第21話 関係性

 僕は勢い込んで質問する。

「それで、どうやってこの男を懲らしめましょう?」

 急に大きくなった声に驚くように、円城寺さんは目を見開いた。

「少年。それはやめておけ。私刑をするというなら賛成できないな。場合によっては、二度とこの場所には来させないよ」

 決して声を荒らげることなくいつも通りの声だったが、円城寺さんの言葉は僕を激しく鞭打つ。

「どうしてです? 円城寺さんの推理はかなり高い確率で合っていると思います。前回も被害を受けそうな人を救ったじゃないですか。今回はなんでダメなんです?」

「いいかい、少年。私は謎を解きたいのであって、誰かを罰したいわけじゃないんだ。もちろん、目の前に今明らかに被害を受けそうな危険にさらされている人から助けを求められたら、それを回避するために手を貸すこともやぶさかではない。可能な限り、依頼人の利益を図る。私立探偵とはそういうものだ。今回の場合、見知らぬ誰かは依頼人ではない。それだけのことだよ。よく考えてみたまえ。前回の必勝の神様にも何も制裁を加えていないだろう?」

「確かにそうですけど……」

「それに、ベランダ男とその相手のどちらが悪いのかも我々には分からないんだ。ひょっとすると、相手側には取り巻きがいて自分は手を汚さず鉄砲玉に突っ込ませることができるのかもしれない。それを恐れてこのような手段を取っている可能性もある。うかつに正義感から介入すると後悔することになるぞ」

 厳しい顔をしていた円城寺さんは不意に表情を緩めた。

「そうか……。少年も過去に中傷を受けたことがあるんだな。それで感情移入してしまうのか。気持ちは分かるが、自分への加害を誰かに投影して憎むのはやめておけ。本当に人生が狂うぞ」

「円城寺さんはそういう経験がないから、そんなことが言えるんだ!」

 自分でも驚くぐらい大きな声が出てしまう。

 すぐに恥ずかしくなって顔を伏せた。

「少年。君は私の何を知っている? 私の心の奥底に眠る怨念を知っているとでも?」

 その声の苦々しさにはっと顔を上げると円城寺さんと目が合う。

「別に私は復讐をするなと言っているんじゃない。そうしなければ前に未来に進めないというなら、自らの責任において君を嘲り虐げた相手に報いを与えるがいいさ。だが、その恨みを似た属性の誰かにぶつけるのはやめろ。そんなことでは過去の君の涙が渇くはずが無い。つまりだな、今こうして説教を垂れる私を恨んだなら、それは私にぶつけるしか君の心は晴れないよ。対象を拡大して女性に怒りをぶつけるのはやめておけ。君も『海底二万里』は読んだだろう?」

「別に円城寺さんにそんな感情を抱くことなんてないです」

 僕の恨めしそうな声に円城寺さんはフッと笑った。

「まあ、偉そうな高説は自らを戒めるために言ってる面もあるのさ。少年より長く生きているんだ。悲しみや憎しみの経験もそれなりにあるからね」

「それはそうでしょうけど……」

「もし、今後、誹謗中傷を受けたなら、いつでも私に言うことだ。私にできる限りのことはしよう」

「なぜですか?」

「なぜとはなんだ?」

「どうして僕を助けてくれるんです? さっきは正義感に駆られて第三者のために行動するのは良くないって言ったじゃないですか」

 ああ、どうしてこんなことを口走ってしまったのだ。ここはありがとうございますと言う場面だろうに。

 円城寺さんのチェシャ猫のような笑みが大きくなる。

「少年。君は第三者のつもりだったのか。つれないやつだな。世間で通じる適当な言葉は思いつかないが、私と君との間には既に何かしらの関係がある。いろんな要素が複雑に少しずつ混ぜられているカクテルのようなものだ。ただまあ、少なくとも、赤の他人では無いだろう」

 やっぱり器が違い過ぎる。大人の女性と青臭いガキでは話にならない。

 僕はここでなんと返せばいいのか、その言葉が出てこない子供なのだから。

 円城寺さんは困った顔をする。

「そんな表情はしないでくれ、少年。人は不自由なものだ。そうありたいと願うときに十分に人として成熟しているという幸運に恵まれることなど、まずないのだよ。できることはただ一つ。次の機会に後悔しないよう歩み続けるしかない」

 いたたまれなくなった僕は椅子から立ち上がり頭を下げた。

「分かりました」

 何が分かっているのかすら分からないけれど、僕は足早に部屋を出ようとする。

 後ろから声がかかった。

「少年。一つ、君が訝しんでいるが、口には出さない質問の答えを教えてやろう。この場所は、私にとって生活の糧を得る場所であると同時に監獄でもある。人に飼われた鳥は籠の外では生きられないと言うが、私は籠の外でも生きられると思うかい?」

 突然の謎かけに戸惑う。

 どんな表情をしているか振り返ってみたい衝動と戦い、後ろ手に扉を閉めた。

 トボトボと家路につく。

 自分の未熟さが本当に腹立たしい。きっと円城寺さんは僕のことを呆れただろうな。自分の頭の上の蠅も追えないくせに、他人のトラブルに正義感から首を突っ込もうとするなんて無謀すぎる。

 少しずつ冷静になるにつれて増々落ち込むことになった。

 僕のことを赤の他人ではないと言ってくれたけど、円城寺さんにとってどういう立ち位置になるのだろう?

 明渓学園の生徒という公式のものは別にして、出来の悪い弟のような感じだろうか。まあ、一ミリたりとも異性としては認識していないんだろうなあ。

 僕に対して憐みに近いものは持っているようだけど、ナイチンゲール効果を発揮しそうなタイプじゃない。もし、そうなら、僕は哀れな学生であり続ければ、円城寺さんは愛情を持ってくれるのかもしれないけども。

 現実では正しい道を指し示し、叱咤激励をするだろう。優しく寄り添って僕の心を癒してくれるなんてことは想像もできなかった。

 そういえば、部屋を出るときの言葉は何だったのだろう?

 僕が円城寺さんに抱いている興味や好意は筒抜けだと思う。僕はそれほど演技力が高くないし、向こうは大した観察眼の持ち主ときているのだから。

 その上で、僕が円城寺さんについて知りたいと思っていることの一部を自ら明かしてくれた。

 監獄という以上、円城寺さんは本人の意思に反して、書庫で働かされていることになる。

 あれだけ頭の回転が早ければ、他の仕事をしていても大成できそうだ。まあ、あの態度はあまり接客業向きではないけれども、士業に就いたら依頼が殺到するんじゃないかな。

 推理力に裏うちされた占い師というのもいいかもしれない。

 それなのに、ほとんど客の来ない書庫で、留守番のようなことをしているのは、やっぱり事情があったんだな。

 そして、最後の問いはどういうことなんだろう?

 いずれかのタイミングで、円城寺さんはあの書庫を出て行くつもりなのだろうか。

 経済的な不利益を被ってでも自分の道を歩むという決意表明かもしれない。

 それを僕に向けたのは、共に進んでいく覚悟はあるかという問いかけ……だったらいいけどな。

 まあ、円城寺さんも見かけほど人生は順風満帆ということではないらしい。

 だとするならば、並び立つパートナーには同水準の知力が求められる。いや、知力とは限らないか。何らかの力があればいいのかもしれない。腕力や財力だって、円城寺さんがそれを操ることで何倍も効率的に力を発揮するはずだ。

 そのいずれも持たない僕の無力さが悲しかった。

 自分でも円城寺さんに抱くものは恋愛感情なのか、憧憬なのかははっきりとは分からない。

 ただ、その存在は遠くにあることだけは間違いなかった。

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