6:死の抵抗

「…ん…」

「っ!?目が覚めたか!?お前、大丈夫か?」

「…坊ちゃん…えぇ、何とか…」


 私が目を覚ますと、すぐに視界の端から坊ちゃんが顔を出し、上から覗き込んできた。その顔には不安気な表情が浮かんでおり、私はとりあえず坊ちゃんを安心させる。どうも死を覚悟した昨晩の絶不調は、右肩の負傷に加えて、前日の夜通し行った見張りから来る寝不足が祟ったらしい。昨晩気を失うように寝付いた事で体調は幾分持ち直しており、未だ全身は灼けるように熱いものの、身を捩るような痛みは右肩一帯だけに留まっていた。私は床に仰向けに寝たまま頭を動かし、周囲を見渡した。


 板張りの馬車の中に毛布が敷かれ、私はその上に身を横たえていた。馬車は半円状の幌に覆われ、風雨を凌げるようになっている。馬車の中には幾つかの木箱が積まれ、坊ちゃんともう一人、ローブを羽織った女性が床に腰を下ろし、私の様子を窺っていた。馬車は動きを止めてその場に佇んでおり、時折外から警護の騎士と思しき鎧の擦れる音が聞こえて来る。私の心の疑問を汲み取ったかのように、坊ちゃんが状況を説明した。


「父上がゾンビの掃討を済ませ、現場の検分を行っている。…アンドレは、間に合わなかった。ゾンビになっていなかった事だけが、せめてもの慰めだ…」

「そう、ですか…」


 坊ちゃんの悔やむ姿を見て、護衛隊の皆の冥福を祈る。目を閉じ暗闇に覆われた私の世界に、女性の声が流れ込んだ。


「…それでリュシーさん、肩の傷の事なのだけれど…」


 私が再び目を開くと、坊ちゃんと入れ違う形で、女性が私を見下ろしていた。主力に従軍していた治癒師ヒーラーの彼女は、私に険しい表情を向ける。


「…あまりにも瘴気が濃くて、とてもじゃないけど、私の手には負えない。幸い侵食は止まっているようだけど、熱も下がっていないし、一刻も早く領都の神官に診せるべきだわ」

「そんな酷い状況なのかっ!?」

「ええ、シリル様。正直、神官でも治せるかどうか…」


 よく見ると、坊ちゃんの問いに答える彼女の額には、玉のような汗が幾つも浮かんでいる。私の傷を癒すために、相当力を使ったようだ。だが彼女の努力も虚しく、右肩の激痛は治まる事を知らず、相変わらず右腕から先の感覚が失われている。それどころか、目を覚まし少し体を動かしただけで、再び灼けるような痛みが襲い掛かって来た。


「…ぅ、ぐ…あぁぁっ…!」

「あ、おいっ!?しっかりしろ!」

「リュシーさん、しっかり!」

「はぁ、はぁ、はぁ…うぅぅ…!」


 二人の心配の声に気遣う余裕もなく、私は左手で毛布を握りしめ、絶える事のない熱と痛みに抗い続けた。




 結局、坊ちゃんと私を載せた馬車は旦那様率いる主力と別れ、一足先に領都へと帰還する事になった。馬車は新たに抽出された騎士達に護衛され、その中で私は坊ちゃんと治癒師ヒーラーの女性に見守られながら、4日かけて無事に領都へと到着する。その間、私はひたすら馬車の中で横になり、熱と痛みにうなされているか、力尽きて眠っているかを繰り返した。


 領都に到着すると私は奥方様でもあるマリアンヌ様の計らいですぐに教会へと運ばれたが、結局神官でもお手上げだった。彼は浄化の儀式で力を使い果たし、息を荒げながら、坊ちゃんに非情な結果を宣告する。


「こんな禍々しい瘴気は、初めてです。この瘴気を払い除けられるのは、恐らく聖女様しか居られません」

「そんなっ!?聖女様は、次、いつ西方に来られる!?」

「今のところ、全く目途が立ちません。お二方ともお忙しい身ですから…」


 治癒師や神官等、神聖魔法の使い手の中に、極まれに強大な力を持つ者が現れる。女神の恩寵あらたかな者は女性に限られ、彼女達は聖女と呼ばれていた。現在、この帝国には二人の聖女が居るが、一人は最も苛烈な北部戦線に張り付いており、もう一人は人々の求めに応じ広大な国土を飛び回っている。強力な軍隊を擁するラシュレー家の下で概ね安定が保たれていた西方は、結果的に後回しにされがちだった。診察台に横になったまま神官の言葉を聞いた私は、熱痛にうなされながら坊ちゃんを宥めた。


「はぁ、はぁ、はぁ…坊ちゃん、幾ら何でも私如きのために、わざわざ聖女様の御手を煩わせるわけには、参りません…私は大丈夫ですから…」

「まだ諦めるなっ!…待っていろよ。いつか必ず、聖女様に診せてやるからな!」

「はぁ、はぁ、はぁ…坊ちゃん、ありがとうございます…」


 例え実現しなくとも、平民上がりの騎士に対する坊ちゃんの気遣いに、私は嬉しさを覚える。出会った当初の坊ちゃんは我が儘が過ぎたが、ここ2年の小言の甲斐あって、このまま行けばきっとラシュレー家の当主に相応しい青年へと成長するだろう…その姿を、私が目にする事はできないかも知れないけれど。私は一抹の寂しさを抱えながらもラシュレー家の安泰を喜び、担架に身を横たえたまま、教会を後にした。




 ***


「…えぇと、これは…」


 次に目を覚ました私は、高い天井に描かれた見事な模様を目にして、戸惑いの声を上げた。


 周囲に目を向けると、自室と比べ遥かに広い部屋の中に、私のお給金では到底手の届きそうにない高価な調度品が幾つも並んでいる。私は部屋の中央に置かれたベッドの上に横になり、両脇に立つ二人のメイドが甲斐甲斐しく私の身支度を整えていた。


 教会を辞した私は、そのまま官舎の自分の部屋に戻り静養に入るものと思っていた。しかし私を乗せた馬車は官舎へは寄らず、私が熱痛にうなされちょっと気を失っている間にラシュレー家の館へと運び込まれる。その部屋は位の低い相手用とはいえれっきとした客室で、私は気を失っている間にメイドの皆さんの手によって着替えさせられ、官舎支給のものとは比較にならないほど柔らかなベッドの上に寝かされていた。目が覚めた私は大いに困惑し、部屋へと入って来た坊ちゃんに恐る恐る尋ねた。


「あ、あの、坊ちゃん。これは一体、どういう事で…?」


 私の困惑混じりに問いに、坊ちゃんは眉間に皴を寄せ、不機嫌そうな声で答える。


「…お前、あのまま独りで官舎に戻って、無事に明日の日の出を迎えられると思っているのか?今のお前は、ちょっと目を離した隙に死にかねない。此処まで生き長らえておきながらうっかり逝かれては、ラシュレー家の恥だからな。お前が回復するまで、ラシュレー家の総力を挙げて、面倒見てやる」

「い、いや、坊ちゃん、幾ら何でも心配し過ぎですよ。私がそんなポックリ逝くわけが…ぅぐっ…ぁあっ!?」


 坊ちゃんの一方的な宣言に私は反論すべく身を起こそうとして、その途端、右肩から発せられた激痛に呻き声を上げた。体温が上がり苦悶の表情を浮かべる私の額に、冷たく濡れた布が置かれる。


「はぁ、はぁ、はぁ…」


 額から伝わる心地良い清涼感に私が目を開くと、30代前半と思しきふくよかなメイドが柔らかな笑みを浮かべている。


「…ポーラと申します。リュシー様、御用があれば、何なりとお申し付け下さい」

「はぁ、はぁ、はぁ…」


 ポーラさんの言葉に、私は熱にうなされ考えの纏まらないまま、頷きを返す。ベッド脇に歩み寄った坊ちゃんが腕を組んでしかめ面を浮かべ、横になっている私を見下ろした。


「ほら見ろ。今のお前の言葉は、信用ならん。その傷が治るまで、此処で大人しくしていろ」

「はぁ、はぁ、はぁ…坊ちゃん、申し訳、ありません…」

「フン…」


 坊ちゃんの横柄な言葉に反論したいところだが、この体たらくでは何も言い返せない。私は素直に頭を下げ、ラシュレー家の庇護の下で回復に専念する事にした。

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