11 再チャレンジへの道

祭りの前日で活気づく街を、夕暮れの運河沿いに歩く男がいた。さっきツクシと会っていた40男の北石照三である。今日も昼間は厚かったが、西の空が金色から茜に色づくこの時間は、柳が揺れる水面に吹く風が涼やかで気持ちよかった。

運河の通りは最近遊歩道として整備され、自動車や自転車が通らない、静かな道として住民たちに親しまれている。そしてこの遊歩道を下っていくと、せせらぎ公園と呼ばれる広い公園がある。伏流水の湧水が湧き出し、緑に囲まれたせせらぎの水路となっていて運河へと注いで行く。男は水際の階段になっている日陰に腰を下ろすと、スマホを手に取った。スマホの画面の向こうでは実家にいる妻と小学生の娘がほほ笑んだ。

北石は、もともと父親から受け継いだ金属加工の会社を営んでいたが、海外から安い部品がはいってくるわ、若手の技師が育たないわで会社は当初から経営が傾いていた。アイデアマンだった北石はオリジナル商品の開発に取り組んだが、商品化する前に会社が力尽きてしまった。結局会社をたたむことになり、妻にも子にも苦労をかけてしまった…。

「お仕事ご苦労様。もう、今日の仕事は終わったの?」

スマホから聞こえる妻の言葉に男は今日の報告を始めた。

「はは、そう言うわけで今朝も早起きしてラジオ体操指導の仕事だろ、それから午前中はカルガモバスに乗ってごみの分別収集の仕事、昼は高齢者への御用聞きの仕事、ポイントのたまる仕事ばかりだよ。でも今日は昼過ぎから船宿ホテルで祭りの警備の打ち合わせがあってね。こっちもポイントが出るって言うんで回ってね、打ち合わせのついでに例の仲間たちと久しぶりに会ってきたよ。うん、みんながんばってるようだったな」

北石が住んでいる村営の単身者向けアパートは、なんと家賃に地域通貨ラビットが使えると言う仕組みで、ポイントを多量に稼ぐと、タダ同然で借りられる物件だった。村のみんなの役に立てて、なんと家族に仕送りまでできてしまうのだ。

「ええっはてな、祭りね、すごいよ、ホテルで見せてもらったんだけど、鐘楼流しや花火もいいけど、昼間のパレードやオロチ神楽も見ごたえありそうだね。うん、アイデアコンテストの授賞式は夕方の6時からだよ、例の自動出しポットと、どこでも縄跳びの二つが予選を通ってね、うん、絶対受賞できるって期待してるんだけどね。二人で来れそうだって?そりゃよかった、うん、うん、待っているよ…」

妻の実家はこの倉河から2時間ほどの土地で、せまいけれど居心地は悪くなさそうだ。北石照三は、会社をたたむ前に実現できなかったいくつかの商品アイデアを練り直して再出発を狙っていたが、こっちにはアイデアコンテストと言うのがいくつかあって、うまく行けば商品化も夢ではない。今回は二つのアイデアが最終選考に残ったと聞いて、この村で働きながらチャンスを待っているのである。

「うん、おれの警備の仕事は3時からのパレードだから、それが終われば体が空くから。うん、じゃあ、明日ね」

男はゆっくり立ち上がる、運河沿いの遊歩道を下宿へと帰って行った。

そのころ仲間のもう一人の農業ガールの有野マナは、例のローカル線で自分の今住んでいる泉台地区へと帰りを急いでいた。鉄橋を渡るとすっかり辺りは山がちの地形になり、いくつかトンネルを通って電車は進んで行く。もともと都会暮らしだった彼女は学校を出てから、特に何もやりたいことがなく、フリーターをしながら日々を送っていた。でもテレビでモデルの女の子が農業をやっているのを偶然見てかっこいいと思ったのだ。それでバイトでためたお金で郊外に農地を借りて。チャレンジしたのが二年前だった。でも何の予備知識もなく農業を始めたためいくつもの壁にぶつかった。まず頑固おやじによって出足からつまづいた。

「なるべく農薬を使わないようにしたい?素人はすぐにそう言うが、それは現実には無理だよ。それにあんたの造りたいって言う作物は金にならない。そんなんじゃ食っていけねえよ」

近所の農家の頑固おやじとはことごとく意見が合わなかった。親切心でいろいろ言ってくれているのは分かるが、余計なお世話だ。この土地で農業するなら、この作物が儲かる、そのためにはこの種や農薬を使え、ここでこの肥料を使って、ここで除草剤を使って…と、ことごとくお前は素人だからと上から目線で言ってきた。最初は近所付き合いで、言う事を聞いていたが、実は親父の言うとおりにすると金がかかるうえ、自由もどんどん無くなっていった。さらに、途中で好きな作物を植えれば文句を言われるし、それでもなんとか作物ができると出荷方法や出荷先まで指定してくる。なんだろう、こんな農業、やりたかった農業じゃない、それで大喧嘩して、もう2年もしないうちにそこを飛び出してしまった。だが、この桜山村では朝市地区に農園村があり、そこは無農薬栽培もできて、自然農法も指導してくれる、なぜなら無農薬の有機栽培の作物がこの朝市地区の売りだからだ。最初はそこに決めるつもりだった。でも村の就職案内を見るうちにもう一つの情報が目に着いた。

「新しい農業、素人歓迎、パソコンに強い人大歓迎!、と言うものだった」

「素人歓迎ってどういうことだろう…?」

いつもあの頑固おやじに素人だとばかにされていた有野マナにはとても気になる記事だった。それでくわしく調べてみるうちに白壁大学の田部泰三教授のプロデュースによる新しい試みだと知り、こちらに舵をきったのだ。

「終点、泉温泉、泉温泉」

泉温泉駅のホームに列車が滑り込む。最近温泉も復活し、乗降客もだんだん増えてきた。駅前には旅館の出迎えの車がいくつも来ている。有野マナは、山間の駅を出ると、シカサンで帰途に着いたのだった。

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