(2)身体を重ねる

 清潔せいけつな匂いがするパリパリのシーツ、

床に脱ぎ捨てられたスーツと下着、

汗で張り付き合う熱い肌、

体をまさぐる深爪の指先。


何もかもが懐かしく思えた。





 セックスなんていつぶりだろう、

半年近くは経つかな。


最後にシャワーを浴びたのは朝、…汚くないかな。





「…スミごめん、もういい?」


「うん、…もう充分。ゴムある?」


「あ、やべ…」


「…生でいいよ、アフピルあるから」


「…ありがと」





 リョウは一度起き上がり、私におおかぶさる。


性器同士が触れ、

位置の確認ができたのかゆっくりと入ってくる。


すんなりと奥まで届くとリョウは止まり、

右手で私の頭をでた。


熱い吐息が胸に掛かる。





「痛く、ない?」


「大丈夫、動いて」





 正面に見える細い腰は、

ゆっくりとなまめかしく動き始める。


快楽に声が漏れ、

羞恥心からシーツを握りしめてしまう。


徐々に熱を上げて動くその腰を両膝で抱くと、

シーツを掴む手を細い手が包み込んだ。





 交わる吐息、生温なまぬるい空気感、優しい触れ方。


変わらない、私達は何も変わってない。


結婚しても本質が変わらないのなら、

リョウになら抱かれていいよ。









 酒の空き缶とゴミ袋が散乱した部屋、

蚊取り線香と生ゴミ臭の混じったニオイ、

スウェット姿で飲酒に明け暮れる母親。


夏の日常的な風景だった。





 不貞の末の子として生まれた私は誰からも愛されず、

幼い頃からほとんど独りで生きてきたと言っても過言じゃない。


小学生の身で深夜に出歩いても、

母は「むしろ清々する」と咎めることはなかった。





 その日も例外なく深夜に出歩いていた。


距離は徒歩15分ほどの公園、

今日は珍しく先客の存在があった。


街灯が照らさない位置のベンチ、

同い年くらいの男の子。


彼はうつむいて、肩を震わせていた。





「ねえ、大丈夫?」


「!」





 興味で声を掛けると、

こちらに顔を向けてキッと睨んできた。


構わず男の子の隣に座り、

ポケットからハンカチを取り出す。


彼は泣いていた。





「私、3年生の澄香すみか。顔拭いていいよ」


「…2組の遼介りょうすけ。ありがと…」





 ぶっきらぼうにハンカチを受け取り、

名前を教えてくれた。


この日から私達は始まった。





 以来仲良くなり、

お互いの境遇も自然と知っていった。


アル中のうちの親、恋愛脳な遼介りょうすけの親。


共通点はシングルマザーであることと、

ネグレクト家庭であること。





 親に見放された者同士、

なんとか生き抜いてきた。


朝方の歓楽街かんらくがいで落ちた札をネコババして、

そのお金で一緒にご飯を食べたり、

万引きで手に入れた文房具で一緒に勉強をしたり。


最低な生活だったけど、最高に楽しかった。





「今日うち親いないから来なよ」


「最近多いね。彼氏んとこ?」


「じゃね?」





 警察のお世話になることもなく、

私達は惰性だせいを抱えて中学生になった。


この頃は遼介りょうすけの親が家に帰らない日が増え、

外よりも彼の自宅で過ごす時間が多くなっていた。


今日も例外じゃない。





 19時半、宿題を済ませてゴロゴロと漫画雑誌を読む。


女性向けの漫画雑誌、恐らく遼介りょうすけの母親の私物。


その辺に落ちていたという理由だけで勝手に読んでいると、

展開は不思議な方向へと進んでいく。





「…」


澄香すみか?」


「えっなに!?」





 不意に名前を呼ばれ、漫画を閉じて返事をする。


心臓が強く跳ねていて、

自分がどんな顔をしているのか分からない。


対して遼介りょうすけは片手にボウルを持ち、

私の反応を不思議そうに見る。





「いや…お腹空いたからなんか作ろうと思ったんだけど、澄香すみかも食べる?」


「あ…食べる」


「りょー」





 返事と共に背中を向け、冷蔵庫を開ける遼介りょうすけ


10個パックの卵を開封し、4つ手に取ると冷蔵庫を閉めた。


呆然と遼介りょうすけが料る背中を見つめながら、

漫画のシーンを思い返す。


はだかの男女が抱き合って、何かをしていた。


「愛してる」と言い合ってた。





「…ねえ遼介りょうすけ


「なに?」


「好きな相手とすることって…何?」


「えっ」





 ビックリしながらこちらを振り向く遼介りょうすけ


卵を解いていた菜箸さいばしはボウルから離れ、

卵液らんえきが床にゆっくりとしたたる。


遼介りょうすけはバツの悪そうな顔で目を逸らし、呟く。





「キス…とかじゃない?」


「キス…かぁ」





 初めて感じた生温なまぬるい空気感、

このとき私達は無意識的に性への興味が芽生えたんだと思う。


家庭環境故にとぼしい性知識、

私の頭では「はだかの男女が抱き合いながらキスをする」というのが愛情表現として補完された。





 高校生になり、勉学とバイトに明け暮れる生活が始まった。


他校になっても遼介りょうすけとの仲も変わらず良くて、

家庭環境も悪い意味で変わらない。


けど遼介りょうすけは親が再婚し、居場所がない状況だった。


子供ができたんだって。





 平日はほぼ毎日、

私服で待ち合わせた遼介りょうすけと安いホテルに泊まる。


このとき年齢確認や身分証明が必要のないラブホテルは、

私達が最も安らげる場所になっていた。





 埃っぽいラブホテルの室内、

2人でソファーに座って宿題をする。


場所が変わってもすることは変わらない。





「…澄香すみか、相談していい?」


「なんかあった?」


「女子に告られた」





 一瞬、時間が止まる。


正直そんな日が来るのは分かってた。


けどいざ目の前にお出しされてみると、

今自分がどんな顔をしているのかが分からなくなる。


遼介りょうすけを恋愛的に見たことなんてないって心から思っていたはずなのに、

なんでこんな気持ちになるの?





「…その女の子、好きなの?」


「好きかは知らないけど…顔はまぁ」


「良いじゃん、付き合えば」


「…澄香すみか?」


「宿題疲れた!お風呂入ってくる!」





 ソファーを立ち、早歩きでバスルームに向かう。


名前を呼ばれて耐え切れなくなったのだ。


洗面台に脱いだ服を置き、

バスルームに入ってシャワーを出す。


水垢でくすんだライトが水飛沫みずしぶきに映り、

薄暗い浴室が眩しく感じる。





 お風呂に入って頭を冷やせば、

またちゃんと遼介りょうすけと話せるはず。


大丈夫、遼介りょうすけのことが好きなわけじゃない。


一緒に生き抜いてきた、大切な幼馴染ってだけ。





 洗い終わると少しスッキリしていた。


熱気で汗をかく前にバスルームを出て全身を拭き、ここで気付く。


…下着を忘れた。





 先程まで身に付けていた下着を再度使うのも嫌で、

渋々そのままバスローブを着る。


遼介りょうすけがお風呂に入ってる間に着ればいい。


そう思ってそのままバスルームを出た。





遼介りょうすけ、次お風呂いいよ」


「…うん」





 重たい声色で返事をする遼介りょうすけ

ここからでは顔が見えない。


ピリついた空気を肌で感じながらも、

気付かないふりをして隣に座る。


遼介りょうすけは私と顔を合わせなかった。





「どうしたの?」


「…澄香すみか、セックスしたことある?」


「は、」





 頭をフルスイングで殴られたような衝撃が走る。


理解が追いつかない。


セックス…性別セクシャルじゃない、

これは繁殖行動プレイの方?





 ゴチャゴチャと考えていると、

遼介りょうすけはこちらを向いていた。


隣で上目遣うわめづかいで、どことなく寂しげでうらめしげに。





「…あるわけないじゃん」


「俺もない。だからさ」





 肩を強引に掴まれ、顔が近付く。


遼介りょうすけはこんな、

変な冗談を言わないって分かってるし、

私に対して恋愛感情も性感情も持ってないことは分かってる。


何より、誰よりも「恋愛」を嫌ってることも知ってる。





澄香すみか、しようよ」





 全部分かってる、つもりだった。

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