第8話 化け物と放浪騎士

「ウォォオォォォンンンンン」


 灰の積もった荒原の何処かから、狼に類似しているが全くの別物の遠吠えが轟いた。

 その声を聞いていたのは、荒原に片膝を立てて座る騎士であった。紅く染まり汚れた鎧、ボロボロの兜。赤い外套は焦げたように汚れていた。そしてその近くに刺さっている大剣は、所々風化してボロボロになっていた。


 兜の面頬めんばおの隙間から紅い瞳が燃えるように光った。

 ギシギシと軋む音を立てながら、立ち上がった。

「ハァ…………」と面頬の隙間から白い吐息が漏れた。


 騎士は大剣を引き摺るように引き抜く。ガチャガチャと金属同士が擦れる音を奏で、大剣を引き摺って一歩一歩確実に歩いて行く。

 目的を果たす為に──────…………。







 ◇







 買い物を終えた二人は、宿に帰る途中であった。静かな街中に響くのは、二人の足音。相変わらず、空は灰色の暗雲が覆った曇天だけれど。きっと暗雲がなければ、心地良かっただろう。


 こんな静かな街中で、何か起きる訳も無く宿に到着した。宿の自在扉を開けて中へ入る。


 酒場で夕食を取り、部屋に戻る。


 ルカは大剣を壁に立て掛けて、寝台ベットに腰を下ろした。


「…………人形で、遊ばないの?」


 ティアが机に仮面マスク長外套コートを置いている姿を見ながら、ルカは呟いた。

 ティアは振り返って、深紅の瞳をルカに向けた。


「なに?見たいのか?」

「…………うん」


 ルカはコクと頷く。昨日は良く見られなかった。だから、もう一度見たいのだ。

 ティアは溜息を吐きながら長外套コートの中を漁り、人形を取り出した。


 指に糸を付けて、人形を巧みに操って見せた。

 右へ回転しながら移動し、今度は左へ回転しながら移動する。その踊りは、高貴な場所で踊られるものに近い。気品のある踊り。ただの木の人形だと言うのに、貴さを感じさせる。

 ティアの芸当によるものか、或いは人形自体にそう感じさせるほどの魅力があるのか。

 前者だろうが、ルカには分からない。

 ただ凄いとしか分からないのだ。


 ルカが釘付けになって見ていると、プチッと糸が切れて右手が垂れ下がってしまい気品さが欠けてしまった。


「あーあ、切れた。ずっとこの糸で遊んでたからな。治しておくから、身体でも洗いに行け」


 そう言ってティアは、指から糸を外して人形を卓上に置いた。

 力無く倒れた人形をティアは、治し始めた。

 ルカはティアに言われた通り身体を洗いに服を脱いで裸体となり、風呂場へ向かった。


 四畳ほどの風呂場には、昨日と変わらない手押しポンプと木の桶が置かれていた。

 手押しポンプで水を汲み上げて、桶に水を溜める。


 水の溜まった桶を持ち上げて、頭から被る。


「…………寒い」


 ぷるぷると身体を震わせながら、ルカは呟いた。相変わらず、冷水を浴びている。

 再び手押しポンプから水を汲み上げて、桶に水を溜める。多織留タオルを濡らして、身体を拭いていく。そして最後に、冷水を浴びて終了だ。


「…………寒い、冷たい」


 ルカは全く気持ちよくのない水浴び、元い身体洗いを終えて嘆くように呟いた。

 濡れた身体を乾いている多織留で拭いて、髪を乾かしながら風呂場を後にした。


「おっ、出たか。治ったぞ?」


 ティアは風呂場の自在扉を開けて出てきたルカを見て、修繕された操り人形を見せた。

 再び気品のある操り人形を見てルカは、慌てて服を着て披露を見た。

 貴い踊り。それは人形だと言うのに、何処ぞの姫が蝶のように踊っているようであった。

 目が奪われる。

 ルカは熱心に、ティアが巧みに操る人形を見ていた。


「ウォォォオォォォンンンンン」


 突如何処かで狼に類似しているが、全くの別物の遠吠えが聞こえてきた。

 二人にとって聞いた事のある声であった。


「!」


 ティアは操り人形を辞めて、窓の外を眺めた。しかし街中では、建物が邪魔で街の外まで見えない。

「チッ」とティアは舌打ちをして、外套を着てクレイモアを背中に背負って準備をする。背中から胸に伸びた帯革を尾錠で止めて、クレイモアを固定する。

 ルカも習い、大剣を背中に背負って黒死病仮面ペストマスクを装着する。

 ルカが黒死病仮面を装着する頃には、ティアは仮面を装着して準備完了の状態であった。


「行くぞ」


 ティアの指示にルカは頷いて、宿を後にした。


 自然とティアの走りが速くなる。

 ルカは置いて行かれないように、必死に後を追った。

 石造建築の建物の中を、走って駆け抜けて行く。目的地は街の外、その先にいるであろう化け物である。


 門を潜り、数日ぶりに外へ出た。

 灰の積もった荒原に出た二人は、キョロキョロと辺りを見渡す。

 しかし何処にも見当たらない。化け物程の図体なら、遠目でも直ぐに分かるものだが。


「いない?…………そんな訳無い。確かに聞こえたんだぞ?」


 ティアは信じられないと言わんばかりに、周囲を見渡している。


 ────────ヒュー。


 何か風を切る音が、ルカの耳に入った。

 ルカはティアに視線を送る。ティアの白く長い髪は揺れていない。つまり、風が吹いているという訳では無い。だというのに、風を切る音が聞こえる。


 ──────風…………無い。なら、なぜ?


 風が吹いていないのに、風を切る音が聞こえる。遠吠えがしたのに、化け物の姿が見当たらない。

 そんな考えに耽るルカの前に、ボタッと何か落ちてきた。


 ルカが落ちてきた場所を見ると、地面に積もっている灰は湿っていた。


 ─────雨?


 いや、違う?でも、どこから?上から落ちてきた。落ちる?


「!」


 ルカは上を見上げた。

 天高くから、黒く巨大な影が落ちるように迫っ来ていた。

 大きな口をパックリと開けて、落ちてくる。


 ルカはティアに視線を送る。

 ティアは相変わらず、周囲を見渡していて気が付いていない。

 ルカは脚を前に出して、駆け出していた。反射的、無意識の状態だった。だから、言葉より行動が先に出た。


「なんだ──────!?」


 ルカがティアに抱き着いて飛ばしたのと、同時にルカが先程いた場所に何かが落ちた。

 粉塵が舞い上がり、姿を隠した。









 ♢






 吹き飛ばされたティアは、突然のルカの行動に驚愕するが、それよりもその後に落ちてきたものに唖然とした。

 ティアは半身を起こして、ルカを見る。ルカはティアの腹部に顔を埋めていた。次に粉塵が舞っている方へ視線を向けた。


 粉塵の中で蠢く何か。骨と皮しかないような翼が、粉塵の中から飛び出す。そして翼と同様に、骨と皮しかない細く長い腕が飛び出す。翼を中央に折り畳んで、粉塵を払うように左右に勢い良く広げた。

 それにより、粉塵が晴れてその姿を露わにする。


 赤黒く、骨と皮しかない怪物。大きな口はあっても、目や耳は無い。肋骨は裂けて、飛び出している。細いからか、骨盤の腸骨が浮き出ていた。


「ウオォォォオォォォンンンン!!」


 大きな口が開き、遠吠えをあげた。


 ──────あの色…………奴だ。


 以前傭兵達を殺した時に、化け物になった黒髪の男。

 目がないというのに、ティアに顔を向けてニィっと口を歪ませる。

 恨みを晴らしに来たのだろう。


「ルカ!構えろ!」


 ティアは腹部にいるルカに伝える。

 ルカはティアの腹部から離れ、立ち上がって大剣を構えた。

 ティアも同様に立ち上がり、クレイモアを構えた。


「ウォォォオォォォォォンンンンン!!」


 再び遠吠えを上げて、二人に飛び掛った。

 刹那、何かが怪物の上に落ちてきた。上からの衝撃により、飛び掛っていた怪物は地面に叩き落とされた。

 再び、粉塵が舞う。


「なんだ!?」


 ティアは驚愕する。

 一方ルカは、生唾を飲み込んで粉塵を見ていた。ヒシヒシと禍々しい気が、ルカは肌で感じ取っていた。なにか、恐ろしい何かがいると。本能的に感じ取った。


「ぎゃあッがァッが!!」


 粉塵の中、黒い影が足掻く姿が見えていた。恐らく、怪物が足掻いているのだろう。その上に何かが剣を突き立て、トドメを刺した。

 怪物はそれ以上、動く事は無かった。


 黒い人型の影は、ゆらゆらと怪物から降りて粉塵から出てくる。

 紅く染まり汚れた鎧、ボロボロの兜。赤い外套は焦げたように汚れていた。そして右手には風化した大剣を引き摺って、此方へ向かってくる。兜の面頬から覗く、燃えているように光っている紅い瞳。

 その風格は騎士であった。かつては数多の武勲を立てたであろう騎士は、今では放浪騎士に成り代わり、尚且つ人を辞めていた。


「Graaaaaaaaaaaaaa!!!!」


 正気を失い本当の敵すら分からくなった放浪騎士が、二人に襲い掛かった。

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