第36話 誓いを胸に刻む。


 サーティスは法王に頼まれた通り、教典を祭壇に戻すと、彼の気配を探った。


「へぇ…これが聖剣か…」


 彼がそれに手を伸ばしたのを感じたが、サーティスが「駄目だ」と声を発するより先に彼は剣に触れた。






 ドクン…っ。






 急に波打った動悸に堪らず、サーティスは胸を押さえて前に屈んだ。

 なんだ、今のは。

 先程感じたような波紋が再び訪れ、闇色が黒色に色を薄めたように感じた。


「触れては、なりません」

「ああ、そうなのか。…おい、大丈夫か?」


 気分が悪いのか?と彼は蹲るサーティスの背を撫でた。






ドクン…っ。






 まただ。

 黒から濃灰色へ、濃灰色から灰色へと、波紋が広がりながら視界のベールが剥がれていく。

 その感覚が堪らなく気持ち悪くて、


「大丈夫、です」


 サーティスは彼の手を払いのけた。


「あ、おい」


 反動でふらついたサーティスは支える物を探して腕を伸ばした。

 その手が、丁度良い棒を見つけて掴んだ瞬間。




「!!」




 雷鳴が轟き、空が二分されるような稲妻が走った。

 それを合図に、今まで光の変化すら感じず、暗い闇だけがあった両の瞳が、白いもやを、光の変化を映しだす。


 眩しい。


 固く閉じたのに瞼の裏から光を感じた。

 それから、急激に訪れた光の洪水が収まってくるのを感じると、ゆっくり瞼を開く。


 目を開けて初めて目にしたのは、金色。

 まるで太陽を閉じ込めたような眩い金色だ。


「……それが、聖剣か」


 金髪がそう呟いて、初めて自分の手が握る物が何なのかサーティスは知った。

 抜き身の剣は、月光を集めたかのように静かに煌めいて、まるで主人に出会えた事を喜んでいる様にも見えた。


「さてと、見たい物も見たし帰るとするか」


 あっさりとそう言うなり金髪の青年はサーティスに背を向けた。


「あなたは…っ」


 何者なんだと発する声が途中で詰まるが、彼はそれを汲んで答えた。


「お前が聖剣の持ち主なら、また会うだろう」


 そう言って聖堂を去って行った男が東の国の王子だと知ったのは、後の事だ。

 東の国には聖冠王のクラウンが奉じられている。だからああ言ったのだろうか。


 サーティスは暫く剣を握ったまま茫然としていた。


 景色が見える。その事に慣れていないからか、どう自分が体を動かして良いのか一瞬忘れていた。

 痺れた意識の端が回復して、最初に襲ったのは、取り戻した色彩に対する喜びよりも、戸惑いと自分の置かれた状況に対する深い絶望と、そして怒りだった。


 全てを諦め、聞こえもしない神の声に耳を澄まして祈りを捧げ、ただ肉体の生を全うする、そんな自分の人生をようやく受け入れたと言うのに、一体何の為に聖剣は自分を選んだのか。


 何の力もない。

 何をすべきかも分からない。

 目的も目標も何もありはしないのに。


 ただ、王の血脈だけで適合しただけと言うのなら、他の者を選ぶべきだ。

 象徴と言う力を手にしたい権力者は沢山居るのだ。

 顔を上げて見上げると、壁に掛けられた銀騎士王の肖像画は、幼い頃、一度だけ父王と見た記憶のままに変わらずそこにあった。


「私には、貴方のように大きな魔を退けるなどと言う、大業など目の前にないのです」


 そもそも王になどなりたくはない。ただ静かに自由に暮らしたいだけなのだ。

 そう思いサーティスははっとした。

 そうだ王になどなりたくない。なる必要もないのではないか。


「王など、必要ない」


 サーティスは聖剣を掲げた。

 肖像画のように。


「剣は武器。武器とは壊す道具」


 魔王が滅したこの世界に、王も神器も必要ない。


「殿下、今、東の王子とすれ違いましたが…。…!」


 戻りが遅い自分を心配して法王が様子を見に来たようだ。


「…殿下、それは…!」


 目の見えなくなったサーティスを聖殿に引き取り守ってくれた法王は、サーティスを見るなり膝をついた。


「先程、雷鳴が轟きましたのは、この為でしたか!」


 サーティスは剣を元の台座に刺し戻した。すると、剣はサーティスの意を汲んだように静かに眠り始める。


「やめて下さい」


 サーティスは法王に駆け寄ると肩を抱き、体を起こした。


「私にとって法王様は父も同然。顔を上げて下さい」


 いいえ。と法王は首を振った。


「殿下が産声を上げたその時、それまで晴天だった空に雷鳴が轟きました。伝承のように」


 それ故に先王陛下は騎士王の名を付けられたのです。


「やはり、やはり…っ」

「法王様、私には王になる気持ちはありません」

「殿下…」

「ですから、無為に伯父上…国王陛下に疑念を抱かせたりもしたくないのです」


 心優しい法王は聖剣とサーティスを交互に見て「しかし…」と言い淀んだ。


「いいえ。聖剣はあのまま触れずに奉じておきましょう」


 それから、とサーティスは目を閉じた。


「私の目も見えていない」


 良いですね。と念を押して二人は聖殿を後にした。

 法王はサーティスと自室に戻ると一人の青年を呼んだ。

 青年と言うには年若く、少年と呼ぶには一つ二つ年上のような彼は、サーティスと同じ年で西の国外れの独特な訛りのある言葉で気軽な感じで挨拶をした。


 彼の事は良く知っている。だが、顔を見るのは初めてだ。

 これが彼の顔なのかと、少し感慨深く見つめた。

 良く日焼けした健康そうな肌に、笑顔に覗く白い歯が良く映えていた。想像していたより精悍であり想像していたより猛々しい感じはなかった。

 彼は法王の甥に当たり、両親ををなくした時に法王に引き取られた。


 子供のいない法王は、彼・オータとサーティスを我が子の様に育てたが、神官として全く不向きであったオータは、少年期にすぐ法王の計らいで王宮に士官したのだ。

 だから当然面識はある、…と言うより兄弟のような感覚だ。

 法王はオータに全てを話すとサーティスを助ける様に頼んだ。

 当のオータは鼻の頭を人差し指で軽く掻いて、うーんと唸った。


「ええけど、頼まれんでもこいつが困ったら手は貸すけどなあ。取り敢えず何をしたらええんや?」


 オータは笑ってそう言った。


「何も。オータは今のまま騎士として頑張ってくれれば良い」


 ふうん。とオータはサーティスを見て目を細めた。


「ほんならしゃあないな。俺は騎士として精々出世するとするわ。お前が必要としとる次元までな」


 それがお前の言う騎士として頑張るっちゅう事やろ?


「そんで、まあ、聖剣にこれ以上手垢が付かんように不敗神話でも作る事にするわ」


 そうしてそれから数年。法王は崩御した。

 そしてサーティスは法王として即位し、時を同じくして東の国は滅亡した。





 あれから俺は決めたんだ。

 人類は各々に歩き出した。もう神の導き手は必要ない。

 だから王はもう必要ない。

 四王を統べる東の王がいなければ神王の力は封じられる。

 その上で神器を破壊するのだ。

 人々が真に自由を手にする為に。

 俺にはあの時分かった。

 東の王子・ライリースが真の王であると。

 だから、これが歪んだ望みであっても決めたのだ。


「……………」


 サーティスは口の中で呟いた。





 お前には死んでもらう。





 …と。


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