第5話 蒼との出会い

 現実世界の紅也に報告メッセージを送った箱庭世界の紅也は、はあ、と小さくため息をついていた。

「……こんな事言ってもどうしようもないのだけれど、ね……」

 彼は一つの事に悩んでいた。けれどこの悩みはどうしようもなく、本来こんな事を考えてはならないと思っていた事だからだ。

 ふと窓の方を見る。空はやがて青から橙色に包まれていた。そんな時に思い出したのは、箱庭世界の蒼との出会いだった。



 AIアバターとして生まれ、蒼の意識を現実世界に戻すべく放たれたAIアバターの紅也。彼は紅也の姿と一部の記憶を引き継ぎ、蒼がいる箱庭世界へと向かった。本当は箱庭世界にて、影でこっそりと蒼の様子を見守る役目……というのが当初の目的だった。だがその目的は着いて早々、崩れてしまったのだが。

 箱庭世界に着いて早々、紅也は森の中をさまよっていた。注意深く辺りを確認し、ここがどこなのかをゆっくりと見回す。周囲に人がいないか見て回ったが、誰もおらず。しかも目印という目印もなく、彼は森の中を迷い続けていたのだった。

 そんな時茂みから、がさがさという音が聞こえてくる。もしかして誰かいるのだろうか、と思い、紅也はその茂みにそっと近づいた。すると、茂みの中から急に何かが飛び出してきた。

「ふ、不審者かしら!?」

突然彼の頭上に木の棒らしきものが襲い掛かった。それは直撃し、紅也はふらりとその場に倒れた。何故、ここに着いてから酷い目に遭うのだろうと薄れゆく意識の中で、彼はそう思ったのであった。

 それから紅也が意識を取り戻したのはしばらく後だった。起き上がるとそこはどこかの部屋の中で、装飾品がきらびやかで、どこか上品さが漂う部屋だった。紅也はベッドから抜けだそうとすると、部屋のドアが開いた。

「あら、目が覚めたのね」

 凛とした声がある方向に視線を向ける。そこにはよく見慣れた姿の少女が立っていた。見慣れたといっても、それは赤鳥 紅也としての記憶から呼び起こされたもの。AIアバターの紅也自身の記憶ではない。

「あなたは……」

「私はこの箱庭の主をしている、空庭 蒼というわ」

 その名を聞いて紅也は内心慌てた。自分自身を見れば彼女のトラウマが引き起こされてしまい、ますます現実世界に戻ることができないかもしれない、と。だが、蒼の反応を見ると、どこか初めてみるようなそんな反応を示していた。

「あの、蒼さん。僕のことは知っていますか?」

「? いいえ、貴方の事は初めて見るわ」

 きょとんとした顔で蒼はそう答えた。一体どういうことなのか、と紅也は疑問に思う。

「そうですか……ええっと」

「あの、ごめんなさい!」

 蒼は突然紅也に対して謝る。突然の出来事に、紅也はさらに戸惑った。

「本当にごめんなさい。森の中に不審者が出てきたと思って、あの、貴方の頭を叩いてしまって……その……」

 あの時頭に走った衝撃はこれだったのか、と紅也は理解した。蒼が手に持っていた木の棒が、紅也の頭に見事直撃。その衝撃で紅也はその場で倒れ、今に至るということになる。

「いや、いいんです。あの場所で僕みたいな得体のしれない人がいたら、警戒するはずですし」

「まさか当たるとは思わなかったの!本当にごめんなさい!!」

 あわあわとしながら元気よく喋る蒼を見て、紅也は再び疑問に思ったのだ。現実世界の蒼と性格が違う、と。そういえば先ほど聞いた話でも、蒼は紅也を見ても何も反応を示さなかった。紅也は瞬時に思ったのは、原因は不明だが、箱庭にいる蒼はもしかすると記憶がないのではないだろうか、と。

「……それはそれで都合が良いのかもしれない」

「え?」

 紅也はなんでもないですよ、と蒼に言う。うまくいけば、もしかしたら蒼の傍にいれるかもしれない。紅也は心の中でそう企んだ。

「あの、蒼さん」

「なんでしょう?」

「僕、実はあまり記憶がないんです」

 えっまさか、と蒼の顔が青ざめる。紅也は慌てて先ほどの頭の衝撃ではないと説明をした。

「だから森の中彷徨っていたのですが……」

「貴方も同じなのね?」

 蒼の言葉に、紅也は思わず驚いた。

「私もね、記憶がないの。ここに来る以前の、ね。……覚えていたのはこの箱庭の主ということ。そして私が空庭 蒼という名前であること。それ以外はわからないの」

 それを語る時、蒼の表情にわずかに悲しい表情を浮かべた。寂しいような、悲しいような、黄昏時に降り注ぐ光と相まってそう見えた。

「だから、もし行き場所がなかったらここに住んで……そうね、私の傍で仕える付き人にならない?」

 紅也はその話を聞いて好都合だと感じ、蒼の提案を受け入れた。それに蒼の傍にいれば何かこの世界のことについて、色々わかるかもしれない。

「不束者ではありますが、よろしくお願いしますね蒼さん」

「うん、よろしくね。……あ、名前聞いてなかった。というか名前覚えているのかな?」

 ここでは一応名字は出さない方がいいと思い、紅也は蒼に対してこう名乗ることにした。

「紅也、とお呼びください。蒼さん」

「わかったわ、紅也」

 こうして二人は箱庭世界で出会い、そして今に至る。蒼には友人二人に恵まれ、そして穏やかな日々を送っている。ここでは病気のことを気にしなくても良い世界。そう、ここは蒼にとって楽園のような場所なのだから。



 紅也は定期的に何かあれば、現実世界の紅也と紅也の友人である緑都へ連絡している。これが彼の本来の役目だからだ。だが、彼の役目はそろそろ次の段階へ踏むことになるだろう。当初の目的である「蒼を現実世界へ戻す」ということを。

 だが箱庭世界の紅也は迷っている。彼女を現実世界へ戻すことが、本当に最善の方法なのかということを。だが現実世界での状況を聞く限り、彼女の身体は少しずつ弱まっているという報告もある。だからこそ、目覚めさせなければならないのだが――

「どうしたらいいんだろうな、僕は」

 今だ来ぬ返事に、紅也は焦りを見せている。次にやるべきことは恐らくあの祭壇のこと。もう一度祭壇へ向かい、確認しなければならないのだろう。そこにいたのが本当に空庭 藍一郎氏であれば、この世界を作ったであろう彼ならばこの世界から出る方法を知っているかもしれない。

「僕は、蒼さんを……」

 窓からにじみ出る光に、紅也は目を細めた。


第5話 END

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