010 因果


 征服王グラン七世と、彼の征服王が率いた大王国陸軍が評価値を8万5355ポイントも獲得したという事実は、サリアの脳を嫉妬で深く深く焼いていた。

 自分は半年修業したパンを焼いて出したことで1ポイントだ。それはパンを8万5355回食べさせればいいというわけではない。

 パンを焼いてもらえるポイントは、同じように焼いただけならあと10回も貰えれば良い程度だ。

 なぜなら人は慣れる。

 勇者レイジもパンの味に慣れ、サリアの奉仕を当たり前だと感じるようになれば評価を与えることはなくなるだろう。

 つまり自力でパン焼きの技術を向上させなければ、パンでのポイント獲得はできなくなるということ。

 それに娼婦にもサリアはポイントで負けている。たった一回寝ただけの娼婦たちが何百ポイントとポイントを稼ぐ中、自分はいまだ1ポイント。半生を教会に捧げ、聖女の称号まで貰っている自分が、過去の偉人どころか娼婦にも負けている現実。

 情けない。情けなくて、恥ずかしくて血反吐を吐きたくなる。そんなサリアの前で、ラジウスが熱弁を振るっている。

「サリア! ねぇサリア。僕たちと一緒に冒険者をやろうよ。ほら、今日はパーティーリーダーを連れてきたんだ。彼もサリアを歓迎してくれている。チャンスをくれよサリア。一度でいいから一緒に冒険にでよう? ね?」

「ラジウス、いい加減にして。私には冒険者なんかやってる暇はないの。勇者様と一緒に、神聖なる義務を」

「勇者様勇者様ってサリア。こっちこそいい加減にしてほしいよ! 勇者様はさぁ、勇者特権でなんでも手に入るんだから、サリアがついていく必要ないでしょ」


は?・・


 こいつ、今何を言ったんだ? ラジウスはサリアの怒りに気付かないままに言葉を続ける。

「っていうか人生舐めてるよねあの人。剣でも鎧でも勇者特権で手に入れればいいのに手に入れようとしない勇者様なんてどうでもいいだろ? 僕たちは人生かけて命がけで冒険者やってるんだからさ。サリアも一度でも僕たちと一緒に冒険すれば、冒険者の楽しさがッ――ぐぇッ!?」

 気づけば、目の前にラジウスが血反吐を吐いて転がっていた。サリアの手には【武器庫Ⅰ】から取り出したメイス型の聖杖であるトリプルアダーが握られている。不思議と抵抗感はない。ただ、この不快な肉塊を黙らせることを神命とサリアは受け取った。

「【神敵付与ゴッズエネミー】【破門状】【地上の正義執行】【対業聖撃】」

 サリアとラジウスに向けて淡々と神聖魔法と儀式魔法の合成である教会魔法の行使を始めた。

 【神敵付与】の術式により、ラジウスの肉体に神敵属性が強制的に与えられる。

 続いて【破門状】によって、ラジウスの右頬に大きく破門の印が描かれた。

「は? え? ちょ、ちょっと――」

 血反吐で口の端を汚しながらも、床の上からサリアを見上げるラジウスに向かってサリアは聖杖トリプルアダーを振り下ろした。ぐちゃり、とメイスの打撃音がラジウスの顔面から響く。顔面の骨を叩き割った感触が手に伝わってくる。だがぴくぴくと痙攣するラジウスはまだ生きている。

 しぶとい。だが、似たようなレベル帯のラジウスに対して、サリアの攻撃は的確にダメージを与えていた。

 【地上の正義執行】【対業聖撃】によって、神敵に対する攻撃力が上昇しているからだ。

 聖女などの聖職者は人間を攻撃することで身体能力が鈍化するデメリットを持っているが、ラジウスに神敵属性と破門状が付与されていることでサリアの悪業にはならない。

 むしろ神敵を滅しているのだ。ラジウスを攻撃する行為は、善行となってサリアの肉体に補助を与えていく。

 老司祭は止めなかった。虫を見る目で痙攣するラジウスを見ていた。老司祭は呟く。

「評価表に冒険者の名前が一人もなかった理由がわかりましたね。こんな羽虫のような下っ端までもが勇者様を侮るとは」

「ラジウスッ! 馬鹿でッ! 考えなしのッ! ゴミクズがッ!! この神敵! 背教者!! 背教者!!」

 サリアがメイスを叩きつける音が教会に響いていた。

 肉の叩く音。血しぶきが教会の床に広がっていく。扉に背を預けていた剣士が怯えた顔でサリアを見ていたがサリアは構わずにメイスを床の肉の塊に叩きつけていた。骨の折れる感触。命を奪っている感触。殺人だが問題はない。【破門状】を付与した時点でこの地上におけるラジウスの人権は消滅している。一応、冒険者とはいえ地元出身である市民ラジウスを殺したことで警備兵による咎めはあるだろうが、老司祭であるアダマスがここにいるのだ。なんの問題もない。サリアは捕まらない。

 なにしろ明日には勇者様と一緒に旅に出なければならない。拘束されている暇などない。

 サリアはメイスをラジウスだった肉の塊に叩き込みながら、都市に帰ってくる途中のことを思い出す。聖女であるサリアを襲おうと山賊やら何やらが襲いかかってきて面倒だった記憶だ。

 このラジウスもそうだが、【聖女】をなんだと思っているのだろうか。

 可愛らしいお人形さんではないのだ。聖女だぞ。召喚される勇者とレベル差が生じないようにレベルだけは低く調整されているが、教会教育で人間の殺し方なんて何年もかけて教わってきたんだぞ。

 勇者のパートナーとして生まれた聖女がおとなしく人間に襲われるわけがないだろうが。メイスを振り下ろし、肉の塊から呼吸音がしなくなったことでサリアはふぅ、と息を吐いて、聖杖をゆっくりと下ろした。

「司祭様! 神の敵を撲殺しました!!」

「よろしい。死体は片付けておきますよ」

「ありがとうございます!」

 幼馴染で、結婚の約束までした少年を殺しておきながらサリアは感情の一片さえも変えることがなかった。

 多感な思春期に未熟だった思考と思想をどっぷりと教会に染め上げられた白銀の美少女は、顔についた血をハンカチで拭うと扉の方向に目を向けた。

 そこに剣士はいなくなっていた。

 サリアが始末するべく追いかけようとすれば「いいえ、彼には私が対処しましょう」と老司祭が呟いた。


                ◇◆◇◆◇


 数日後のことだ。ラジウスが死んだことで冒険者パーティーの活動を一時的に休止することにしたネトリスたち【ブレイブロード】のメンバーは拠点にしているラジウスの家に集まっていた。

 ラジウスの葬儀は行われなかった。聖女を侮辱したことで破門状が回ったから、教会がラジウスの葬儀を執り行なおうとしなかったのだ。結果としてラジウスの家に届けられた冒険者証付きの肉の塊は、家の裏庭に埋められて、その上に小さく名前を記しただけの墓標を刻むだけになっていた。

 パーティーメンバーたちは一通り悲しみ、ラジウスの家族たちもそれなりに涙を流したが、ネトリスによって淫紋を刻まれ、脳を薬でぐずぐずにトロかされている彼女たちはすぐに忘れて快楽を貪るようになった。

 とはいえ性欲はそれなりにあるが、精力は人並みのネトリスは、落とした女たちを一人ひとり相手にすることはできない。

 複数人を落としてからは、ネトリス自身はこれと決めたお気に入りの女だけの相手をし、後は知り合いの男に抱かせて金を稼ぐのが常だった。

 無論、免許も許可もなくそんなことをするのは、法で禁止されている行為である。

 そんな彼がこのような目に合うのも、因果が応報した結果だった。

「……その、ええと、あの、マジ、すいませんっした……」

 ラジウスが死んだことで非正規の娼館のようになったラジウス邸で、ネトリスは床に頭をこすりつけて謝罪していた。ネトリスの背後には薬で脳がやられた女たちが揃っており、彼女たちの背後には男たちが立っている。客ではない。迷宮都市の裏街の住人たちだ。

 ネトリスの目の前には、ソファーに腰掛けてタバコを加えている黒スーツの男が座っている。裏街で顔役をやっている男だった。

「やりすぎたなぁ小僧。こんな市街地で拠点構えて客とるなんざ、馬鹿でもなきゃやらねぇぞぉ」

 客の冒険者が吹聴したのだろうか。畜生、とネトリスは内心で呟く。

 ネトリスがラジウスから寝取った女たちは容姿の良い女が多い。そんな女たちが格安で抱けるのだ。ラジウス邸にはネトリスのチンピラ仲間や、冒険者仲間たちがラジウスが死んでからは毎日毎晩通い詰めるようになっていた。

 ラジウスが死ぬ前は、こっそり仲間うちだけでやっていたことだ。拠点を手に入れて、慢心してしまったか。ネトリスがそんなことを考える間にも顔役は懐から紙束を取り出すとラジウスに言う。

「サインしろよ、小僧。お前の女たちの奴隷契約書だ」

 引きつったような顔でネトリスは顔役の男を見上げた。

「女を娼館に売れ。で、お前は他にもやってる奴の情報を吐け。お前みたいなガキに好き勝手やられると大人の俺たちが困るんだよ。やたらと素人が身体売ってると都市の治安が低下して、性病が蔓延して、都市長に娼館の利権をとられちまう」

 抵抗感から黙って頭を床にこすりつければ、蹴り飛ばされて紙束とペンを投げつけられる。

 お前が売らないんなら拷問してもいいんだぜ、という言葉にネトリスは仕方なく頷いて自分の女たちを目の前の男に売ることになる。二束三文で。

 背後の女たちから反対の言葉は聞こえない。当たり前だ。すでに客を取らされている彼女たちにとっては、ネトリスから捨てられようが、自分の主人が別の人間に変わるだけのこと。やることは変わらないのだ。

 ただ、どうして自分たちの人生はこうなってしまったんだろう、という諦観だけが脳を支配するのみだった。

 ふぅぅ、とタバコの煙を吐きながら、顔役の男はつまらなそうに言った。

「ガキ、教会に手ぇ出さなきゃまだシャバで楽しめたんだよ」

 その言葉で、これがラジウスを教会に連れて行ったことの司祭からの報復だと、ネトリスは気づいた。

 聖女を手に入れられると欲をかいた結果がこれか。勉強料にしては高くついた。ラジウスを失ってしまった今、女神の因子持ちの極上の女たちを引っ掛ける手段などネトリスにはない。

 ネトリスが今までこのような女たちを引っ掛けられたのは、ラジウスという餌があって、女達が油断してくれたからだ。

 女たちだって馬鹿ではないのだ。外見はそれなりに良いネトリスが潜在的に危険な男だというのは付き合っていればなんとなくわかるのだ。付き合ってくれる層も、そういった頭の軽い層の女になる。それではラジウスが紹介してくれたような極上の女たちは寄ってきてはくれないのだ。

 失ってからこそ、友だったとわかるのは本当だった。ネトリスはラジウスが生き返ることを望むも、彼はすでに肉の塊となって今頃はミミズの餌にでもなっているだろう。

 こうしてネトリスの人生は、三文小説のチンピラのようなうだつの上がらない一生になった。

 それなりに経験を積んだ冒険者パーティーのリーダーだったネトリスは冒険者仲間を娼婦に売り飛ばしたことで冒険者ギルドでの立場を失い、裏街で暮らすようになる。

 そうして娼館の下働きや娼婦の護衛をして小銭を稼ぎ、酒場で酔っ払ったチンピラ同士の喧嘩に巻き込まれて二十代の若さで亡くなった。

 彼が売り飛ばした女たちも容姿が優れていたためにそれなりの期間客を取ったものの、薬で脳がやられていたことから、人間としての寿命は長くなく、誰もが若くして亡くなることになった。


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