第16話 破廉恥
「どれにする?」
フードコートでラーメン屋さんのメニューをみつめていると、未来が問いかけてくる。醤油ラーメン、味噌ラーメン、塩ラーメンなど色々ある。別に大好きってわけではないけれど、いつも醤油ラーメンを食べてるから今回もそれにする。
「私は醤油ラーメンでいいかな」
「それだけでいいの? 私はチャーシュー麵と餃子にしようっと」
未来の意外な選択に、私は驚いた。
「ずいぶんがっつりと食べるんだね」
「友達の前だとこうはできないからね。詩子の前だから。あ、もしかして詩子も私が少食だって思ってた? お昼休み、いつもお弁当の中身少なかったもんね」
未来は病弱という属性に相応しい自分を演じてきた。そしてそれは高校生になって病弱でなくなったあとも変わらなかったのだろう。かつてそういう人間だったと思われたのなら、そうでなければならない。
さもなくば、嫌われてしまうかもしれないから。けれどすっかり未来に惚れこんでいる私の前では嫌われる心配がないから、ありのままでいてくれるのだと思う。信頼してくれているのは嬉しいけれど、複雑な気持ちだった。
席でしばらく待っていると、店員さんに手渡された名前も知らない装置がぶるぶると震えた。私たちは二人してお昼ご飯を受け取りに行く。未来のチャーシュー麵は大ボリュームだった。ギョーザもついているのに、食べきれるのだろうか?
「いただきます」
未来はラーメンに箸を伸ばして、おいしそうにすすった。あまりにも豪快な食べっぷりだから、思わず見てしまう。上目遣いでみつめながら自分のラーメンを食べていると、未来はあっという間に食事を終えてしまった。
思わず私は問いかける。
「……巨大パフェのときは苦しそうにしてたけど」
「あー。私、甘いもの苦手なんだよね」
「でも花火大会のとき、りんご飴舐めてなかった?」
「漫画とかでよくあるでしょ? なめてるシーン。生きてるうちに、一度はやってみたかったんだ。巨大パフェもりんご飴も」
「……もしかして、実は泳げなかったりする?」
「泳げるわけないよ。運動なんてまともにしたことないんだから」
私はジト目で未来をみつめた。
「何しに海に行くの……?」
「雰囲気を楽しみたいの!」
私はすっかり呆れてしまって、やれやれと肩をすくめた。
「そんな『やれやれ』みたいな態度とってるけどさ、海を泳ぐだけ場所なんて思ってる時点で視野狭いよ? たくさんあるでしょ? やれることなんて」
「例えば?」
「砂のお城を作ったりとか」
「他は?」
「……。お城の地下にトンネル掘ったりとか?」
未来は可愛いこぶるみたいに、小さく首を傾げた。
「それ、同じだよね?」
「同じじゃないよ。一緒くたにしたら失礼だよ。建築業の方々に」
未来はぷくっと頬を膨らませている。あざとい……。
「そんな表情しても誤魔化せないよ。同じだから。というか泳げもしないまま海に行っても面白くなくない? 未来が女好きでナンパとかするならともかく」
「ナンパはされるかもね。私、可愛いし」
「まぁ、私が許さないけど。未来は私のものだから」
「そうだね。私は詩子のものだよ」
なんて笑顔でつげるものだから、顔が熱くなってしまう。冗談でいっただけなんだけどなぁ。でも未来の中では既に私は未来を所有しているらしい。
視線をそらしていると、未来は首を傾げた。
「っていうか詩子こそ泳げるの?」
私は泳ぎは得意な方だ。中学のときは五十メートルくらいなら普通に泳げていた。高校に入ってからは体育で水泳選んでないから、なまってるかもだけど。
「普通にね」
「へぇ。いいなぁ。私も泳げるようになりたいなぁ……。いつも見学だったんだよね。小学校も、中学校も」
「私が教えようか? 泳ぎ方」
「えっ? いいの!?」
ぐいと顔を近づけてくる。興味津々と言った表情だ。
「でもどうする? プールとかで教えたほうがいいかな……。最初の方は楽しくないと思うんだよね。せっかくの海水浴に持ち込むのはよした方がいいかも」
未来は首を横に振って微笑んだ。
「詩子と一緒なら、なんでも楽しいよ。私、頑張るね。泳げるようになるっていうのも、死ぬまでに叶えたい夢の一つだったんだ」
「他にはどんな夢があるの?」
「詩子こそ教えてよ。私ばかりじゃつまらないでしょ」
ほとんど麵の残っていないラーメンの液面をみつめながら、考え込む。夢なんてものは持ったことはなかったかな。強いて言うのなら……。
「未来と付き合うことくらいかなぁ」
「じゃあ叶っちゃってるんだね」
未来はとても嬉しそうに笑った。私はその表情に満足感を覚えながらつぶやく。
「だからもう余生みたいなものだよ。私の人生は」
「余生ねぇ……」
「なんでもそこにたどり着くまでが一番楽しいんだよ。そう考えると、夢のない私の八十年よりも、未来の一年の方がよほどまぶしくて有意義なのかもしれないね」
私は麺をひとすすりして、食事を終えた。未来は寂しそうな表情で私をみつめている。私はニヤリとして、未来にささやいた。
「だから未来と一緒に死ぬのも、悪くないかも」
冗談じみた声色で伝えたのだけれど、未来はその言葉に明らかな難色を示していた。肩を落としながらささやいてくるのだ。
「だったら記憶を消させてもらうね」
「愛の力で無効化するよ」
「だったら私も愛の力で無効化を無効化するよ」
そんな小学生みたいな会話をしてから、私たちはしばらくじっと見つめ合った。よくみると未来の瞳がうるんでいたから、仕方なく折れる。
「分かったよ。死なないから」
「お願いだよ? 本当に。誰も不幸にしたくなんてない。大切な人の命を失わせるなんて、なおさら嫌だからね?」
「分かってる。冗談だって」
「信じてるよ?」
「……うん」
それから私たちはラーメンの食器を返却口に返した。そのあとゲームセンターで遊ぶ。クレーンゲームや、メダルゲーム。レースゲーム。エアホッケー。色々なゲームで非常に低レベルで拮抗した戦いを繰り返した。
遊び終わるころになると、もう夕方近くになっていた。私たちは駅で電車に乗り、家の近くまでやってきていた。歩道を歩きながら、言葉を交わす。
「ふぅ。今日は楽しかったね」
「エアホッケーのときの未来の顔が面白かった」
「詩子だってフェイント掛け過ぎてオウンゴールしてたじゃん。あの時の恥ずかしそうな顔、ホント可愛かったなぁ」
「そんなの覚えてなくていいから……」
顔をしかめていると、いつの間にか分かれ道に来ていた。その瞬間に、冷たい風が心の中を吹いていくようだった。
「……」
「……」
私たちはお互いに無言で見つめ合う。夕日に照らされた未来の顔はやっぱり可愛かった。相手が何を願っているのか。もしも私の予想が当たっているのなら、やっぱり未来は破廉恥だし、私自身も未来と同じくらい破廉恥だということになる。
けれど、それをせずに家に帰れそうにもなかった。
私が顔を近づけると、未来は寂しそうな顔で静かに目を閉じた。頬が赤く染まっていて、触れるととても熱い。私もそっと目を閉じて、未来の唇に唇を重ね合わせる。
そっと唇を離すと、未来はくすりと笑った。
「私たちってもしかしてバカップル?」
「自覚してるだけバカじゃないはず……」
「もういっそ同じ家に帰らない? それで同じベッドで寝ようよ」
「バカップルだ」
私が笑うと未来は小さく微笑んで、私の頬をつついた。でもみつめていると、すぐに寂しそうな表情になってしまう。
「……そんなに寂しいの?」
眉をひそめて問いかけると、未来は切なげな顔でこくりと頷いた。あまりにも可愛いものだから、思わずニヤニヤしてしまう。
「そんなに私のこと好きなんだ」
「……好きだよ」
未来は私の肩に額を当てて、こてんと寄りかかってきた。
「……でも両親心配するでしょ? 帰らないと」
「もう少しだけこうさせて」
私は頷いて、そっと未来の背中に腕を回した。すると未来は暗い声で口を開いた。
「余命一年、なんて言っても、いつ病気が悪化するか分からないんだ。もしかすると明日になれば入院して、動けなくなってるかもしれない。ただ寝たきりで生きるだけになってるのかも」
「……」
「だからそうなるまでに友達の記憶も、おばあちゃんの記憶も、両親の記憶も消さないとなんだよ。あと、もしも望むなら君の記憶も。私、海水浴を楽しんだらね、本格的にみんなの記憶を消すために動こうと思うんだ」
未来は寂しそうな瞳で、私をみつめた。
「詩子も協力してくれる?」
私は小さくため息をついて、肩をすくめる。
「そんな表情でみつめて、私が拒めるとでも思ってるの?」
「……消してほしくなさそうにしてたから」
「消してほしくないよ。でもみんなの愛をなめないほうがいいよ。きっと誰も未来のことを忘れなんてしないから。その前提で、私は協力するの」
「そっか。ありがとう。詩子」
未来は微笑んだかと思うと、花火大会の日を再現するみたいに、私の唇をふにゅっと奇襲した。かと思うと恥ずかしそうな表情を浮かべて、たったたったと走っていく。
「それじゃあね。詩子!」
未来は真っ赤な顔で振り返る。立ち止まって大きく手を振ってから、また走っていく。私はその後ろ姿が角を曲がるまでみつめてから、一人ぼっちで帰路についた。
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