第37話 私の中の獣、そして躍動

 



 向こうの声が慌ただしいものになって、それが私の胸をざわめかせた。姫に何かあったらしい。




「姫がどうしたの?! 返事して!」


『姫が倒れて……熱がある、鼻から血も出ている。これ以上は無理だ』


「っ……そん、な」


『……まだ、やれます。これから最終確認を行います。それに、付近に雇われた者たちがいるかも』


『もう無理だ。オマエたちはアタシが必ず守るから』


『いい、えっ……彼女は、わたしの為に怒ってくれました。……あの夜に、怒ってくれました』




 彼女、とは多分、私の事なんだろう。




『彼女だって、わたしと同じ生まれで、あんなに苦しんでいたのに、その上で、わたしの為に怒ってくれました』


「……姫……」


『だからわたしも、それに応えたい……空虚なわたしでも、彼女の役に立てるんだって……約束、果たしたいです』




 それは、絞り出した言葉だった。


 あぁ、伶菜・エリツィナ。あんたはその歳まで施設にいて、まだ色んなことを知らないのかもしれない。でも、でもさ、空虚なんかじゃないんだよ。


 空虚な人間の言葉が、こんなに私の胸を震わせるなんて、あり得ないんだから。




「……師匠。姫のサポートしてあげて、私のことは、私がなんとかする」


『……ドローンを飛ばした後、確認まで2分かかる』


「うん、それまでに北上して、狙撃姿勢を確保する」


『……あの、そこ、屋上から……どうやって……?』


「私にとっては、地面を走るより、こっちの方が何倍も早いんだ。見てて」




 私の目の前にはこのビルの端、次に着地できそうなビルは少し離れていて、その距離3m。私には散歩するのと変わりない。この距離なら助走すらいらない。


太腿からふくらはぎ、足先の筋肉を爆発的に躍動させれば。


 ほら、私はいま空を飛んでいる。


 私は、夜空へと姿を隠す。そして、その闇の中を駆けるんだ。


 ビルからマンション、あるいはその隣へ、高低差を無視するように、私は全身を使って駆ける。




『……すごい、です。なんて、速さ、身のこなし……』


『……アイツも姫と同じ施設の出身者だが、その身に宿すものは大きく違う』


『……それは、一体?』


「話していいよ。姫が聞きたいなら」


『わかった。……ミオスタチン関連異常の人工再現、超々高密度筋骨の実現、運動に関する神経系の強化、など。要するに、人でありながら、獣を超える肉体を目指して作られたんだ』




 それが、私。ヒトデナシなのは、だけじゃない。そもそもが、人よりもはるかにとして作られてるんだ。


 あの子は、エリツィナはなんて、思うかな。




『あの夜に話したことは何の誇張でもない。あのリビングでアイツに向かい合うということは、のさ』


『……なる、ほど。だから』




 怖がらないで、くれるといいな。




『美しい。身体を、躍動させる彼女は、あんなにも、美しいのですね』

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