第26話 細胞レベル

 抱きしめていると未来は少しずつ、落ち着いていった。


「ごめんね。詩子。見苦しいところ見せちゃった」

「私はどんな未来でも好きだよ」

「……なんでそういうこと平気で言えるの?」


 未来は頬を赤らめて、唇を尖らせていた。私はニヤリと微笑んでつげる。


「愛の力だよ」

「……平気で『愛』って言葉使ってるけど、恥ずかしくないの?」

「恥ずかしいけど、恥ずかしがる未来をみたいからね」

「このドSめ……」


 私と未来は黒い日傘の下で、隣り合って歩いていく。相変わらず町は活気に満ちていて、みんな暑い中を日傘もなしに歩いていた。すると不意に未来が問いかけてくる。


「詩子ってさ、いつ私を好きになったわけ?」

「当ててみてよ」

「……んー」

 

 未来はいつも通り顎に手を当てて考え込んでいる。


「私たちって高校でまともに会話してないよね? ということは詩子は私の性格に惚れたわけじゃないってこと。そう考えるのなら……。一目惚れ?」

「ずいぶんな自信だね」

「だって私可愛いもん」

「まぁ合ってるけどさ。推理の過程は間違ってるけど」


 未来は首をかしげていた。私は微笑みながらつげる。


「確かに一目惚れではあるけれど、私は未来の大人びた性格にも憧れてたんだ。他の人と話してるときなんて、いつも落ち着いてたでしょ?」

「えっ! だったら今からでも擬態したほうがいいかな……」


 未来はおろおろした様子で私をみつめている。私は首を横に振った。


「今のお調子者の未来も好きだから」


 すると未来は自慢げに胸を張る。


「まぁ当然だよね。私ほどの美少女ならどんな性格でも……」

「違うよ。見た目は確かに可愛いけど、それだけじゃない。今の未来の方が毎日楽しそうにしてるから、だから好きなんだ。自然体で飾ってる気がしない」


 すると未来はえへへと嬉しそうに笑った。


「よくみてるんだね。私のこと」

「うん。でも未来こそ中学時代の私が好きだったなら、夏休み前までの私は嫌だったんじゃないの?」


 中学時代の私は今の性格だった。でも転校して別の中学に入ってからは、周りとの軋轢をかわすために明るい私を演じた。なにしろ友達なんて一人もいないのだ。そんな空間でひねくれもののままでいたら、辛いに決まってる。


「ちょっと驚いたよ? でも可愛いものは可愛いでしょ」

「要するに未来は私の見た目しか見てないってこと? うわー。残念」


 わざとらしく肩を落としていると未来は大慌てしていた。私のことになったら必死になるんだから。この人は。本当に可愛くてしかたない。


「そんなことないよ。どっちの未来も可愛かったから。明るいのもひねくれてるのも、みんなの真似をするのもみんなと違うことをするのも。どっちも私の中では魅力的だから……」


 そんな甘々な発言に、私はニヤニヤしながら問いかける。


「つまり私の全てが大好きってこと? うわー照れるなぁ」

「そ、そういうことだよ。悪い?」


 未来はまたしても顔を真っ赤にしている。私が微笑むと、未来は恥ずかしそうに視線をそらした。


「悪くないよ。凄く嬉しい」


 本当に嬉しいのだ。好きな人が私の全てを好きだなんて言ってくれて、嬉しくないわけがない。想像通り、未来は恥ずかしそうにもじもじしていた。


「なんでそういう時だけ素直なの……? ずるいよ」

「それこそ先入観ってやつじゃないの。私、詩子の愛の言葉には大体素直に返してるよ? 大切な人の大切な言葉なんだから」


 未来はじっと私の顔をみつめたかと思うと、小さく微笑んだ。


「……ありがとう。嬉しい」


 蝉がうるさく鳴いている。蜃気楼の見えるアスファルトの上を車が走っていく。青空はどこまでも広がっている。今日も世界は綺麗だった。


 でも世界が綺麗な一番の理由は、未来がそばにいてくれるから。


 私はこれまで未来の病気のことを知るのを恐れていた。いちゃいちゃするのも結局は現実逃避に類するもので、要するに私は未来が亡くなるという未来からずっと目をそらしていたのだ。


 でもそれではダメだと思う。未来は真実を話してくれた。嫌われるかもしれないって思ってるのに、頑張ってくれた。今度は私が頑張りたい。未来のことを知って、ちゃんと向き合いたいのだ。


「ね、私、未来の病気のこと知りたい」


 未来は眉をひそめて首を横に振った。


「知らなくていいよ。余命が一年だってことだけ知ってればいいから」

「治す方法はないの? 私にできることはないの?」


 真剣な視線を向けていると、未来は観念したみたいにため息をついた。


「……お医者さんの話によると、たまに腫瘍が退縮することもあるらしいけれど、そういう人はごくごくわずかなんだって。可能性はないことはない、程度らしい」

「そっか」


 私がうつむいて、うなだれていると未来は笑った。


「でももしかすると詩子と二人で幸せに過ごしてたら、治るかも」

「……本当に?」

「前向きで幸せな生き方を志した人に、退縮が起こりやすいんだってさ。だから詩子には笑ってて欲しい。詩子が幸せなら、私も幸せになれるから」


 未来の言葉が本当かは分からない。ただ私を心配しての言葉だったのかもしれない。けれど私が笑っているだけで未来の命が救われるかもしれないのなら、ずっと笑っていよう。未来のとなりで。


 未来の瞳に広がる、この美しい世界で。


 私は精一杯の笑顔を浮かべた。


「分かった。私、未来のこと幸せにするね」

「ありがとう。でももう十分幸せだよ」

「だったら細胞レベルで死にたくないって思うくらい、未来を幸せにしてあげる。だからいなくならないでね?」

「ふふ。うん。頑張ってみる」


 私たちは微笑み合いながら、真夏の並木道を進んでいく。いつかこの夏も終わる。来年の夏もこんな風に未来と二人で過ごせたらいいのにな。そんな淡い希望を抱きながら、未来の家へと向かった。

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