第4.5話 もう一人の紅(あか)が生まれた日

 俺はあの日、忘れられない光景を見た。雨の中、傘を差さずに俺の家へやってきた親友の哀れな姿を。


 その日は雷雨が酷いという予報が出ていた日だった。俺は相変わらず、引きこもって仕事をこなしていた。

「あーあ、雷のせいで作業が遅れそうだナ」

 今やネット世界やVR等が発達したこの世の中、機械に関してはまだまだ甘ちょろい部分が多い。雷が鳴り始めたら、ノートPCでの作業に移らなければと、いそいそと用意をしていた。

 今は便利なものや娯楽がさらなる進化を遂げた。それは、人にとって喜ばしい事実であり、実際色んな人が利用し、世界が広がったものだ。そんなものに俺は以前、深く関わっていたが人との関わりが複雑になっていくほど、俺のやりたい事ができなくなり、今やフリーとして活動している。俺の実績のおかげで、飯は普通に食えているが。

 カタカタとキーボードを小刻みよく叩く。俺の親友――紅也曰く、まるで音を奏でているみたいだと言われたこともあったが、言われるまで気づかなかったものだ。

 遠くで雷の音が聞こえる。もしかしたらこちらにも雷が来るかもしれない。ゴロゴロという音が聞こえてきた時、俺のスマホに着信が入った。表示を見てみると、紅也からの電話だった。

「おう、どうした?」

 いつもの調子で俺はあいつに話しかける。すると、あっちから聞こえてきた声はどこかか細く、弱々しい声だった。

『……緑都』

 電話越しに雨の酷い音が聞こえてくる。あいつは外にいるのか、はたまた車内にいるのか。

「おい、どうした。元気ないじゃんかヨ」

 俺がそう問いかけると、紅也は俺ん家に行くという一方的な言葉を投げかけられ、電話はそこで切れた。

「……何があったんだよ」

 あいつが弱々しい状態になったのは高校時代に一度あったくらい。それ以降はそういう素振りも見せることなく、今の今まで友人として付き合ってきたが。とりあえず、あいつが来るのを待つしかないなと思いながら、ノートPCを起動した。

 数十分後、家のインターホンが鳴った。オートロック式なので、確認し開ける。そしてしばらくすると、俺が住んでいる部屋の扉が静かに開く。

「……紅也、お前ずぶ濡れじゃねえか!」

 どうやら大雨の中、傘を差さずにここへ来たらしい。そして姿を見るに、病院からの帰りだったのかスーツ姿のままだった。

「緑都、僕は。僕は、蒼さんを……」

 玄関先で悲鳴にも懺悔にも聞こえたそれは、今までに見た事のない姿だった。高校時代からの付き合いとはいえ、こんな哀れな姿を俺は見た事がなかった。あいつに一体何があったのかわからないが、とりあえずバスタオルを投げつけて部屋に上がらせた。

 服はずぶ濡れだったので、俺の持ってる衣服を手渡してシャワー浴びろと言った。ふらふらと歩くその姿を見て、まるで生きているのか死んでいるのかといった様子だった。そんな友人の姿を見て、俺の調子が狂わされる。どう声をかけていいのかわからないからだ。

 紅也が風呂場から出てくると、俺はそこに座れとテーブルのある場所へ促した。ちらりと顔を見ると、目は死んでいるし表情も何一つ変わらない。ここに来た際に「蒼」という名――紅也の婚約者であるお嬢サマになにかあったということは確かだな、と察しはついている。

 奴の前に茶を入れたマグカップを置く。持つ気力はないのか、それをじっと見つめていた。

「で、話せよ。お前がこんな状態になるのは相当だと俺はわかっているゾ」

「……蒼さんが、眠ったままになったんだ。僕の、せいで」

 紅也は優秀かどうかは知らないが、いい医者ではないかと思っている。だが、そんな奴に医療ミスがあるなんて――

「蒼さんのお父さんが、僕と蒼さんの婚約を解消してきて……。その事を僕の口で蒼さんに告げたら、蒼さんはVR箱庭の世界に入ってそれっきり起きることなく眠り続けてしまったんだ……」

「はあ!?VRソフトで眠り続けてるだと!?」

 そんなものが存在したらソフトの開発元や販売元は訴訟問題もの。ましてや人の命がかかわる。それは不良品と呼ばざるを得ない代物だ。

「それ、どこのメーカーだったんだ?」

「わからない……。なにも詳細がわからないらしくて、それ。今は病院に運ばれて、病室で静かに眠っているけれど、この状態が続けば命に関わることになるって聞かされて、それで」

 テーブルにぽたりと雫が一滴落ちる。ふと見れば、紅也が静かに泣いていた。話からして、婚約解消の話はどうやら紅也から告げたものらしく、それでお嬢サマがこうなってしまったのは自身のせいだと責めたてているようだ。

「全部、僕のせいなんだ。僕があの時、蒼さんのお父さんに反抗すれば、あの時蒼さんと一緒に出て行けばこんな事には――」

「落ち着けよ。今ここでギャーギャーとたられば言っても仕方ねえだろ」

 あいつは話せば話すほど泣きだすので、こんなに弱いやつだったんだなと目の前で改めて思った。俺は抱えるものがないからこんなこと言えるのだろうけれど、同じ立場だったら絶望感半端ないんだろうなと茶を啜りながら思った。それに紅也は、お嬢サマのことをすごく大切にしていたのを俺は知っている。あいつと会うたびに、惚気話を聞かされるほどには。歳が大きく離れているとは聞いていたが、互いに愛し合っていたというのはわかる。じゃなければ、喜々として話すあいつはいないだろう。

「VRに眠っている……か」

 そういえばそんな事例をどこかで聞いたなと思い、ノートPCで検索をする。サーチエンジンでそれらしい単語を入れると、過去の事例でひとつ、二つと出てきた。それらの記事を斜め読みしたが、大体がVRの技術がさらに発達し、それを体験し始めた人達の実験過程で出てきた事例だった。解決方法としては、VR内にいた人にVR内で呼びかけて目を覚ますように仕向けてなんとか目覚めたという事が書いてあったが、その方法すらも曖昧に書かれていたし、以降はVRソフトで眠り続けたという事例はなかったそうだが。

「……なあ。俺の策にでも一つ乗ってみないか?」

 この一言で、紅也の肩がぴくりと動いた。

「今調べたら、VR内で眠り続けてる人の事例があった。もうそれは数十年前のレベルの話ではあるんだけどヨ。……眠ってしまった人を起こすには、VR内で起きることを本人に促せばいいらしい」

「!」

 ずっと俯いていた紅也は、その言葉を聞いて俺の顔を見ていた。

「で、だ。俺の策ってのはな、VR空間内にあるものを送り込む」

「……送り込むって?」

 紅也本人を送り込んでもいいんだろうけれど、あいつは仕事もあるし何より目が覚めた時にお嬢サマの傍にいた方がいい。それにVR内はどういう不具合が起きているのかわからないというのもある。そんな俺が考えたのは――

「AIアバターを送り込むんだヨ」

 ニヤっと笑うと、紅也は疑問符を浮かべたような顔をしている。

「AIアバターくらいは知ってるだろうヨ!?お前んとこの病院も世話になってるだろ!?」

「……ああ、そういえばいたなあ」

 AIアバターは、AI技術がさらに発展し、ネットワーク上で活動できる存在だ。オンラインゲームだと、ゲーム内の安全を確保するためにパトロールするための存在としていたり、さっきも言ったが病院内でも医療従事者のサポートをするために活躍してたりと、VRソフトと共に進化してきた存在だ。

「でも、それってどうやって手に入れるんだ?」

「ふっふっふ……。こんな事もあろうかと、俺が個人でチキチキと作ってたんだヨ!」

 AIアバターはまあまあお高い存在ではあるが、一般人でも作れるようにはなった。とはいえ、専門知識を有するものでしか作れない代物ではあるが。そんな俺も学びのために、個人で地味に作っていたのだった。

「というわけで俺は黙って紅也モデルのAIアバター作ってた」

「え、ええええ!?待ってくれよ、なんで、おい、こら!」

 さっきまで沈んでいた奴の顔は今や、いつもの調子になっていたので俺は少し安心した。

「だってキャラ考えるの面倒でサ。いいじゃん、もう一人のお前だゾ☆」

「人に無許可で作るのはどうなんだよ!」

 まあまあ、と抑えつつも俺はそのAIアバターを本人に見せた。モデリングに関してはさっくりと専門ソフトで作り上げたので、細部は異なるかもしれない。でも紅也はそっくりだと言ってくれた。

「ということでな、お嬢サマが眠っているVRソフト内にこいつを送らせる。そして、目を覚ますように促させるんダ。そしたら、解決するんじゃねーかな、これはあくまで俺の憶測でしかないけれどナ」

「なるほど。でも思ったんだ、僕そっくりであればVR内にいる蒼さんは拒絶しないだろうか?」

「ああ~。それもあったか……。そしたらこうしようゼ。送り込んで観察してもらえればいい。そして見たものの記録を俺達に送らせる。それで判断しつつ、お嬢サマを目覚めさせるきっかけを考えりゃいい」

 そもそもVR内はどういう世界になっているかはわからない。まずは送り込んで様子を見たいものもある。

「これでよし、と。紅也、お嬢サマが入って行ったVRソフトってお嬢サマの手元にある感じか?」

「うん。一応手放したら危険かもしれないっていうことで、手元にある」

 それじゃあといって、俺は紅也に一つのポータブルデバイスを渡した。

「これをVRソフトにぶっ刺してこい。そしたらAIアバターがソフト内に入る。万が一抜き差しがあってもそれは大丈夫だ。データが入り込めばOKだからナ」

 あとはあいつがそれをやるかどうかに限るが、まああいつならやるだろうな。医者だし、人の命は救いたいという気持ちはある。それに、お嬢サマの事が好きなら尚更だ。

「AIアバターへの指示系統は俺がインプットさせている。あとはこの作戦がうまくいけばだナ」

「……ありがとう、緑都」

「礼はお嬢サマ救いだしてからにしろ。話はそれからだ」


 これが、俺達によるお嬢サマ救出作戦の始まりだった。以降はAIアバターの紅也から、日々の記録を受け取っているが次第にわかってくるこのVR箱庭世界について、俺は今日も画面と睨みつつある。


「早く目を覚まさせねえと、やべーな……」

 

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