海水浴デート
第18話 電車の中でキス
私はいつもの公園の木陰で、未来を待っていた。今日も空は晴れていて、日差しはまぶしくとても暑い。海に行くにはいい日かもしれないけれど、この日差しの中で肌を晒すなんて大丈夫なのだろうか?
「待たせてごめんね」
声に振り返ると笑顔の未来がいた。今日も黒い日傘をさしている。
「大丈夫。それにしても今日も暑いね。日焼け止めで防げるかな」
「二人とも真っ赤になっちゃいそうだね」
私は未来の傘の中に入って、手を重ねた。
「日焼けするまでもなく真っ赤になってるけど、大丈夫?」
私がからかい混じりに笑うと、未来はぷいとよそを向いてしまった。
「詩子だって赤くなってるくせに」
確かに私もちょっと顔が熱いけれど。でも未来はどれだけ私のことが好きなんだ、って顔色をしている。いい加減慣れてもいいと思うんだけどね。でもうぶな未来はとても可愛いから、もう少しだけ今のままでいて欲しいとも思う。
私たちは手を重ねたまま相合傘で公園を出た。相も変わらず街には学生が多い。蝉の鳴き声が響き渡る中、みんな生命力に満ち満ちた顔つきをしている。
そういえば、海に行くとは言ったけれど、どこの海に向かうのだろう?
「そういえばだけど、海ってどこの海に行くの?」
「それはついてのお楽しみ。きっと驚くと思うよ。あまりにも綺麗で」
「未来よりも綺麗なの? ちょっと想像つかないね」
笑っていると、未来にジト目でみつめられた。でもその頬は嬉しそうに赤く染まっている。
「……人と大自然を比べないでよ」
「未来は海原っていうよりは、雪原だよね。白くて綺麗だし」
「溶けたら消えちゃうし?」
私は未来をじとーっとみつめて、交差点を渡っていく。
「そういう冗談、どういう反応すればいいのか分かんないんだよね」
「詩子だってよく分かんない冗談いうじゃん」
「未来をからかうための冗談だから良いの」
「流石ドSだね」
「恥ずかしがる未来が可愛いのがダメなんだよ」
「……またそういうこという」
目を伏せて恥ずかしがる未来は、やっぱり愛おしい。ずっと見ていたいくらいだ。でも横からみつめていると、不服そうな視線に早変わりしてしまう。
「私だって、恥ずかしがる詩子、たくさんみてみたいんだけどな……」
ぼそりとそんなことをつげるから、私はニヤニヤしながらささやく。
「簡単な方法が一つある」
「えっ。なになに? 教えて!」
「唇と唇を重ね合わせる。要するに、キスすればいいんだよ」
私がそうつげると、未来はじーっと私の唇をみつめてきた。けれど顔を真っ赤にしてしまったかと思うと、またしてもぷいとよそを向いてしまった。
「そういうのはさ、やっぱり大切な時に取っておきたい」
「昨日の別れ際みたいに?」
「……うん。っていうか大体さ、街中の人通りのある中でキスするとかあり得ないよ。どんな羞恥プレイ? って感じだし。その瞬間キスの価値が下がる気がする。やっぱりキスは特別な時間とか場所とかでしたいよね」
未来は夢みる乙女の表情で、そんなことを語る。
キスの価値、か。私とのキスをそこまで大切に思ってくれているのは、とても嬉しい。ニヤニヤしていると、未来は恥ずかしそうにつぶやいた。
「ファーストキスを風化させたくないんだよね。まぁ何度キスを繰り返したとしても、あの日のことを忘れることはなさそうだけどさ」
私も花火大会の日、未来とした初めてのキスの味は忘れられそうにない。
「りんご飴の味だったね」
「……いやだった?」
未来が心配そうに問いかけてくるものだから、私は首を横に振る。
「甘くておいしかったよ。また食べてみたいかな」
私がニヤリと微笑むと、未来はりんご飴みたいに真っ赤になってしまった。恥ずかしそうにする未来があまりにも可愛い。何度見たって飽きる気がしないのだ。
未来と一緒に駅へと向かう。駅の構内に入ると、未来は日傘を閉じた。私たちはほとんど同時に、お互いの手に手を伸ばした。
そしてそのまま券売機で切符を購入する。今日はいつもよりも値が張った。
「調べてみたんだけど、海のすぐそばを通るから景色が綺麗なんだって」
「そうなんだ。昼の海を生で見るのは久しぶりかも」
「私も久しぶりだよ。小学生のとき以来かなぁ。たまたま体調が良くて、修学旅行で海の見えるホテルに泊まったんだ。……でも途中で体調を崩しちゃって、病院送りになっちゃった」
未来は寂しそうな表情で改札を抜けた。
「途中までは楽しかったんだけどね。好きな人と同じ部屋になれてさ」
「……好きな人?」
私が眉をひそめると、未来は楽しそうに口端を吊り上げた。
「あ、嫉妬した? ねぇ嫉妬してる?」
「……してない」
「えー。本当にー?」
未来はにやにやと私のお腹をつついてきた。
正直なことを言うと、少し嫉妬している。初恋の人が私ならよかったのに、なんて思ってしまう。でもそこまで求めるのは欲張りだ。私は未来が初恋だけど、未来は違う。なんだかもやもやするけれど、受け入れるしかない。
顔をしかめていると、未来はとても嬉しそうにしていた。私はぎゅっと固く恋人つなぎをして、未来と二人でホームに上る。
「大丈夫だよ。私が好きなのは今も昔も詩子だから」
今も昔も、なんて言うけれど私たちが出会ったのは高校が初めてなのだ。やっぱり悔しい。どうして未来の初めては私じゃないんだろう。
「もっと早く未来と出会えてたら、未来の初めてになれてたのかな」
未来は一瞬嬉しそうな顔をしたけれど、すぐにとても辛そうな表情をした。かと思うと誤魔化すように、笑った。
「さぁ。どうだろうね」
断定してくれないということは、その人がそれだけ魅力的だってことなのかな。私じゃ足りないのかな、なんて考えてしまって、私は今日生まれて初めて、自分の独占欲の強さに呆れた。
しばらくすると、ホームに電車がやって来た。電車は意外と空いていて、私たちは空いている席に座った。ガタンゴトンと揺られていく。
「今日は寝不足じゃないんだね」
「泳ぐわけだから流石に寝不足だと危ないって思って」
「……初恋の人ってどんな人だったの?」
「脈絡もなく飛ぶね」
「……気になるから」
私はちらりと横目で未来をみつめた。未来は遠い目をしていた。
「私の初恋の人はねぇ……。ひねくれものだったよ。さりげなく好きの気持ちを伝えても気付いてくれなかったから、鈍感でもあったかな。まぁもしかすると気付いてて、知らないふりをしていただけなのかもしれないけど」
「片思いだったの?」
「多分ね」
「未来の魅力に気付かないなんて、馬鹿だね。そいつ」
「……ふふっ。本当にね。馬鹿だよ」
未来は心から寂しそうな顔をしていた。今好きなのが私だと理解していても、やっぱり心がざわざわしてしまう。
空調の効いた車内にはもう人はいなかった。流れていく景色は灰色のビルばかり。途中でみんな降りてしまった。まるで未来と一緒にたった二人きりの世界に放り込まれたみたいだった。
私はぼそりとつぶやく。
「未来のこと好きだよ」
「知ってるよ」
「好き」
「うん。私も」
「……好きって言って」
「ふふ。好きだよ」
「……うん」
こんなバカップルみたいな会話、一生することないんだって思ってた。けれど私の隣には夢にまで見た未来がいて、私を好きだと言ってくれて。本当に幸せだった。心のざわつきも少しはましになっていた。
勢いに任せて、私は未来に問いかける。
「……ねぇ、キスしてもいい?」
「えー? 電車の中で?」
「人がいない電車は、むしろロマンチックだと思う」
「そうかなぁ?」
電車が揺れながら、線路の上を走っていく。車窓から見える景色も移り変わってゆく。ビル群は今や遠くに小さくみえるだけだ。釣り竿屋さんとか、サーフボードの店とか、そんなものがまばらに流れている。
明かりのついていない車内は、外からの光だけで仄暗かった。私はそっと、未来の頬に手を当てる。未来は仕方ないか、といった風に微笑んで目を閉じた。
そっと、未来の唇に唇を重ねた。
その瞬間窓の外に、理想が現実になったみたいな夏の景色が広がる。白い砂浜と煌めく青い海。真っ青な空との境界に伸びる地平線は果てしなく、どれだけ泳いでもたどり着けそうにはない。
唇を離して、未来と二人、その美しい景色をみつめる。
「確かにいいかも。電車の中でキスするのって」
「でしょ?」
私たちはもう一度、引き寄せ合うように見つめ合い、そして唇を重ねた。
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