第10話 長剣

 帆が満帆まんぱんの風を受けると、三本帆柱マストの戦列艦『キースリング』は白い砂の上をゆるやかに進み始める。『キースリング』の右舷うげんではレイン、ジョシュ、ダンテが姿勢を正して直立していた。三人の視線の先にはリリーと二人の女が立っている。


「ねえ、ねえ、すごいよ!! 砂が波みたいに跳ねてる!!」


 歓声を上げたのはリリーと同じ背丈の少女で、燃えるような赤い髪をツインテールにしている。黒の給仕服にフリルのついた白いエプロンとカチューシャを身につけていた。


「リリーも早く見て!! かっこいいよ!!」

「クロエ、わかったから少し落ち着いて……」


 少女は名前をクロエという。れしく皇女を呼び捨てにするが、リリーに怒る気配はない。リリーは苦笑いを浮かべながら隣を見上げた。そこには軽装甲冑を着た背の高い女が立っている。艶やかな黒髪を伸ばし、切れ長の目をした美人だが、どこか陰のある雰囲気をまとっていた。


「ねえ、ソフィー。クロエのところまで行ってみましょう」

「うん。わかった……リリー、揺れるから気をつけて」


 女もリリーのことを親しげに名前で呼んだ。やがて、リリー、ソフィア、クロエは一緒になって船縁ふなべりからウルド砂漠を望む。三人は青と白で区切られた世界を眺めながら談笑し、ときには歓声を上げている。


 リリーたちの姿は観光旅行にでも来たかのようだった。レインたちははしゃぐ皇女たちを見守る護衛と変わらない。ジョシュはレインを肘で軽く小突き、小声で話しかけた。


「なあ、レイン。どうなってんだよ……」

「僕にだってわからないよ」

「俺たちは近衛兵か? お前、リリー殿下と一緒に乗馬してただろ?」

「そうだけど……」


 レインも戸惑っていた。『キースリング』にはリリーの親衛隊隊長であるソフィア・ラザロと近侍隊隊長のクロエ・ベアトリクスも乗船することになった。しかし、二人が来たとたん、リリーはレインを無視するかのように過ごしている。


 話しかけてもらえないからといって、立ち去ることなどできない。レインはどう対応したらよいのかわからなくなっていた。困り果てていると今度はダンテがレインを小突く。


「リリー殿下はレインが話しかけてくるのを待っているのではないでしょうか……」

「殿下が? そ、そうかな……」

「このまま、ここでボーっと立っているおつもりですか? レインは婚約者なのですよ。リリー殿下と仲良くなってもらわねば、あえて乗船されなかったロイドさまとサリーシャさまのお気持ちを無駄にします」

「……わかったよ」


 両親の名前まで出されるとレインも頷くしかない。しかし、話しかけろと言われてもレインには適当な話題が思い当たらなかった。


──リリー殿下はウルド砂漠に詳しかったな……ウルドの天候や星空のことを……いや、逆に帝都のこと聞くべきかな……。


 あれこれと考えているうちにレインはリリーたちの後ろまで来てしまった。レインの気配に気づいたのか、ソフィアとクロエはちらりと視線を送ってくる。しかし、リリーは依然としてウルド砂漠を眺めていた。


「あの、リリー殿下……」


 もしかすると無視されるのではないか……そう思いながらもレインは勇気を振りしぼって話しかけた。すると、リリーはすぐに振り向いた。ただ、頬を少し膨らませて不機嫌そうな顔をしている。レインはリリーのわざとらしい表情を見てすぐに気づいた。


「ごめん、


 レインが呼び直すとリリーは口元に笑みを浮かべた。一歩踏み出してレインを見上げる。


「レイン、どうしたのですか?」

「何かウルド砂漠の説明でもしようかと思いました。興味がおありのようでしたので……」

「嬉しいです。できれば、ソフィーとクロエにも聞かせていただけますか?」

「もちろんです!!」


 リリーの笑顔はレインの高まった緊張を解きほぐす。張り切って答えるとリリーはレインの後ろへ視線を送った。


「あちらのお二人は?」

「はい、ジョシュ・バーランドとダンテ・カインハルトと申します。二人とも僕の幼馴染で副官です」

「じゃあ、せっかくですから紹介してくださいますか?」 

「はい!!」


 レインはすぐにジョシュとダンテを呼んだ。二人ともリリーの前までくると片膝をつき、威儀を正して挨拶をする。


「リリー殿下、わたしはジョシュ・バーランドと申します。我があるじレイン・ウォルフ・キースリングの副官にございます」

「同じく、副官を務めるダンテ・カインハルトと申します。リリー殿下にご挨拶できて光栄に存じます」


 ダンテとジョシュの態度は皇女を前にしても気圧されず、堂々としている。レインが感心していると、リリーはレインの左腕に右手をかけてきた。驚くレインをよそに、ひざまずく二人へ向かって返礼する。


「わたしはリリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤ。レインの妻となるべくウルドまでやってきました。わたしも二人に会えて嬉しく思います」

「「ありがたきお言葉」」

「それでは……」

 

 リリーはソフィアとクロエに振り返る。 


「二人も挨拶して」


 リリーが促すと真っ先にクロエが進み出た。


「わたしは皇女近侍隊きんじたいのクロエ・ベアトリクス!! えっと……リリーの侍女武官です。よろしくお願いします!!」


 クロエは両手で給仕服のスカートをつまみ、片足を引いて挨拶する。所作は可憐だが、腰には湾曲した短刀を装着しており、スカートがゆれるたびに金属のこすれる音がした。


「次はソフィーだよ!!」


 クロエは照れくさかったのか、すぐにソフィアの腕を引く。ソフィアは少し困った顔をしていたが、レインたちの前に立ったときには目つきが鋭くなっている。皇女親衛隊隊長としての気迫が細身の身体から滲み出ていた。 


「わたしはリリー殿下直属、皇女親衛隊の隊長ソフィア・ラザロ……よろしく」


 ソフィアは淡々とした口調で、どこか不愛想な態度だった。リリーやクロエも苦笑している。レインとダンテは「よろしく」と返礼していたが……。



「ソフィア・ラザロ……ちょっと聞いてもいいか?」



 突然、ジョシュが暗い声色で尋ねた。険しい視線の先にはソフィアの長剣があった。

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