第13話 恋の応援

 教室に入るなり秋山が寄ってくる。

 今日も早いので人の姿はまばらだ。

「昨日はありがとな」

「いや、本当に僕は大したことしてないから」

「でもさあ、結城も忙しいだろ、読書とか」

「まあ、あれぐらいはね。うまくいけばいいけど」

「今朝は兄貴起きてきてなくてさ。まだ顔見てないんだ。まあ、これでだめなら、仕方ねえよ。そもそも、兄貴がアホって話だしな。彼女さんのこと考えたら別れた方がいい気がしてきた」

 ちょっとコメントしづらいな。

 黙っていると秋山が歯を見せる。

「ボケ兄の心配よりも、俺たち自身のこと考えないとな。昨日の三人どう思う?」

「どう思うって?」

「そりゃカワイイとか、好みとかさ」

 咄嗟に言葉が出てこない。一呼吸して言葉を絞り出した。

「いや、そういうのはちょっとまだ早いんじゃないかな」

「早くねえって。こういうのは早いもの勝ちだぞ。また、ボケ兄の話で悪いんだけどな。彼女さん、それなりに人気があるんだわ。でも、兄貴と付き合ってるってことでお断りしてるんだよ」

「話逸れるけど、お兄さんの彼女さんと仲いいんだね」

 そこへ割り込むでかい声。

「彼女って誰だよ?」

 クラスの騒がしい男子の一員だった。

 秋山が面倒くさそうな声を出す。

「うるせえなあ。いきなり割り込んでくるなよ。俺の兄貴の話さ」

「なあんだ。崇の話かと思ったぜ。抜け駆けかよ、って焦っちまった」

「なんで、いちいち断らなきゃいけねーんだよ。小学生がお手々つないで横断歩道を渡りましょう、っていうんじゃないんだからさ」

「だけどよ……」

 秋山がしゃしゃり出てきた男子の相手を始めたので、僕は教科書に目を通すことにした。

 高校になると授業の中身の難易度が跳ね上がった気がする。

 他の教科も新出単語の数が多くて参っているが、数学と物理はなんでそうなるかが分からない。

 油断していると授業で置いていかれてそのままになりかねなかった。

 しかも、噂では物理は死ぬほど難しいマニアックな問題が出るらしい。

 学習塾に通うことはできないので、僕には教科の担任にその週のうちに聞くことにしている。

 今日は水曜日で、基本的に部活がない日だ。先生に質問するには最適の日なので、何を聞くか頭を整理した。

 五時間目の授業が終わると、帰り支度をした秋山が後ろを振り返る。

「今日は、かてきょーにバッチリ絞られる日なんだ。夜電話しても大丈夫か?」

「母がいると話しづらいかも。七時前なら大丈夫だと思う」

「分かった」

 途中まで一緒に行き、階段を下りたところで左右に別れた。

 慌ただしく帰っていった秋山と逆方向に向かい職員室の扉をノックする。

「失礼します」

 近くにいた中村先生が応じた。

「おう、どうした?」

 数学と物理の先生に質問があると告げると太い首を傾げる。

 物理の竹田先生はもう帰宅して、数学の先生は席を外していると教えてもらった。

「竹田先生に男子が質問とは珍しいな。女子生徒は割と黄色い声を上げてるが」

「そうなんですね」

 確かに竹田先生は若くて割とイケメンだ。

「大野先生は、すぐ戻ってくるだろうから、そこで待っちょれ。俺には質問ないのか?」

 なんと返事をすればいいのだろう? 無いというのも失礼なのかな?

 中村先生はダハハと笑った。

「無いなら、それで構わん。俺の授業が上手ってことだ」

 バンバンと僕の肩を叩く。

「分からないことでは無いんですけど……」

「どした?」

「課題図書、一部は僕には難し過ぎるんです」

「ほう。もう手をつけたのか。ああ、高校生で理解するのは難しいのが混じってるのはわざとだ。普段読まない本を読むのも刺激にはなるだろ。まあ、これ以上は言えんな。お、待ち人来たるだ」

 中村先生は大きな声で呼び止めた。

 大野先生は丁寧に解説をしてくれて、問題集のコピーもくれる。

 お礼を言って職員室を出た。

 家に帰ると瑛次が先に帰宅済みで、居間に陣取っている。

「あ、兄ちゃん、対戦しようよ」

「宿題やったのか?」

「まだ!」

「いい加減にしておかないと、母さんに怒られるぞ。先に済ませろ」

「兄ちゃんのケチ」

 相手にせず、もらった数学のプリントを解き始めた。

 瑛次もゲーム機のスイッチを切ると、寝室からノートと英語の教材を持ってくる。

「宿題終わったら、相手してくれる?」

「ちょっと無理。このプリントやったら、本も読まなきゃいけないし」

「兄ちゃん、全然遊んでくれないじゃん」

「あのな。俺も高校生なの。瑛次だって中学生なんだから、ちゃんと勉強しないとすぐに分からなくなるぞ」

 瑛次は首を伸ばして僕のプリントをのぞき込んだ。

「うええ、全然分からないや」

「そりゃそうだろ。いいから自分のやれよ」

「日本人なのに英語勉強するなんてイミフだよね」

「同感しかないがやれ」

 あとは問題に集中する。

 何問か解いているうちになんとなく分かってきた。

 次いで、「海底二万里」の最後を読んでしまう。

 ネモ船長の強烈な個性が印象に残った。単なる冒険小説かと思ったら、壮大な復讐の話でもあった。感想文はその部分を外せないだろうな。

 僕はたぶんここまで強い意志で恨み続けるというのはできない気がする。

 直接の加害者というならまだ分かる。ただ、その属性を持つより広い範囲の人に対して反撃をし続けるというのはどうなのか?

 僕が未熟なだけなのか、それともそれほどの怒りを抱くほど執着するものがまだ無いだけなのか。僕にはよく分からない。

「なんだか怖い顔してるよ」

 瑛次に指摘されて顔を上げた。

「少し息抜きが必要なんじゃないかなあ?」

 意図は見え見えだったが、あえて乗ることにした。

 今のところ、僕にとって大切なのは、たぶん家族なんだろうと思う。

 ゲーム機のコントローラーを握りながら、僕にそれ以上の存在ができるのだろうかと訝しんだ。

 数戦するとスマホが振動する。

 一時停止して画面を見ると秋山からだった。

「大事な電話」

 それだけ言うと部屋の隅に行く。

「もしもし」

 通話口から聞こえてくる秋山の声は笑いを含んでいた。

「兄貴、めっちゃキョドってる。ありゃ間違いなく効いてるわ。マジ受ける。いや、結城には本当に感謝してるよ。朝邪魔が入った話なんだけどさ、俺、彼女さんに兄貴の監視頼まれてるんだ。ギャンブルしてるってだけで嫌がりそうな人だからなあ。それで騙されたとか知られたら絶対縁切られるぜ」

「まあ、お役に立てたなら嬉しいよ」

「それでだ、これも朝の話の続きだけど、結城って、昨日お茶した三人で気になる子居ねえの? 俺、全力で応援すっから。好きなもの聞き出したり、さり気なく結城のこと褒めたりする」

「え?」

「あ、あの三人には興味ない?」

「いや、そんなこと考えてもなかった。それに向こうは僕みたいなの相手しないと思うけど」

「そんなことねえつて。結城はシュッとしてるし、結構いけるって」

「そういう秋山はどうなんだよ?」

「そうだよな。やっぱ、一方的に聞くのはフェアじゃないよな。……俺は緑川先輩が気になってる」

 これはびっくり。

「そうなの?」

「おかしいか?」

「ごめん。ただ驚いただけだよ。確かに先輩は気さくだし、見ていて元気が出るよね」

「あ、ひょっとして、結城も先輩ねらってたか」

「違う違う。なんというか、まだ恋愛とか、付き合うとか、考えてなかったから。そっか、なにができるわけじゃないけど、上手くいくといいな」

「本当に信じていいんだな? 結城はよく先輩と話しているだろ?」

「ああ、あれ。ちょっと相談に乗ってもらっていただけたから」

「うらやましいな。それって気にかけたり心配されてるってことだろ?」

「それだけ僕が頼りなさげってことじゃないかな」

「まあ、俺と緑川先輩のことは置いておいて。結城、気になる相手がいたら、早めに言ってくれよな。もし、誰かから、結城に付き合っている相手がいるか聞かれたら、居ないはず、ってことにしておくから」

「なんか前のめりすぎない?」

「だから恋愛は先手必勝なんだって」

「分かったよ。考えておく」

「それはそれとして、今度泊まりで家来いよ。お袋にも結城にはでかい恩があるって言ってあるから」

「泊まりはうちの親がちょっとね」

「無理にとは言わないから。じゃあ日中で。それじゃ長くなって悪かったな」

 電話を切ると瑛次が怪しいなあ、という目で僕を見ていた。

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