第19話 怖い
電車から降りると、そこは小さな駅だった。俗にいう無人駅というやつだ。同じく小さな踏切を超えて向かいに渡ると、まぶしい日差しで輝く白い砂浜にたどり着く。有名でない砂浜だからか、人は少ない。泳いでいる人もほとんどいない。でもライフセーバーはいるし、遊泳区域が設定されているから、安全性は確かみたいだった。
「もっと大きな場所もあったんじゃないの?」
私が問いかけると、未来は照れくさそうに笑った。
「詩子の水着姿、独り占めしたかったから」
私は思わずにやけながら未来を小突いた。
「そっかそっか。可愛いね。未来」
すると未来はジト目で私を小突き返してくる。
「詩子は嫌じゃないの? 美人な私がみんなにじろじろ見られるの」
「嫌に決まってる」
「詩子も可愛いね」
私たちは微笑み合いながら、砂浜に降りた。サンダルを履いてきているから、砂は気にならない。日差しは強くて暑いけれど、潮風が心地よかった。
砂浜の近くに更衣室のような建物があった。私たちは二人で手を繋ぎながら、そこに向かう。その近くにはシャワーも設置されていた。
「そういえば、一応ゴーグル持ってきたんだけど、未来はどう?」
「私も持ってきたよ。海水ってなんだか染みそうだし」
未来は潮風に髪を煽られながら、目を細めていた。
「髪の毛ごわごわしそうなのがちょっと嫌だけどね」
「未来って髪、大切に扱ってそうだもんね」
私は少しくせがある。だからというわけではないけれど、特別なことなんて何もしていない。そんな私と対照的に未来は髪が真っすぐでさらさらだった。
「髪、触ってもいい?」
「そんなに触りたい?」
いたずらっぽい笑顔で私をみつめてくる。いつもならひねくれた返答をするところだけれど、今はそういう気分じゃなかった。
「私のも触らせてあげるから、触らせて欲しい」
すると未来は意外そうな表情を浮かべてから微笑んだ。
「いいよ。でもここは風が強いから更衣室の中でね」
「ついでに髪の毛、結ってあげるね。流石にその髪で泳ぐわけにはいかないし」
「今日の詩子は機嫌がいいね」
「もしかすると舞い上がってるのかも。好きな人と海に来られて」
すると未来はとても嬉しそうににやけていた。私も小さく微笑んでから、砂浜を駆け出した。未来も笑いながら私の後を追いかけてくれる。私たちは息を切らせながら、更衣室に入った。
中には誰もいなくて、ロッカーがたくさん置かれていた。パーテーションもあって、気楽に着替えることができそうだ。部屋の中央に並べられた、更衣室によくあるタイプの青い椅子に荷物を置く。すると水に濡れても平気なカバンが倒れて、イルカの浮きが出てきた。
私はそれを手に取ってつぶやく。
「これも膨らませないとだね」
「肺活量どれだけいるんだろう?」
「疲れたら交代すればよくない?」
「……そうだね」
未来はほんのりと顔を赤くしていた。私はにやけ面で未来をみつめる。
「キスなんてさっきもしたのに、ただの間接キスで緊張するんだ?」
「だって、必死で息を吹き込むわけだから、たぶん唾液でべとべとになるでしょ? そんなの……」
「そんなの?」
「なんでもない。それより早く着替えようよ。時間は限りがあるんだから」
「はいはい」
私たちはお互いパーテーションの向こう側に入って、水着に着替える。
着替え終わって顔を合わせると、やっぱり未来に良く似合っていた。未来はいたずらっぽい笑顔で問いかけてくる。
「どう?」
「どうって言われても、可愛いとしか……」
「ふふ。詩子も可愛いよ」
未来が椅子に座るから、私はその後ろにまわりこんで髪の毛を触る。ふんわりとしていて、見た目通りサラサラだった。私はそれをひとまとめにして、泳ぐのに適した後ろ髪に整える。
整え終わって手を離そうとすると、未来に引き止められた。
「もう少しだけ、撫でて欲しい」
「未来は甘えん坊なんだね」
耳元でささやくと「好きな人に触ってもらいたいと思うのは普通でしょ」と恥ずかしそうな声が聞こえてきた。私は微笑みながら、優しく何度も何度も頭を撫でてあげる。
しばらくして正面に回り込むと、未来は気持ちよさそうに目を閉じていた。ただ撫でただけなのに、こんなにリラックスしてくれたことが嬉しかった。それだけ私を信頼してくれているのだろう。
「次は未来が結って」
「はいはい」
私が座ると、未来は後ろから興味深そうな手つきで髪の毛に触れてきた。
「んー。髪質は悪くないけど、コンディショナーが合ってないのかな?」
「お母さんが買ってきてくれるの使ってるだけだよ」
私はおしゃれとかそこまで興味ないから、化粧品とかも最低限の化粧水くらいしか買わないし、たまに服を自分で買う以外は全部お母さん任せだ。
未来は不服そうな表情でつげた。
「もったいないね。もっと綺麗な髪にできるのに」
「そしたらもっと好きになってくれる?」
私がニヤニヤと問いかけると、未来は満面の笑みを浮かべた。
「大好きになるよ」
「……それなら気にしてみようかな」
私が顔を熱くしながら微笑むと、未来は優しい手つきで私の髪を撫でてくれる。
「詩子は私と同じくらい美人なんだから、もっと自分を大切にしてあげるんだよ? そしたらきっと私がいなくなったあとでも、いい人と付き合えると思うから」
「そんなこと言わないでよ」
振り返って、未来をみつめた。未来は申し訳なさそうな、やるせない表情を浮かべていた。何をするにも余命という壁が立ちはだかる。それは理解している。けれど、今くらい忘れてくれてもいいはずだ。
「……ごめん。ますます嫌だなって思っちゃってさ。詩子のいいところをみつけるたびに、死ぬのが怖くなっていくんだ。こらえたいのもやまやまなんだけど、漏れ出しちゃうというか」
「忘れられないのなら、こらえなくてもいいよ。なんでも話してくれたらいい。抑え込んで一人で抱えるのは、絶対に違うから」
私は真剣な表情で、未来の頭を撫でる。すると未来は寂しそうに笑った。
「ありがとう」
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