ってくるわけではない。ちょっとタフになったからといって、ロバはうんざりするくらいにロバのままなのだ。

 どうしたらわたしは、ドロレスや、アリソンや、アビゲイルみたいに、誰にも分け隔てなく、柔和に朗らかに笑うことができるのだろう。


「……オーケイ、じゃあ、ゴシップの話をしましょうよ」


 途方に暮れるわたしを見かねたのか、ドロレスは言う。


「〝血のいばら〟の話、とかね」


 ドロレスの頬に、いたずらな笑顔が浮かぶ。

 なるほど確かにそれは今、一等賞のゴシップだった。とびきり話題性があって、とびきり時事性がある、たったひとつの話題。


「……何が言いたいんですか?」


 わたしはドロレスに尋ねる。

 とげのある言い方になってしまったけれど、腹が立ったものは仕方がない。

 自分たちで乗り込んで来ておいて、ゴシップだって? そう叫び出したいのを堪えるわたしに、ドロレスは飄々と答える。


「何か言いたいのは、ニナちゃんのほうじゃないかな? それに、何か聞きたいのも」


 どうやら、それがドロレスの本題のようだった。固有術理や仲良くおしゃべりなどというものは彼女にとって話のとっかかりに過ぎず、彼女は〝血のいばら〟騒動についてわたしと何らかの話をしたいのだ。

 恐ろしく回りくどいその語り口は、どこかのを連想させたけれど、彼はドロレスよりももう少し直截的だ。


 でも確かに、それはわたしの聞きたいことでもあった。

〝書架〟の魔女たち、王立学院の代表箒手のその一角たるドロレス・ホワイトに、わたしは問いたださなければならない。


「……ドロレスさんは、どう思っているんですか? ナコト先輩が、〝血のいばら〟だっていう件について。ねえ、あなたたちは一体、どういうつもりでここにいるんですか?」


「なるほど?」とドロレス。「どうっていうのは、つまり?」


「……ジュディスさんは、ナコト先輩が本当は〝血のいばら〟でなかったとしても、王立学院が正しいって――」


 わたしは、止まり木でのジュディスとの会話について、ドロレスにかいつまんで説明した。


「ウケる」


「冗談じゃない。ねえ、ドロレスさん。人ひとりの人生が、どうにかなるかもしれないんですよ?」


「いやあ、確かにその言い草はジュディらしいなって。めちゃくちゃ頑固だったでしょ、あの子」


 ドロレスはからころと笑う。

 どうして彼女がそんなに朗らかに笑っていられるのか、理解できなかった。

ナコト先輩が、〝血のいばら〟であるはずなんてないのに。無実の罪で、どこかに連れて行かれるかもしれないのに。

 

「まあ、でもニナちゃんの聞きたいことは大体わかった。つまり、アタシがアタシたちのやっていることについて――ひいては王立学院の、《柩》ナコトが〝血のいばら〟だって判断そのものが、正しいことだと思っているのかどうか知りたいわけだ。そうだよね?」


 概ねその通りだと、わたしはうなずく。苛立ちを抑えるのは結構な苦役だったけれど、歯を食いしばって我慢した。

 ついさっきまでジュディスに言ったことを後悔していたのに、一時間と経たずドロレスにまで食ってかかったら、もうそれはただの怒りっぽい馬鹿だ。


 ドロレスは顎先に人差し指を当てて、遠くを見つめた。何からどう話すかを思案しているようだった。


「前置きとして、アタシは鉄棺の魔女のことを、ほとんど知らないの」と、ドロレスは言った。


「彼女が王立学院に居た頃、アタシは忌み名を持たない普通の生徒だったし、〝書架〟の魔女でもなかった。誰もが認める天才の、《柩》のナコトとは住む世界が違ったのよ。……それでもアタシはめちゃくちゃ頑張って、〝書架〟の学徒になれた。忌み名も貰えた。けれど、そのときすでに《柩》のナコトはニナちゃんの学校に転校してしまっていた。だからアタシは彼女の人となりなんて全然知らない。その点でジュディとアタシは全く違う立場ね」


 そこまで喋ってから、ドロレスは息をついた。鼻から短く、空気を捨てるみたいに。

 わたしの目を見て、柔らかく笑い、言葉を続ける。


「その上で、あえて言うなら――どちらでもいい、かな?」


「どちらでもいい?」


、って言い換えてもいい」


 我慢の決心が、眉間の谷底に崩れ落ちそうだった。


「そんな怖い顔しないでよ」と、ドロレスは笑う。


「でも、そんなもんじゃない? 第三者っていうのは。アタシたちは頼んでもいないのに生まれてきてしまった巨大な空洞で、そのほら穴を意味と刺激で埋めるためにここに居るんだよ。倫理とか責任とか正義? なんかそういうものって、よくわかんないな。アタシとしては、この人生を埋め立ててくれるなら、どんな享楽だっていい。……堅物のジュディはどう言っていた? 静寂の魔女、《嵐》のジュディス。彼女は面白がってはないだろうけど」


「……『王立学院が決めたことだから、それに従う』と」


 わたしには、ドロレスのことがよくわからなくなっていた。

 ジュディスはまだわかる。とても苦しそうにしていたからだ。わたしはそれを「くそ馬鹿」だと罵ったけれど、ジュディスはジュディスなりに考え、友人と学院を天秤にかけ、その上で組織に従うことを決めていた。

 でも、ドロレスの言うことは、どんなに頭を捻ったって理解できなかった。

 同い年の女の子が、大きな力でどうにかされようとしていることが、どちらでも面白いだって? 舞台の演目のように?


「じゃあニナちゃんはどうすんの?」


 不意に、ドロレスが言った。


「……わたし?」


「そう、あなた。……もしかして、最後までそうやって怒って、それっぽいこと言ってるだけかな?」


 ドロレスもまた、わたしのことが理解できない、という顔をしていた。


「ニナちゃんがアタシやジュディに怒るのは、まあわかるよ。薄情に見えるもんね? でも、ニナちゃんとジュディのやってることって、何か違うの? 何もしないで『ナコト先輩は〝血のいばら〟じゃない〜』って言ってるだけなら、それは王立学院に諾々と従うことと、一体何が違うの?」


 ドロレスの顔からは、ベルの笑顔がすっかりと消えてしまっていた。彼女がこちらに一歩足を踏み出すと、切り揃えられた暗緑の前髪がふわりと揺れる。表情のない両の瞳には、鏡のようにわたしの顔がふたつ、像を結んでいた。

 

「ねえ、ニナちゃん自身は、どうしたいの?」


 鍋に放り込んだ水薬をじっと観察しているような目つきだった。


 意味と刺激。


 ドロレスが何をしたいのか、何のつもりで話しかけてきたのかが、ようやくわかった気がした。

 彼女はたぶん、わたしを焚き付けたいのだ。親しげに話しかけ、神経を逆撫でし、迂遠に誘導して、わたしという人間に役柄を持たせたがっている。演目を動かすための役柄を。


 でも、それとは別に、わたしにだってやりたいことはあった。ドロレスが楽しいかどうかなんて関係ないけれど、彼女の言うことにだって一理はある。ナコト先輩に無実の罪がなすり付けられようとしているのなら、黙って見ているわけにはいかない。

 わたしはドロレスの眼を見返して答える。

 

「ナコト先輩と、話がしたい」


 ナコト先輩がどうしたいのか、何を思っているのか。まずはそれが知りたかった。


「会って、どうしたいのか、どう思ってるのか、聞きたい」


 彼女がどうしたいのかさえ教えてくれるなら、わたしはそのためにどんなことだって出来ると思う。

 彼女が戦うと言うのなら一緒に戦うし、逃げ出すと言うのならいくつだって街を飛び越えて飛ぼうと思う。

 ドロレスの言葉を借りれば、空っぽだったわたしに意味と刺激を与えてくれたのは、ナコト先輩その人なのだから。

 今度はわたしが彼女を助ける番なのだ。


「それは、無理ですよ」


 背後から声がした。毒をしたたらせた、花のような声。


「ねえ、先輩。それは無理なんです」


 エルトダウン・アレクシア・フォン・ユンツト。〝書架〟の学徒、荼毘の魔女。

 ナコト先輩の妹。


 振り返ればそこに彼女が立っていて、歳からは考えられないくらいに妖艶に笑っていた。


「先ほど、学院長閣下との協議のもと、ナコト・ヴィルヘルミナ・フォン・ユンツトの身柄の移送が決定されました。それまでの間――姉さまは誰ともお会いになりません」


 ドロレスの姿は来たときと同じように忽然と消えていて、あとにはわたしとエルトダウンだけが残されていた。

 夜の森の風はぬるく、じっとりとわたしの頬を撫でた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

NiNa2 ~ニナ・ヒールドとミスカトニックの白い魔女~ 逢坂 新 @aisk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ