第13話 僕と蒼の新しい記録

 蒼さんが箱庭の世界から戻ってきてさらに一ヵ月が過ぎた。彼女は順調に体力を回復し、今は空庭家の屋敷に戻っている。僕は今、彼女がいる屋敷へと車で向かっていた。

「遅い」

「ええっ」

 屋敷に着いて早々、蒼さんは妙に不機嫌な顔で僕を出迎えた。遅いといっても大体このくらいの時間には迎えに来ると、事前に伝えてはいた。

「私はもう準備万端というのに」

「いやいや、時間はまだあるというのに……」

「やっと色々動けるようになったのだから、時間が惜しいの」

 蒼さんは退院してから、少しずつだが自ら学校へ赴くようになった。最初はなかなかクラスメイトと打ち解けることが難しかったが、例のネロに似た少女こと黒羽 墨音くろは すみねさんと、そしてロズに似た少女こと紫桜 桃花しおう とうかさんが蒼さんを助けるように支え、今や友人の仲に。この話は蒼さんとの電話で知ったが、その時の蒼さんは嬉しそうに話していたのが印象深かった。とても嬉しかったのだろう。

「それにもう、お父さまは完全に私のこと興味無くなったし、今がチャンスではあるのよね」

「……」

 退院してから真っ先に蒼さんがしたこと。それは藍一郎さんが遺してくれた遺産を全て蒼さんの父親に譲渡するという話だった。これには弁護士との話し合いもあり、今も現在進行形で色々手続きが進めているけれど、蒼さんは正直ほっとしていると語っていた。それもそのはず、ずっと父親に狙われていたのをやっと肩の荷が下りたのだから。そして遺産を全て譲渡する代わりに、蒼さんは自身に二度と関与しないで欲しいことと、僕との婚約破棄を無くすという条件を蒼さんの父親が快く承諾したといった。

「ま、まずは慣らしということで、ね?」

「そうねえ。私が貴方の家に慣れるかしら……」

 彼女はもう空庭家に居場所は無くなってしまい、そして彼女もまたここから出たいと願った。僕はなんとか穏便な形で、ということで蒼さんを僕の下で一緒に生活することになる。最初は正直、十代の少女を自分の下にいさせるのもどうなのかと悩んだ。が、蒼さんはこのままいても精神的にも身体的にもよろしくはないという判断で、秋がくる前には一緒に暮らしましょうという話にまとまった。

「だから今日、僕の家に泊まりに行くって話でしょう?」

「隠すものは隠した?」

「隠すものはありません!」

 蒼さんはにやにやとした顔で僕を見ていた。一体何を期待しているのかわからない。そもそも蒼さんは歳に見合わない発言もするので、僕はその度にどきどきしてしまう。いわゆる心臓が持たないというやつだ。

「その前に道中であの……紅也さんのお友達さんにお礼のご挨拶をしなきゃ、ね」

「緑都にはもう連絡してあるから大丈夫だよ」

 今回の件で一番お世話になった、僕の友人である緑都。僕からもお礼はしてあるが、蒼さんはきちんとお礼が言いたいということで菓子折りを5つ分用意していた。彼は甘い物が好きなので、この日のために蒼さんは高級菓子を選んでいたという。

「ああ、そうそう。墨音さんの家が洋菓子店だったから、ここでも一つ買っておいたの。墨音さんところのお菓子、とても美味しかったから」

「そうだったんだね。緑都、きっと喜ぶよ」

 彼はきっと喜んで全部食べ切るだろうな、と思うと少し笑みが零れる。

「それはそうと、その前に。……蒼さんに贈るものがあるんだ」

「? 何かしら?」

 それは蒼さんが眠ってしまった間に渡しそびれたものがあった。僕は蒼さんが戻ってきたら、必ず伝えたいと思っていた言葉が一つあったからだ。

 スーツの上着にある胸ポケットから、僕は小さな箱を取り出す。彼女はそれを見て「あ」という声を小さく漏らした。

「蒼さんへ謝るのもあるんだけども……。その前に僕は一番に伝えたかったことを伝えるよ。……貴女が二十歳になったら、僕と結婚してください」

 小さな箱を開けて、僕は蒼さんにそう告げた。箱の中には銀色に輝くリングが入ってある。

「……っ!今、言うの……!?」

「今しかないと思ったから!」

 蒼さんは顔を物凄く赤くして視線を逸らしていた。普段は僕に対して強気に言うが、今は立場が逆のようだ。

「もちろん、答えは『はい』に決まっているわ。……あともうちょっとだけ待っていて」

 それじゃあ、と言って僕は蒼さんの左手薬指に用意した婚約指輪を通す。白くて小さな手に輝く銀色のリングが、とても目立っていた。

「無くさないようにね?」

「どうしてそんなに念入りに言うの?」

「……なんとなく、かな……」

 僕はそっと蒼さんから目を逸らした。そこにはぽこぽこと僕を叩く蒼さんがいて、どういうことだと叫んでいる。蒼さんはたまに抜けているところがあるから、少しだけ心配だなと思っただけである。

「ようやくこれを渡せてよかったよ。婚約破棄を告げられる前にこれができてしまっていたから……その……」

「それは気まずかったわよね……ごめんなさい」

 これは蒼さんの誕生日――5月1日に渡そうと思っていた誕生日プレゼントだった。今はもう8月に差し掛かろうとしている時期なので、かなり遅れてしまった。だが、結果的に喜んでもらえたから何よりだ。

「それじゃあ、行こうか」

「ええ」

 僕は蒼さんの手を引いて、屋敷から出た。この決断がきっと、僕たちにとって良い未来を歩めるものだと思いたい。……恐らく藍一郎さんもそれでいいと言っているだろう。

 

「ところで、本当に隠すものないの?」

「ないってば!」


 僕と蒼さんの日常はこれからも記録していく。それは、箱庭世界の僕がやっていたように――




蒼の箱庭と紅の記録 完

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蒼の箱庭と紅の記録 空鳥ひよの @hiyono_soradori

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