博物館の奥には……

「三塚君!」

「――ハッ……」


 また、一瞬にして景色が変わった。

 展示室の入り口に立っていたはずなのに、いつの間にか魔女裁判の前に立っており、さらにその絵に触れようとさえしていた。


「まったく、問題は起こさないで、って言ったはずでしょ」


 絵に伸ばしていた俺の手を、横から掴んでいる樹墨が怒ったような口調で言った。


「もう警備システムを起動したから、展示物に触れると守護人形ガーディアンが来て痛めつけられるわよ」

「あ…あれ…?」

「『あれ?』じゃないでしょ? もう、油断も隙もあったものじゃないわ」


 呆けた顔がおかしかったのか、樹墨は口元を少し緩め、先ほどの怒った口調ではなく子供をあやすように叱った。


「俺、樹墨さんに呼ばれてここに……」


 ここに来る前に何かが起きた気がする。

 モヤがかかっている記憶を口に出しながら確かめていると、樹墨は訝しげな顔で俺を見てきた。


「私が呼んだ?」

「調べ物をしてたら名前を呼ばれたから――あぁ、もう帰るんだって思って、樹墨さんを探している途中でこの部屋に入って……どうなったんだっけ……」


 確か流れとしてはこうだったはずだ。


「そんなはずはないわ。第一、私はついさっき作業が終わったところなんだから。それで、玄関ホールに行く途中で、この展示室に入っていく三塚君を見て、この部屋に来たわけ。そしたら三塚君、絵に触ろうとしていたから急いで止めたのよ」


 「思い出した?」と樹墨さんに笑われた。

 展示室の入り口で魔女裁判この絵を見たまでは思い出したけど、そうすると入り口から絵まで徒歩5秒くらいの距離だ。

 随分と長く夢を見ていたような気がするけど、実際はそう時間はたっていないらしい。


「そうだったのか。……この博物館って誰か他に居ないの?」


 納得できないが、納得するしかなかった。


「最初に説明した通り、最終の作業は私一人でやっているわ。今、誰か居るとしたら、それは三塚君ね。それに、私が三塚君を呼ぶ時は館内放送を使えばいいんだから、わざわざ大声を出す必要はないわ」

「そう……か」


 確かにそうだ。

 展示室を見てみると、天井に埋め込まれたブランドのスピーカーがこちらを見ている。


「ねえ、本当に大丈夫? 家の人、呼んだほうが言いかしら?」

「いや、大丈夫。悪い、心配かけた」


 閉館後の博物館を好意で見せてもらった上に、これ以上世話になるわけにはいかないと思ったので、平静を装い樹墨の申し出を断った。


「それなら良いんだけど。それじゃあ、後は鍵をかけるだけだから、三塚君は玄関の小ドアから出て行ってちょうだい」


 樹墨さんに玄関ホールまで付き合ってもらい、玄関に備え付けられた小さな扉から外に出た。

 錬金術師博物館の周りは森林公園になっていて、寒さも相まり空気が澄んでいるように思えた。


 その空気を胸いっぱいに吸い込むと、あの焼けるような空気を思い出した。

 あの焼けるような日差しは空になく、冬の空は透き通り、月や星は輝いている。

 飛んできた小石の痛みは、今は冷たく吹く風に切られる痛みに切り替わっている。


「いったい、何がどうなってんだ……」


 幻覚を見たことなんて今までなかった。

 今日一日、おかしなことが続いた。

 そんな状態で帰路につく。


 体調不良というほどではないが、あまり食事をとれる状況ではなかったので、美優が用意してくれた夕食を断り自室に入った。

 その際、尋常ならざる雰囲気だったのか美優が心配してきてくれたが、体調に問題ないことを告げ、代わりに博物館で調べてきた資料を渡すだけに会話をとどめた。


 家に無事たどり着けた安心感からだろうか、体中から力が抜け、急激にダルさが襲ってきて身動きが取れなくなってしまった。

 そして、美優が運んできてくれた鎮痛剤を飲むといくぶんか楽になり、すぐに眠りにつくことができた。


 これなら、明日までには体調も良くなるだろう。



 ひんやりとした空気が辺りを包む中、亜樹は夢心地に道を歩いていた。

 しかし、その目は一切の事象を拒絶するかのように閉じられている。

 時間も深夜。服装も、ベッドに入った時のままだ。

 いつも通りの、学園までの道のり。

 歩きなれている道と言っても目を瞑りながら歩くのは簡単ではない。

 そんな道をのんびり、ふらふらと頼りない足で歩いていく。


(何だ、これは……夢――か?)


 一瞬、意識が戻った亜樹は辺りを見渡して思った。

 しかし、目を開けられたのはその時だけで、目はすぐに閉じられた。

 そして、次に目を開けたときには――。


「なっ、何でこんなところに……」


 目の前には魔女裁判があった。

 夕方に見た時と同じように、焼かれる魔女の叫び声が聞こえてくるような生々しい絵。

 それが、今、亜樹の目の前にあった。


「どうして……なんて……」


 これほど見たくない絵が今まで存在しただろうか。

 本能的に後ろに下がった俺の背中がトンッ、と誰かにあたった。


「ッ!?」


 後ろを振返ったが、そこには誰も居なかった。

しかし、この展示室内に誰か居る気がする。


「誰……だ……」

『――すまない。時間が無かったので、こうして少々強引だが来てもらうしかなかったんだ』


 心臓が締め付けられるほど苦しくなった。

 目には見えないが、声は俺の目の前から聞こえたのだ。


「何処に居る! 何の目的で俺をここに連れてきた!」


 半ばヤケになって怒鳴った。

 呼吸も乱れているのが分かる。


『このままでは、やはり話し難いみたいだな。呼吸が乱れている。目的は、そうだな――こちらに来てもらえるとありがたい』

「来てほしい? これ以上、どこに行けばいいんだよ?」


 この展示室の出入り口は一つしかなく、これ以上、進むのは無理だった。

 壁に溶け込む意匠の、スタッフ専用の出入り口も疑ったが存在はなかった。


『絵に触れてくれるだけでいい。後はこちらで処理する』

「絵に触れると守護人形ガーディアンが来るって聞いたぞ」

『対処済みだ。さすがに対魔法処理アンチマジックが施されている守護人形ガーディアンを相手に、残り少ない魔力で対処するのはかなり骨が折れた。さっきも言った通り時間が無い……早くしてくれると助かる』

「あっ……あぁ……」


 訳の分からないまま、恐る恐る絵に手を近づけいき、触れた。

 絵に触れた瞬間、手を置いていた部分から火の手が上がり絵を焼き始めた。


「うわっ! くそっ、どうなってんだよこれ」


 俺の驚きの声に、今まで会話をしていたはずの相手は何も応えなかった。

 火は勢いよく絵を焼く。


 その炎は天井や壁を焼くのではないかという勢いで燃え続けているが、炎は意思を持っているかのように額縁内でうねり、周囲に火の粉すら落とさなかった。

 そして、燃やす物が無くなった炎は次第に勢いを無くし、最後にはあっけなく鎮火した。


「どうなってんだよ、まったく……って、道がある――」


 燃えた魔女裁判の絵の裏にあったのは壁ではなく、奥へと続く通路がだった。

 灯りがなく、暗くて先は見えないが不思議と怖くはなかった。


「あぁ~!」


 突然、背後からこの場の雰囲気に相応しくない素っ頓狂な声が聞こえた。


「お兄ちゃん、ー燃やしちゃダメでしょ!」

「みっ、美優!? 何でお前がここに居るんだ!?」

「何でって、お兄ちゃんの後をつけてきたからに決まってるよ」

「だって、ここって夢のハズじゃ……」


 夢だと思って対応していた中、さも当たり前のように返す美優に、俺は驚くことしかできなかった。

 今まで俺は、「これは夢だ」と思い込もうとしていた節がある。


 絵の手触りや炎の熱。

 それら全ての実感が遅れてやってきて、これが夢ではなく現実であると理解した。


「お兄ちゃん、寝ぼけてるね。だから、そんな薄着で外を出歩いても大丈夫だったんだね」


 はいコレ、と美優から渡されたのは俺がいつも着ていたコートだった。

 用意がいいと言うか、何と言うか。そもそも、後をつけていたんだったら途中で起こしてくれていれば、こんな目に遭わなくてもすんだのに。


「でもさ、お兄ちゃん何やったの? 魔法使い?」


 美優は魔女裁判の絵が燃えてできた通路に頭を突っ込みながら聞いた。


「おいっ、危ないぞ」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」


 人の心配など毛の程も気にせず、美優は額縁をくぐった。


「ったく。おい、待てよ」

「中も結構、寒いんだね」

「人の話を聞かん奴だな。暗いところに、そんなにズカズカ入っていったら危ないだろ」


 通路は室内にあるというのに外気より冷えているような気がした。

しかし、俺はこの感覚を知っていた。

 テストの時に見た夢と同じ空気なのだ。


「一応、ペンライトを持ってるよ」


 美憂が用意良く持っていたペンライトを受け取りスイッチを入れると、白色の灯りが点いた。

 しかし、ペンライトの灯りだけでは、目先2メートルくらいしか明るくならず、なんとも心もとない。


 息苦しさに「ふぅ」と小さく深呼吸する。

 ここまで入ってしまえば先に進むしかない。

 ペンライト片手に呼吸を整えると、このまま絵画の裏にあった通路という未知の領域に進むことを決意した。


 引き返すという選択肢もあったが、あの声の主の必死さに押された形だ。

 そもそも、引き返した俺たちをそのまま返すとは思えなかった。


「お兄ちゃん、本当に大丈夫?」

「そう思うなら最初から入るなよ」

「違うよ。私が心配してるのは、お兄ちゃんの体調だよ。帰ってきたと思ったら顔真っ白で凄く気持ち悪そうだったよ」

「そっちか。悪い、心配かけたな。完全って訳じゃないけど、ここから家まで問題なく帰るくらいはできる」

「なら、いいんだけど。一応、これでも凄く心配したんだからね」


 その言葉を聞き、改めて申し訳なく思った。

 帰宅あの時の美優の顔を思い出せば、どれだけ心配しているかが手に取るように分かる。


「お前に体壊すなよ、って言っておいて、自分が壊してちゃ世話ないな」

「それは、お互い様だよ。健康な時は健康だし、悪い時は悪いし。どちらかがへばったら、どちらかがサポートをする……いわゆる、ひとつの愛の形だね」

「最後の方はよく聞き取らなかったけど、サポートしあえるってのは良い関係だと思うな」


 この解答のどこが気に入らなかったのか、美優は「むぅむぅ」と不満全開の表情で俺を睨みつけた。


「別に良いけどねっ。お兄ちゃんが弱ったら、その状態を保ちつつ長引かせてやるんだから」

「こえーよ」


 軽口を叩き合い適度に緊張が解れたところで、本当の入り口だろうか重厚な飾りの施された扉が目の前に現れた。


「す……凄いね、これは」

 この扉の向こうにどのような人や物が安置されているのか分からない。

 前に学園の遺跡発掘現場の見学をさせてもらったことがあったが、その時に見た王族の墓の扉なんかとんでもない豪奢なものだった。


 しかし、この扉はどうだ?

 華美な金細工といった装飾は全く見られず、全て魔力の通りが悪い黒鉄で作られている。


 しかし、黒鉄一辺倒とかと問われれば、地味だが細やかな細工が施されている。

 この飾りから、扉の向こうには表立っては言えないが、それだけ高位のナニカ・・・・・・が安置されているということだ。

 これだけ凄ければ、トラップの数も多そうだ。


「うーん、うーん」

「って、おいいぃぃ!」


 扉の細工に見とれていると、いつの間にか美優が扉を全力で押していた。

 こういった遺跡には必ずと言っていいほどトラップが存在する。

そのほとんどが死に直結するトラップだ。


「待て、待て。トラップが発動したらどうするんだ?」

「それなら大丈夫だよ。近づく時に確かめたけど、ここって誰かもう入ったのかな? トラップが全部、死んでたよ」


 ペンライトでトラップが仕掛けられていそうな場所を調べると、てが何かの力で抉られたような状態になっていた。


「トラップの場所なんて良く分かったな」

「お兄ちゃんが調べてくれた、資料を写したノートに書いてあったじゃない。資料探しの合間の休憩のときに読んだのよ」

「あんな汚い絵でよく分かったな」

「えへへ」


 博物館で資料を書き写したノートは、ちょっとしたメモや下書きに使用している物だ。

 あとで清書をかねてまとめようと書き足しに書き足しを重ねたせいで、自分でも訳が分からない呪術書のようになってしまっているノートだ。


 美優に見せる資料を書き写したページ以外は、おおよそ他人に解読できない内容だと自負していたが、読み解く奴が身近にいたとは……。

 しかも、ノートに書いてあるトラップの位置は他の遺跡見学に行ったときに書いた物で、この扉のトラップの位置とは一致しない。


 このノートを元に扉のトラップを全て見破るとは、さすが中等部トップの名は伊達じゃない。


「それよりさッ、このぉッ、扉を開けてぃよッ!」


 力強くぶつかっているが扉は微動だしない。

 そもそも「人力で開くのだろうか?」というほど大きく重そうな扉だ。


「お兄ちゃんの不思議パワーで開けてよこれ」

「不思議パワーって……そんなもん無いぞ」


 周囲を警戒しながら美優のところまで来た。

近くで見れば見るほど、その扉に施された細工の細かさに驚かせる。

そして、その大きさにも。


「これだけ古い博物館だからな……。魔法時代の物かも知れない」


 扉に触れてみると黒鉄とは思えないほど滑らかだった。

 細工の隙間も、少しの引っかかりもなかった。


 ――キィ……


「えっ?」


 黒鉄の滑らかさを確かめているだけで力を入れていなかったはずなのに、扉は簡単に開いてしまった。

 美優とは比べ物にならないほどに力を入れていないのに。

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