三鷹と太宰と俺

白川津 中々

 あるいは俺は、人との会話を期待していたのだろう。

 降って湧いた長期休暇であったが慰め方をしらず部屋の万年床で燻る日が続いていた。この機を逃したら二度とこんなまとまった時間はないだろうと思いつつも、全身の気怠さに身を任せ怠慢をよしとしてきたのだが、その日はついに重い腰を上げて外に出てみたのだった。

 梅雨の前、風が吹くも日照りは強く汗をかく。当初は動物園にでも行こうかと思ったがこのような暑中に野外を出歩く気も起きず急遽予定を変更する事にした。しかしながらあてはない。どうしようかと中央線に乗りながら思案を巡らせる。そこで思いついたのが三鷹であった。三鷹は太宰所縁の地だ。文豪が生きた聖地。何か、得るかもしれないと思った。というのも、俺はこの頃物を書くのに億劫だった。頭の中がまとまらず、どうも乗り気になれない。そろそろ物書きなどという大それた夢を捨てて真っ当に働くべきという天命なのかもしれないが受け入れ難く、どうにか再び情熱を取り戻せないかと焦燥していたのだった。


 三鷹には太宰治サロンというものがあると分かった。丁度いいと向うと、マンションの一階にのぼりが立っていた。こじんまりしていて入室に躊躇するも、意を決して足を踏み入れる。想像よりも狭く、卓が四つほど並んでいるだけだった。案内の人間に説明を受け、棚からヴィヨンの妻の文庫を取り出して読んだ(なぜか表紙が女の写真で下品だった)。途中、人が幾らか入って来ては出ていくというのが繰り返されていた。俺はヴィヨンの妻と、それからグッドバイを読み終えて外に出た。彼らより少し長い時間滞在していた。

 それから吉祥寺まで行って井之頭公園に行った。浮かぶ池を見てヴィヨンの妻のシーンを思い出そうとしたが、忙しないボートの群れを前にすると想像力が働かず、結局そのまま人まみれの公園内を散策して、併設してある動物園まで見学して(予定を変更したのに)帰路についた。


 部屋に入るとシャワーを浴びて万年床に籠り、ろくに誰とも会話をしていない事に気が付いた。最後に人と会話したのはいつだっただろうか。暇になると、一人の時間が随分と重い。

 俺はずっとこのまま、誰とも交わらないまま死んでいくのだろうか。布団の中で震える。居ても立ってもいられず、酒を飲もうと立ち上がり、安いウィスキーを煽った。酷い味がした。

 太宰には友人も恋人も愛人もいた。しかし俺には誰もいない。あぁ、俺こそが、人間失格……


 酒に酔った。酔っても一人だった。俺には、それだけだった。

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