第32話

「人質を寄越せというのは、長年にわたる水龍たちにとってのルーティンなんだ。過去の文明がやらかしたことを、現代の人類に忘れさせるわけにはいかないからな。それを鑑みると、水龍は現在の世界にとっても脅威であり、同時に監視者であるとも言える」


 今更ながら、海斗は気づいた。自分の心臓が異様な脈打ち方をしている。落ち着くにはまだ早かったらしい。


「話を続けるぞ。今回、生贄候補とされたのは、海斗、泰一、舞香の三人。誰か一人が犠牲になってくれればよかった」

「犠牲? 生贄? ふざけるな!」


 海斗は怒りで弾け飛びそうだったが、池波が引き留めた。海斗自身、我を忘れていることを自覚するのに、しばしの時間が必要だった。

 それだけ、班長として皆に対する思い入れが強かったのだろう。


 泰一に羽交い絞めにされ、海斗はようやく拳を振り回すのをやめた。


「すまない、二人共。ここからが一種の暴露になるが――。夏休み前に、君たち日本の高校生全員の脳波測定が行われた。覚えているな?」

「は、はッ!」

「いい返事だ、泰一くん。だがあの測定の目的は、君たちの脳に異常がないかどうかを調べるものではなかったんだ」


 それを聞いて、舞香は眉間に皺を寄せる。


「我々自衛隊は、問題解決能力の差ではなく、未知の事態に対する即応性を調べていたんだ。そして、ペーパーテストで十分な結果を与えられた者を、さらに振るいにかけた。素性調査をさせてもらったんだ。集まってくれた四人、という人数は、ちょうどよかったというところだ

「ちょっ、待ってください、艦長!」


 海斗の慌てた様子が滑稽だったのか、相模はふっと頬を緩め、こくりと頷いた。


「どうして君たち三人以外に華凛が同伴していたのか、それが疑問なんだろう?」


 的確な指摘に、海斗も勢いを削がれて黙り込む。


「彼女こそ、海上にいる我々との連絡係だったんだ。コードネームはクランベリー。彼女からの連絡と、過去の文献をまとめたAIのお陰で、ダンジョンの様子は詳細に知ることができた。だが、華凛を責めないでやってほしい。実は――」

「相模三佐、もう結構です。後は自分が」


 そう言って、華凛は相模の言葉を遮った。海斗たちもまた黙り込む。

 ダンジョン探索中の華凛。自分の素性を明かした華凛。そして今、自らの身上を明かそうという華凛。その三者が、絶妙にかみ合わない。


 のんびりと場を和ませてくれるのでもなく、笑顔で銃撃を仕掛けるのでもない。

 では、今の華凛を表現するには、どんな言葉がしっくりくるだろうか?

 秘密を暴露するのに勇気を奮い立たせようとしている、年相応な女の子、だろうか。


「今回の作戦を主動した遠藤睦・海上幕僚長補佐官――私は彼の、愛人の娘です」


 がちり、と確かな音を立てて、部屋の空気が凍りついた。


「母はすぐ亡くなったので、実質的に私の肉親は遠藤だけ……。その彼が、私に武芸を学べというものですから、私はそれに従いました」


 もう知っていたのか、フィルネはがっくりと視線を床へ。海斗たちもそうできればよかったのだが、できなかった。目を逸らすことは、華凛の勇気に泥を塗る行為に思われたのだ。

 

「私は同年代である皆さんと、皆さんの未来に対する好奇心を穢れたものにしてしまいました。次はあなた方が、私を罰する番です。一本しかありませんが、よければこれをお使いください」


 そう言って、華凛は車椅子と背中の間から何かを取り出した。対人用コンバットナイフだ。


「えっ? えぇっ? な、なんだってんだよ、おい!」

「もう見たくない、見たくない、見たくない、見たくない……」


 パニックに陥る泰一。現実逃避を試みる舞香。俯き、無防備な姿を晒す華凛。

 相模も池波も、驚きのあまりまともに言葉を繋げないでいる。


 そんな暗雲の中を手探りで進むような、不気味な沈黙。それを破ったのは、やはり海斗だった。


 ガツン、と鈍い打撃音。

 真っ先に皆の目に入ったのは、華凛の前で仁王立ちになっている海斗だった。

 その手には鞘に入ったままのコンバットナイフが握られ、車椅子ごと華凛が倒れ込んでいる。その側頭部から、じわり、と鉄臭い液体が溢れ、白い床面を真っ赤に侵食していく。


「ごめん、華凛。でも今みたいにしなければ、いずれ君は同じことを繰り返す。きっと自分で自分を殺してしまうことだってあるかもしれない。だけど――僕はそれを許さない。これでも班長だからな」


 華凛は左手で側頭部を押さえながらも、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。

 そんな彼女の前で、海斗は車椅子を戻してやった。なんだかボタンやレバーがたくさんあるのが気になるが。


「さあ、華凛。もう僕は暴力を振るわないから」

「……」

「華凛? 大丈夫?」

「そこまでよ、海斗くん」


 二人に割り込んできたのは池波だった。


「華凛さんは……首から下が動かなくなってしまったの。手足の指先以外はね」

「……は?」

「海に飛び込んだ時、水龍と接触して脊椎を損傷したの。それでも、水龍は彼女を助けた。その命、無駄にさせるわけにはいかないわ。華凛さん自身のために」

「そ……それは……」

「それと、遠藤睦本人の処遇だけれど」


 という池波の言葉、遠藤睦という固有名詞に、海斗たちはがばりと振り返った。


「俺たちをあんなダンジョンに放り込んだやつだな? どこにいるんだ? 一発お見舞いして――」

「死んだわ」


 あまりに端的な池波の言葉に、泰一はずっこけそうになった。


「海自の医療センターから移送される途中に狙撃されたの。これがどこの自衛隊の、どんな特殊部隊の仕業かは分からないけれど。手練れの連中がやったことは確実ね」

「そ、そうなんすか……」


 呆然とする泰一を無視して、池波は声を上げた。


「さあ皆! 相模三佐は今から胸部に異常がないか、確認しないといけないわ! お見舞いはここまで!」


         ※


 市ヶ谷の防衛省に戻る。

 そう言った池波と別れ、海斗、泰一、舞香の三人は再び、真夏の残忍な日光に晒されていた。


「泰一、舞香、二人はどうするんだ、これから?」

「教えねえよ」

「なるほど、教えられないようなところに二人っきりで行くわけか」

「ちょっ! 海斗ぉ! っていうか、泰一ももったいぶった言い方しないでよ! なんだかあたしたちが付き合ってるみたいじゃんか!」


 なるほど。お似合いだな。と、海斗は胸中で呟いた。


「お、お前こそどうすんだよ、海斗?」

「ん? ああ。そう、だな」


 海斗は立ち止まり、目の前の入道雲を見つめた。


「父さんの墓参りにでも行ってみる」

「お、おう、唐突だな」


 なんだか、まだまだ話し足りなかったような気がしてきた。父親と、ということはもちろんある。だが、母親とも、親族とも、この事件で知り合った人たちとも、互いに意思疎通をすべきだと海斗は思っていた。


「一人っきりってのは、やっぱり寂しいもんだな」


 THE END

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追憶のマリンブルー 岩井喬 @i1g37310

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