第30話




「あのさー」


「なんでしょうか、トオル」




 またサンドバッグを叩く。今度は最初みたいに適当でも、イメージをするものでもなく、コンビネーションを試していく。


ワンツーなんて、私が立つ戦場で、私が使った事はないけれど、選択肢として残しておく為に、身体に染み込ませるように動きを確認する。


 私の性格が悪い事は、もう誤魔化しようが無い。直すべきかなと思う事もある。けどどうしても、聞きたくなってしまった。




「この間は、ああいう話になったけど」


「はい、わたし、頑張ります。あなたの隣に立てるように」




 惜しい、今の私が欲しいのは、その言葉じゃない。私は多分、彼女の人形のような口から、聞きたいんだと思う。綿菓子のように甘く、コーヒーのように苦く、コメディのように絶望的な言葉を。


 左、右、ローキック。緩く打ったそれでも、私が放てばサンドバッグはまた耐えきれない様に悲鳴をあげる。




「まだ私はあんたを認めたわけじゃない」


「……そう、ですか」




 そんな顔をしないで欲しい。私が欲しい言葉を、その色素の薄い唇から紡ぎ出す時は、きっとそんな悲しい顔じゃ無いはずだ。


 彼女へ顔を向けるようにして、サンドバッグを背にする。




「もし、私たちの足を引っ張るような事があれば、やっぱりさ」




 身体を稲妻のように速く、竜巻のように捻り、サンドバッグへと蹴り足を打ち出す。


 打ち出される弾丸の様に、私という拳銃から放たれた後ろ回し蹴りは、吸い込まれる様にサンドバッグへと突き刺さり。




「私があんたを殺すから」




 破壊。


 中身が飛び散る。


 遅れて、サンドバッグを吊り下げていた鎖が大袈裟に耳障りな音を立てた。


 これが私だ。


 依頼とあれば人を殺し、自身を危ぶませるとあれば、また人を殺すのが私だ。そしてそんな私を見て『人殺しの透でも、私はずっとそばに居ます』なんて言って欲しい。


そんな夢の様な言葉を言って欲しい。これが私の中身なんだ。


 振り返ってエリツィナをみると、案の定固まっていた。


 そう脅しかけるためにサンドバッグを壊したんだから。きっと彼女は施設を出るまで、もしかしたら、施設を出てからも、暴力とは無縁の世界に居たんだろう。


そんな彼女の視点に立てば、蹴り一つでサンドバッグの中身が舞い散るこの光景は、にわかには信じられなくて当然だ。だから私にもはっきりと分かるほどには、彼女の目は驚きで見開かれていた。




「……それでも」




 ほんの数秒固まっていたエリツィナは、私の眼を見つめて、ようやく口を開いた。


 青い目は揺れている。驚きだろうか、恐怖だろうか、悲しみだろうか。そしてゆっくりと目を伏せて、またお祈りをする様に手を胸の前で抱きしめた。


 さぁ、伶奈・エリツィナ。


 こんなに醜い私を見て、あんたのその口は何を紡ぐ?




「わたしはあなたのそばにいます。あなたがわたしをその手にかける、その最後の刹那まで」




 ……その言葉は……多分、私が、最も彼女に求めていたものだった。




「……まぁ、出来ればそんなことがないと嬉しいけど」


「……はい。そうならない様に、頑張ります」


「お腹減ったね。ご飯にする?」


「ご飯、ご一緒しても良いのですか?」


「当たり前じゃん。これから一緒に暮らすんだからさ」


「……はいっ。トオルとご飯が食べたいです。わたし、トオルがご飯を食べるところを見るのが、好きかもしれません」


「なにそれ、褒めてる?」




 そうして、私から彼女へと歩み寄る。エリツィナも、私の言葉を受けて、私の近くへと寄ってきてくれた。私より少し背の低い彼女は、その青い眼を少しだけ輝かせている様に見える。


 トレーニングルームを出て、別部屋にある姿見に二人並んだ姿が映った。映り込んだ私の顔は、まぁ隠しきれないほど赤いし、目も潤んでいる。


この赤さが、トレーニングのせいだと、この子が勘違いしてくれていたら良いんだけど。




「トオル、これをどうぞ」


「え、タオル、いいの? シャワーとか浴びるんじゃなかった?」


「いえ、これはトオルが汗をかいて、身体を冷やしすぎない様にと用意しました。ですから」


「……そう、ありがと。使わせてもらうね」




 差し出されたタオルを受け取って、急いで顔に当てる。顔がもう、どんどん熱くなってきているのは気のせいじゃない。


自分のチョロさに笑えてきそうだ。




「……ごめん。炊飯器、セットしてたか見てきてくんない?」


「炊飯器。白米を調理する機械ですね、わかりました。あ、透」


「なに?」


「トオルが……サンドバッグ、ですよね。向かう姿、とてもカッコよかったです」




 それだけ言ってからエリツィナは静かに、でも彼女にしては早足で505号室へと駆けて行った。


 彼女の後ろ姿を見送ってから、私はその場にしゃがみ込む。


 胸がイヤになる程煩くって、頭がどうにもくらくらして、でも全然、イヤな気分じゃなくって、でもでも立っていられない。




「……うー……伶奈・エリツィナめ……」




 もう勘弁して。


 こっちはあんな調子いい事ばっかり考えてたのに、そんな言葉をかけられたら、私のメンタルはボロボロだよ。顔が良いって、ほんと反則だと思う。


 多分そのうち、私は彼女に謝ることになるんだろうなぁ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る