一陣の風

 この日、洸太郎は予定を変更し、水源寺へは夜に行くことにした。


 朝の中継を見る限り、日中は神社の周りには報道陣と、報道を見た一般人がまだ集まっているのではないかと思ったからだった。


 今この神社に入るとなると、見つかれば朝の報道のように、様々な質問を浴びせられることは目に見えている。


 高木があれだけ頭を下げて場を収めようとした姿を見た手前、洸太郎は高木に迷惑が掛かることを極力避けたかった。



 瑠奈、大介、千歳の三人は、十七時頃に洸太郎の家に来る予定になっている。


 異常気象に続いての緊急事態で、未だ学校は休みのまま、企業も場合によっては自宅待機を余儀なくされたところも多くあった。



 雨は日常とともに姿を消し、代わりに不安や恐怖を、この世界に降らせていた。



 日中、洸太郎は家のリビングで家族と過ごした。


 過ごしたといっても、ただ同じ空間に居るだけと言う方が正しいのかもしれない。


 普段は扉を開けるだけで感じていた、忠の淹れたコーヒーの香りも、今日はどんなに大きく息を吸っても、嗅覚を刺激することはない。


 終始無言のまま、テレビの音だけがBGMのように、部屋の中に響き渡っている――。



 家の中がここまで静かになるのは、洸太郎の記憶にないことだった。


 いつも誰となく話し始め、気が付けば家族全員で会話をしている。


 それが木船家の「日常」だったのだ。


 朝方、あれだけ騒いでいた彩美でさえも、今はぼんやりと一点を見つめている。


 洸太郎の目には、その姿がほんの少し前の自分のように映っていた。



 今でこそ冷静を装っているが、洸太郎も高木の話を聞き、雨の種を実際にこの手にするまで、雨が降り止むことなど考えもしていなかった。


 少しとはいえ心の準備が出来ていたからこそ、こうやって静かに報道に耳を傾けることが出来ているに過ぎない。


 そうでなければ頭の整理が追い付かず、言葉は何の意味も持たないただの音として、右から左へと抜けていただろう。


 そして、「この先の可能性」を知っている洸太郎は、報道されている内容をしっかり確認する責任があるとも感じていた。


 どの番組も、街の混乱やコメンテーターによる「予想合戦」が繰り広げられていたが、幸いにも、今日の空は朝から厚い雲に覆われており、日中も日差しが指し込むこともなかったため、高木の言う「人類の進化」に対する被害はまだ報道されてはいない。


 しかし、いつその報道がされてもおかしくない状況であることに変わりはなく、画面上に『速報』と入るたび、洸太郎は気が気ではなかった。



 時刻はまもなく、待ち合わせ時間の十七時に迫ろうとしていた――。




 ピンポーン――……



 部屋に響いたその音を聞き、洸太郎は席を立った。


 インターフォンのモニターに、三人の表情が映し出される。


 洸太郎はモニター越しに「今行く」と言って、そのまま玄関へと向かった。



「よう……大丈夫か?」



 開口一番、大介は言った。



「僕は大丈夫だけど……」


 そう言って、洸太郎はリビングへと視線を送る。


「……そっか、うちも同じだ。俺以外、誰も口を開こうともしない。誰だって、この先どうすればいいのか、わからなくなるよな。まぁ……俺らだって、例外じゃないけどさ」


「そうだな」とだけ言って、四人で洸太郎の部屋へと向かった。


 瑠奈と千歳の表情からも、どの家も同じ状況なんだろうな――と洸太郎は思っていた。



「洸太郎。あれ、見せてもらっても良いかな?」



 部屋に入ると、座ることもなく、瑠奈が洸太郎に尋ねた。


 洸太郎は小さく頷き、机の引き出しを開けると、ガラスの保存容器に入れていた雨の種を取り出す。



「これが『雨の種』……」



 容器の蓋を開けると、種は中身を揺らしながら、部屋の電気を反射した。


 三人は洸太郎が手にした時と同じく、雨の種をじっくりと観察していく。


 触ったり、持ち上げたり、中身を透かして見たり――


 確認出来そうなことは一通り行ったが、昨日から変わったことは一つもなかった。



「こんなに小さい種から、神木様が……。実物に見ると、余計に信じられないね」


「これが世界中に雨を降らせるなんて思えねぇよ」



 千歳と大介は実物を見ても不安や恐怖を思わせる表情を浮かべることもなく、洸太郎と同じ感想を、二人揃って怪訝そうな顔をしながら言った。


 仮にこれがどれだけ信憑性の高い物であっても、今これを「これが雨を降らせる種です」と言っても信じる人はまずいないのだろう。


 高木のインタビューを見ている時、あの報道陣の前でそう堂々と言ってやろうかと幾度となく思ったが、むしろ、「この事態を軽んじている」と非難の的になることは容易に想像が出来た。


 二人の反応とは対照的に、瑠奈の表情は硬い。


 頭ではわかっていたことでも、いざ自分の目で現実を見ると、心と身体は相反する。


 ここ最近、洸太郎が何度も経験していたことで、瑠奈の気持ちは痛い程よくわかる。


 そう考えると、大介と千歳の胆の座り方は幼馴染ながら尊敬に値した。



「瑠奈、平気?」


「あ……、うん。その、あれだね。なんだか実感が湧かないっていうか」



 窓の外と同じように、瑠奈の表情は曇っていた。


 表情は時として、言葉以上の表現力を持つ。


 瑠奈は苦笑い一つでさえ、作ろうと意識しなければ上手く出来ない様子だったが、その表情が、瑠奈の感情を詳細に伝えているようだった。



「それで洸太郎……、これから、行くんだよね?」



 瑠奈は自分の不安を打ち消すかのように、力強く洸太郎を見て言った。



「うん。たぶん、今から日差しが出ることもないだろうし……ここにいても何も始まらないしね」



 その時が来たことを知ると、一瞬、三人の視線が泳ぐ。


 一拍の間を設けた後、洸太郎は雨の種を大事に抱えて立ち上がり、再び視線を一つにする。



「みんな、行こう!」



 洸太郎の言葉に三人も頷いて立ち上がり、四人は一緒に部屋を出た。


 世の中が不要不急を謳う中、忠と麻里に止められないよう、四人は足音を立てないように階段を降り、静かに玄関の扉を閉める。



 そして四人は、雨のない世界の中で、水源寺へと向かったのだった――。






 ――雨が降り止み、一部の地面が乾き始めた。


 高木は一人、神木様に語り掛ける。



「この地面が乾く時、その魂も浄化されるのでしょうか――」



 静寂の中、緑の間を一陣の風が吹き込む。


 木々の葉が、これが答えだと言わんばかりに、風に吹かれて囁き合い、辺りは穏やかな葉の音色に包まれる。


 その音を遮るものは、もう何もない。



「長い、長い歴史とともに、どうぞゆっくり、お休みください」



 高木はそう言って上を向き、そっと目を閉じた――。

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