解析

 空が少しずつ白んでくる。


 夜の湿った空気が地面を這うような風に流されていく。


 葵は大通りを外れて、貧民街とも形容される危うい通りへと入った。


 倒れたまま寝ているのか死んでいるのか分からない者、まるで夢遊病者のようにうろつく者、手元を弄りながら無為な時間を過ごす子ども、壁に寄りかかって静かに死を待つ老人――すべての陽ならざる者を受け入れるこの一角は、自分がいるにふさわしい。


 ここで暮らす者のほとんどは生まれながら名前がないか、あるいは捨てている。


 葵もまた名を捨てた身であり、その身が何者にも見とがめられないことが有難かった。


 朝の薄闇にうごめく有象無象横を横目に見ながら、葵は自らの寝起きするうらぶれた長屋にたどり着いた。


 そして、背後に向かって、葵は一言つぶやいた。


「いつまで隠れているつもりだ」


 物陰から姿を現した禱り手の姿は、橋の上の悶着で薄汚れてはいるものの、おおよそこの一角には似合わない。


「へえ、あんたほどの使い手が、ずいぶんなところに住んでんだな」


 不信な女は、尾行を咎められたことを悪びれることもなく言い放った。


「横柄な。助けられた癖に」


「そりゃあ余計なことしやがって、とは言わないけどさ。それとこれとは話が別ってもんさ。ちょっと上がらせてもらうよ」


「……」


 礼ぐらい言ったらどうだ、と言いかけたが、自らも礼節を捨てた身であることを思い出し、「用があるならば入れ」と言い、長屋に彼女を招き入れた。


 ●


 四畳半の暗がりに、二人は向き合う。


 禱り手は胡坐をかき、上目遣いに葵を見上げる。


「あたしはあかりだ。あんたは?名前ぐらい教えなよ、知ってなきゃ後々面倒だ」


 こちらとしては長い付き合いをするつもりはないが、かといって知られて困るような名でもない。


「葵、十郎だ」


「葵、十郎、か。あんたアンドロイド専門の剣客なんだって。源さんからちょっと聞いたよ」


「源吉……まったく、余計なことをべらべらと」


「なんだよ、風来坊みてえな風体なりでそんなこと気にすんのか?」


 ひひひ、と灯は笑った。禱り手という職業から想像する人格とは真逆のふるまいのように思えたが、落ちぶれた浪人の葵やこの汚い長屋にふさわしい振る舞いに思える。


「で、話は」


「おっと、ごめんごめん」


 灯は、す、と畳を擦って膝を進め、顔が触れそうなほどに近づく。


 息を小さく吸う音が目に見えるように感じられる。


 その口から発された小さな囁き。


「あんた、あの浪人の芯、盗んだだろ?」


 ●


 葵は無意識に彼女の腕を掴んでいた。祈禱所暮らしの細く柔らかい身体は、にそれほど時間はかからないだろう。


 彼女は多少は怯えるかと思いきや、笑っていた。


「おいおい乱暴はよしなよ。なにも脅したり強請ったりしようってんじゃない」


 只者でない気配。


 あるいは禱り手とは皆、彼女のように何かが欠落したように見えるのだろうか。


 掴む手の力は緩めず、強めもしない。


「ならば目的は何だ。返答如何では――」


「その芯、あたしに解析させてほしい」


 彼女は言い、少し離れて葵の目を見た。


 その目は、笑ってはいなかった。


 ●


 葵は橋の上の出来事を思い返す。


 今回したうつろと呼ばれるアンドロイドの素体は幕府謹製。おそらくこれまで起こった暴走事件と同じく、行動不能になった素体は奉行所の改め処へ持ち込まれ仔細に検分されたのちに処分されるだろう。


 そして今日のひる過ぎには、機能実装時の事故があった旨の高札が出、担当役人の首が並び、時間と共に事態は沈静化するだろう。


 しかし、葵はそれを良しとしなかった。


 正確には、葵の直感がそれを良しとしなかったのだ。


 実際に虚に対峙して生じた感情は、「少しでも有用な手掛かりを手に入れておくこと」を最優先に判断した。


 芯の片割れを手にした処は誰にも見られていないと思っていたが、この女——。


「芯を解析させてくれれば、この件のもっと深い部分が見えてくるはずなんだ。頼むよ」


 と、灯は言う。


 灯の目的は分からない。聞くかどうかもまだ判断しかねる。


 しかし、次の瞬間には、


「解析は、今この場でできるのか?」


 と、葵は彼女の腕を放し、問うていた。


 葵はアンドロイドの詳しい仕組みは分からない。ただ心無い存在、人間の代わりを務める代替品、そういう認識でしかなく、それがどのような仕組みで考え、そして動いているのかは興味があった。


 彼らはどのようにしてあの太刀を知ったのか。


 それが分かるなら。


 葵は懐から、竹槍の先端のように斜めに鋭く切断された芯を取り出した。


 よくよく見ると、その芯はたくさんの棒、いや、糸状のなにかが束ねられている。


 縄のような、あるいは蝋燭の芯のような。


 この一本一本に、どれだけの思考や知識、動きが込められているのだろう。


 切り口を見て思い出す、あの驚き。特別な高揚感。そして足元の残骸が、アンドロイド以外の別のものに見えた悪寒。


「案外、あたしらの目的って同じところにあるのかもね、ねえ、アンドロイド殺しさん――」


 彼女は葵から芯を受け取り、畳の上に置いた。


 露出した糸を丁寧にほどき、その中から親指大の釣り鐘のようなものを引っ張り出した。


 灯は、ふう、と一つ息をつくと、今度は自らの装束の首元に手を突っ込み、一本の太い糸をぐいと引っ張りだした。


 意図の先端には分銅のような金属の塊がついている。芯についている釣鐘よりも一回り小さい。


「さて、旦那。なんか書くものはあるか。解析の内容を記録するんだけど」


「そんなものはない」


「……ま、確かに、あんたにゃ必要なさそうだな」灯は部屋を見まわして苦笑した。「じゃあ今からしゃべることは全部旦那が覚えるんだ、いいな。」


 灯はそう良い、背中から伸びる栓を、ほどいた芯へ突っ込んだ。


 その瞬間、灯は黙って動きを止め、「おッ……あ……」と苦悶の声を絞り出したのち、その場に倒れ込んだ。


 寝ているわけではなく、呼吸もせずぴくりとも動かない。


 葵が慌て、苦心して抱き起すが、その目は開いたままどこか中空を眺めている。


「おい、おい」


 まさか死んだのでは――と思ったのもつかの間、彼女の唇が細かくふるえ、少しずつ、言葉が紡がれる。


 解析が始まっていた。


 一言も聞き漏らすまいと、葵は集中する。


 ●


 うう、あ、あ、手先……の……れを……を……


 隠密、浪人、共有ししししししあああああああの。


 お、を、


 鉄、


 鉄鋸てっきょ


 いい、じ、じ、刃、


 実装かた、斬る。


 自刃、切断、影影影影影家老、たたたたたたヵかかかか蜘蛛井ぃいいい。


 流派。


 北辰一刀流、神道無念流、鏡新明智流、心形刀流、


 あ。


 切断。


 うう。


 う。


 宇真。


 無天、無心流。


 集約、自己修復、


 切断。


 頭(かしら)へ。


 斬れ。


 自害せよ。


 斬れ。


 ……


 ……


 ●


 糸の接合部が煙を上げている。


 何か肉が焦げるような不快な匂い。


 ただ事ではない気配に、葵は思わず接合部を掴み、引きはがした。


 灯は暫く息が詰まったかのように黙り込んだあと、げほげほとせき込み、灯は正気に戻った。


 大粒の汗が額ににじみ、鼻腔から一筋の血が流れている。


「何を考えているんだ。こんな無茶するんなら最初に言え」


「へへ……処置台のない解析なんてやるもんじゃねえな……どうだい、何か、分かったか」


「まずは息を整えろ」


 灯は暫く葵に体重を預け、その後、改めて葵に向き直る。


 彼女がつぶやいた内容を、葵がそのまま伝える。


「私の方は、収穫無し、か」


 灯はにやりと笑い、葵十郎を見た。


「でも、そっちの線から色々探れそうだね」


 彼女が何を考えているのかはまだ分からないし、分かろうとも思わない。


 だが、彼女がつぶやいた言葉には大きな意味があった。


 「なぜ、鉄鋸てっきょの名を……」


 「なんだい、知り合いか?」


 「そんなところだ」


 朝日が壁板の隙間から漏れ入り、細い筋となって葵の手元を焼いていた。


 ●


 「まあいいや、あたしは寝るぜ。こんなに夜更かししたのは初めてなんだ」


 彼女の鼻血を拭いてやり、狭い居室の一角に彼女を寝かせてやる。


 「すまねえな……あと、しばらく世話になるぜ。ここにいりゃさすがに祈禱所の連中には見つからねえだろ……」


 「待て、待て。誰がここに居ていいと――」


 灯はすでに寝息を立てている。


 葵はため息をついた。


 解析の恩義もある故、流石に今すぐ追い出すようなことはしないまでも、この先いつまでも居つかれては困る。


 ……今は考えるのも面倒だ、と葵は葵は彼女とは離れてごろりと横になる。


 そうだ、深く考える必要はない。彼女がどこで何をしようが、この家に居つこうが出ていこうが関係ない。


 葵十郎の次の一手は、すでに決まっているのだ。


(つづく)

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AI殺法 無心の太刀 ワッショイよしだ @yoshida_oka

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