第29話





「よい……しょっ、と」




 まだ寝転がってたいと我儘わがままを言う身体を跳ね起こす。プログラムの合間に寝転がるのは気持ちがいいけど、こうやって次に移る時に億劫おっくうな気持ちが生まれてしまうのはかなりの難点だ。




「もう、次の訓練に移るのですか?」


「うん。トレーニングは集中して短時間でやる。一日かかる様なのもあるけど、それは流石に日頃の休日には出来ないから」




 明日は学校だって言うのに、山に篭ってサバイバルとかは、まぁ出来ないよね。




「てか、ついて来なくてもいいよ。あんたもやりたいことあるんじゃない?」


「出来れば、トオルの訓練を見ていたいです。ダメ、ですか?」


「……ダメってわけじゃないけど」




 別の部屋のサンドバッグへと歩み寄る。


 このトレーニングをする際は、つい力一杯叩きたくなるけど、大事なのはイメージすることだ。力任せに、好き勝手相手を殴れる状況なんて殆どない。


だから、自分の頭の中で空想の相手を作り上げ、その動きに合わせてサンドバッグを叩く。シャドーと違うのは、実物を叩く事で拳を痛めたりしないか確認したり、的確に急所を突くことができているかの確認ができる。


 それでもまぁ、やっぱり好き勝手叩きたくはなるので、最初は何回かぽすぽすと動かない的を叩いてみたりする。楽しい。




「……トオルの動きは、綺麗です」


「綺麗? 動きが?」


「みなさんがそうなのかはわかりませんが、拳を打ち出す時の所作、足の置き場所、そういったものに……そう、迷いがない様に思います」


「……ふーん」




 褒められると、正直ちょっと嬉しい。


 興が乗ってきたので、いよいよイメージを膨らませる。


 相手は身長180cm、体重100kgの男性。左手には逆手にナイフを持っていて、それを正面で構えている。構え方から、軍人ないし『経験者』の人間だ。


この手のタイプは、ナイフを当てることが目的ではなく、それすら選択肢の一つとして扱い、ただ相手を殺す事だけが目的である事を理解している。


それ、フェイントをいくつか挟んだ後に、ナイフを横薙ぎに振るってきたぞ。




「シッ」




 ナイフを持った前腕の内側を、右手の肘で受けてステップイン。


身体を捻りながら、左手の掌底をレバーへ叩き込む。ぎし、と言う音が鳴って、サンドバッグが揺れる。


 同業者の殆どに比べて小柄な私は、的確に救助を狙う事を意識しなければいけない。眉間、喉、水月、金的その他諸々。それ以外は全てハズレだ。




「んー……ちょっと遠いか」




 もっと踏み込みを深くしてもいいかもしれないけど、近づきすぎると捕まれる可能性がある。私にとっては捕まれたところでって話でもあるんだけど、想定しておくに越した事はない。


 そんな事を考えていると、男が半身の姿勢を取り、ナイフを突き出す様にして踏み込んできた。


これはまず、半分見えている男の背中側へ踏み込んでから私の左手で相手の肘を押さえ、そうして。




「……お、らぁ!」




 こめかみに向かって肘を叩き込む。


 ナイフが落ちる音、崩れ落ちる男の体。良いところに入ったみたいで、男は意識を失った。


 まぁイメージなんだけど。目の前ではサンドバッグが大きく軋み、悲鳴を上げているだけだし。


実戦で綺麗に決まる事なんかは殆ど無い、最初の数回のやり取りでどちらかが死ななければ、あとは泥沼だ。打ち勝ったとしても、目が潰されたり指がなかったりするなんてのはザラだろう。


そういう戦闘を経て、そうなった人たちを私はみてきた。サンドバッグへ向かうのは、自分がそうならない為のおまじないも兼ねているのかもしれない。


 しかしまぁ、このサンドバッグもボロボロだ。中身はともかく、そろそろ皮を変えてもいいのかもしれない……これ、使えるかな。

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