幼馴染と木山瑠奈

「どれどれ、今年のクラスは……」



 学校に着くと、洸太郎は早速、掲示板に貼られているクラス分け表を見に行った。


 これが新学期最大のイベントといっても過言ではない。



「えーっと、どこだ……、あ、あった。今年は三組か――なんだ、大介も一緒か」


「なんだとはなんだ。もっと喜べ」



 同じクラスには他に誰がいるのか確認したかったが、時間が経つにつれ掲示板付近は賑わいを増す一方だったので、二人は人混みをかき分けながら早々に三組へと向かうことにした。


 足早に階段を上り、二年三組を目指す。


 学年が変わると使用する下駄箱やフロアも変わるので、一年間通っていた学校のはずが、いつもと違うように見える。

 

 心なしか、学校の空気も変わっていて、この空気を吸いながら教室が近づくと、心拍数が上がっていくのを感じた。



「洸太郎はさ、知ってる人が多いクラスと、知らない人が多いクラスだったらどっち派?」


「派とかはないけど、強いて言うなら……知ってる人が多い方が良いかな。クラスにも直ぐに馴染めるし」



「だよなー。ま、大抵思ってるのと、逆の結果になるんだよな」



 期待値とは即ち理想であって、高ければ高い程、求めている結果に届かないというのは良くある話だ。


 そうとはわかっていても、脳が勝手に期待してしまうのだからしようがない。


 

 ――今年はどんなクラスなのだろう。



 期待値を高めている洸太郎の脳は、三組の扉を開けるよう右手に指令を出した。


 ガラガラと扉をスライドさせると、既に新三組のメンバーが中に多く入っており、複数の小さなグループになって、和気あいあいと会話を楽しんでいる。


 一見した限り、一年の時に同じクラスだった人、小学校、中学校が同じ人など、顔見知りの人が数多くいるようだった。


 珍しく期待に近い結果に少し驚いたが、これならクラスにも早くに馴染めそうだと、洸太郎は安心した。



「良い意味で裏切られたな」



 大介がクラスを見渡し、口元に笑みを浮かべながら言う。


 あんなに「いつもと変わらない新学期」と平常心で言いつつも、この瞬間の胸の高まりは、どうやら大介も同じらしい。



「一年間、よろしく頼むよ」



 ようやく心と身体が一致した、そんな瞬間だった。



 レインウェアをロッカーに掛け、鞄を自席の上に置くと、同様の動作を一通り済ませた大介が席に来た。


 そして、大介が何かを言いかけた一瞬前に、後ろから喜びという感情を全て言葉に乗せたかのような声が聞こえた。



「こうちゃん! だいちゃん!」



 洸太郎が振り返ると、今朝の忠の笑顔にも負けない嬉々とした表情がそこにあった。


 高校生の朝にも、あの笑顔は出来るのか――と洸太郎は驚いた。



「まさか二人とも同じクラスなんて!」


「「ちぃ!」」




 図らずとも、二人は声を合わせた。


 永野千歳ながのちとせ。大介と同じく、幼稚園からの幼馴染である。


 千歳は俗にいう「ほんわか系」で、化粧も薄く幼さの残る顔は、昔とほとんど変わっていない。


 内気な性格もそのままで、「高校デビューする」と肩にかかるくらいの長さの髪を高校入学とともに金色に近い色に染めた時は、しばらくの間、他人の視線を気にするようにキョロキョロしながら歩くほどだった。


 千歳も大介も、家が近いので昔からよく遊んでいたが、三人が同じクラスになるのは幼稚園の卒園以来、実に十年振りになる。


 千歳は先程の声量が自分の予想より大きくなってしまったのか、耳を赤くし、少し恥ずかしそうに辺りを確認しながら、それでいて興奮を抑えきれないといった表情をしている。


 クラス数の少なかった小学校時代からずっと別々だったので、この三人が同じクラスになるとは、正直考えていなかった。



「やっと一緒のクラスになれたね」


「クラス分け表を見た時、私、驚いて何度も跳ねちゃったよ」



 洸太郎は人混みが凄すぎて、じっくりクラス分け表を見られなかったこと、同じクラスになれた記念に、帰りは『カフェ忠』に一緒に行くことなど、短い時間に一気に色々な話をした。


 早くに教室に入ったはずだったが、あっという間に朝のホームルームを知らせるチャイムは鳴り響く。



 今年は忘れられない一年になる――洸太郎は心底そう思った。



 チャイムの余韻がまだ残っていたが、間もなくして扉が開き、担任の松木が入ってきた。



「お、松木じゃん。ラッキー」



 そんな声が、どこかから聞こえた。



「よーし、じゃあホームルームを始めるぞ。起立しろー」



 今日は新学期初日ということもあって、「気を付け」「礼」の号令も、松木が担当した。



「三組の担任になった松木です。新しいメンバーで、まだまだ緊張している者も多いと思うが、とにかく明るく、楽しく、元気よく。そんなクラスにしていきたいと思っているから、みんなもよろしく頼むな」



 小学生のようなテーマが課せられたが、生徒は大体、話半分で聞いているので反応するものはいない。


 心の内でツッコミを入れたのは、おそらく、洸太郎とあと数名といったところだろう。



「全校集会まで時間がないので、取り敢えず出席を取って、今日の流れを簡単に説明します。自己紹介がてら、呼ばれたらその場で立って、軽く一言言ってくれ。えー、まずは秋山――……」



 趣味や部活動、以前は何組だったなど、内容は様々だが、出席確認兼自己紹介は滞りなく進んでいく。


 こういう時、「あ」行の生徒は何かしら準備や耐性が出来ているのだろうなといつも思う。



 トップバッター程、会話の最後をキレイに着地する。



「次は……木船」



「はい」と返事をし、洸太郎はスッと立ち上がった。



「木船洸太郎です。部活動には所属していませんが、実家のカフェで、たまに手伝いをしていています。父の淹れたコーヒーを飲みながら、本を読むことが好きです。よろしくお願いします」



 一気に吐き出すように言い終えると、洸太郎は静かに席に座る。

 

 やはり自分の番が来るまで時間があると、余裕を持って自己紹介を考えることが出来るので有り難い。



「では次。木山」



 自分の番が終わった直後で安心しきっていたこともあり、洸太郎は少し上の空だったが、「木山……、はて。どこかで聞いたことがある名前だ」と頭の片隅で感じていた。


 後ろから椅子を引く音が聞こえ、クラス中の視線が彼女に集まっていくのがわかる。



木山瑠奈きやまるなです。部活動は、テニス部に所属しています。早く皆さんと仲良くなれればと思っていますので、これからどうぞよろしくお願いします」



 透き通るような声だった。


 ついその声に反応し、洸太郎が後ろを振り向くと、彼女と目が合った。


 綺麗と可愛らしさ、どちらも兼ね備えているような顔立ちをしている。


 吸い込まれてしまいそうな程の大きな目で、瑠奈は洸太郎に軽く微笑みかけた。


 髪を掛けた片方の耳で、小さなピアスが揺れている。


 整った顔立ちのせいだけではない。


 一つ一つの所作が、絵になる人だった。



 彼女が話している間だけ、雨の音が優しくなった――そんな気がした。

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