第50話48 光は闇を包み、闇は光に焦がれる 4

 この感覚はなんだ?


 厄災の魔女と呼ばれる女は、自分だけの居心地のいい空間で身じろいだ。

 もう長いことここにいる。

 ここだけが彼女の居場所だ。

 それなのに。


 この感覚。もう長いこと忘れていた感情……なんだろう?

 確か名前があったはず。

 いや違う。

 そんな感情などない。

 我にあるのは憎しみのみ。

 憎悪と憤怒の炎で、この世界の人間を焼きつくすためだけに、二百年生き抜いてきた。

 何万人と人間を殺し、ギマとして人の尊厳を奪ってやった。

 我らを見かぎり、東の大陸に流した王家も祖国も滅ぼした。

 たった一人の姉ですら愛さなかった。

 誰も我にはかなわない。

 誰も我の元へ辿り着けない。

 なのに奴らはどうして諦めぬ?

 彼らの心の中の恐れをつつき、傷をえぐり、ありとあらゆる損傷ダメージを与えているのに。

 なぜ、彼らは怯まず、こちらへ向かおうとする?

 我は”厄災の魔女”エニグマだ。

 そう、エニグマだ。

 誰がそう名づけたのだったか?

 そもそも、生まれた頃の我らに、こんな名があったのか?

 遠い昔、呼ばれていた名があったのか?


 エニグマは頭を振った。


 ──やめよ。

 そのようないにしえのことを思い出して、今更どうなる。

 我が名はエニグマ。この世界に厄災をもたらすもの。

 それでよい。

 身の程をわきまえず、我には向かおうとする者どもの命を刈り取ってやる。

 だから──そう。

 心の奥からにじみ出る、胸を痛むような感覚は封じてしまおう。

 そう、気がつかなければ、なんということもない。

 さぁ、来るが良い。我の血の末裔と黒き戦士よ。

 おお、久々に血がざわめく。

 血が──血を! もっと!

 我に血を捧げよ!


 エニグマはゆっくりと身を起こした。


 ***


「ブルー!」

 オーカーは、前に倒れかかるギマの体を足で蹴飛ばしてながら、リーダーの名を呼んだ。

「こっちはだいぶ少なくなった! そっちはどうだ?」

 デューンブレイドたちは島の南側のギマを制圧し、今は東側で戦っている。

 北にはナギ達が飛び込んだ山が迫り出しているから、西を押さえたら、外にいるギマ達をほぼ片付けたことになるのだ。

「ああ。こっちもあらかた片付けた。白藍の使徒の連中は、島の西側で戦っているはずだ。支援を出せそうか?」

 樹海での戦いはやや収まりを見せていた。

「ああ。イスカの海軍で陸戦の訓練を受けた奴が追いついてきたから、そいつらに援軍を頼もう。伝令!」

「は!」

「ジャルマやイスカの守備隊の隊長は、まだ生き残っているか?」

「はい。ジャルマの守備隊長セザリオ様は、負傷されたようですが、幸いギマの血はかかっておらず、なんとか海岸に踏みとどまっておられます」

「わかった。なら伝えてくれ、無事な船を島の西側に回してくれとな。苦戦しているようなら加勢してやってくれ。あと、できたらこっちにも戦況を伝えて欲しい。くれぐれも五人一組で行動しろよ。伝令がやられたら、俺たちには戦況がわからない。今はレーゼの支援がないから」

「はいっ!」

 伝令達はすぐさま命令を実行するため、走り去った。

「馬がもっといたらな」

「しょうがないさ……船だもん、そんなに数は運べねぇ。あ、おい! あれは」

 海岸側の森の中から、足を引き摺りながら出てくる人影がある。

「ギマか!?」

「いやあれは……」

 ブルーは惹かれた目を凝らした。

「サップだ!」

「サップ! 無事だったか!?」

「ええ……はい。俺はギマじゃありませんよ」

「ははは! そんな情けない顔のギマはいねぇよ。よく無事だったな」

「なんとか。でも馬は犠牲になっちまいました。俺によく懐いていた奴だったのに」

 サップは悔しそうに拳を握りしめる。

「でも、ギマ達がブルーさん達に引かれて、奥へと戻っていったので助かりました。戦況はどうですか?」

「まだ油断はできないが、島の南と東の森は大方押さえた感じだ。今、西の方に伝令を出した。カーネリアを見なかったか?」

「途中ではぐれちまいまして。でもクチバさんと一緒だったから、多分大丈夫だと思います。中はどうなってるんですか?」

「わからない。入口は一つのようだったし、俺たちが試した時は闇に弾かれて入れなかった。結界だ。ナギとレーゼは向こうが受け入れたんだろう。あいつらはやっぱり特別なんだ」

「二人はきっと戦っていると思います」

「そうだな。もし魔女がそっちに気を取られていたなら、もしかしたら俺たちも中に入れるかもしれない」

「なるほど、試す価値はありそうだな」

 オーカーが来た道を振り返る。もうギマは出てこなくなった。

「俺たちも行きましょう!」

 サップは首を振り上げ、『亡者の牢獄』、エーヴィルの塔を睨みつけた。


 ***


「レーゼ」

 ナギは両腕でレーゼを抱き締めていた。

 鎧を着ていても、腕の中の存在は小さくはかない。

 しかし、彼女はもう震えてはいなかった。


 昔からそうだった。絶望的な自分の運命にもおびえてなどいなかった。

 弱そうに見えて強い娘。


「ナギ。私はもう大丈夫。進もう」

「ああ。だけどもうちょっとだけ。今はあいつの気配がとても弱い」

「そうね。私もそう感じる」

「今だけだ」

 ナギはそう言って、ますます深くレーゼを抱き込む。

「レーゼが俺に力をくれる」

「ほんと? ならもっとぎゅってしていいよ」

「うん……じゃあ、口づけしても?」

「え? あ……うん」

 レーゼはナギの腕の中でそっと上を向いた。面頬は外していたが、兜が背後に落ちる。ビャクランが気を効かしてくれたのだ。

 白藍の髪が一筋流れた。

「ああ。レーゼ、あなたは」

 闇の中で交わす口づけは、お互いの熱のみに集中できることを、ナギは初めて知った。

 レーゼの唇はどこまでも柔らかく温かい。

 ここが戦場でないのなら、もっと味わいたかった。

 もっと奥まで、その体液までも。

「ありがとう」

 ナギは名残惜しげに腕を解く。途端に気持ちが切り替わった。

「力出た?」

「ああ。もう無敵だ」

「そう? 良かった。いつでも言ってね」

 レーゼはナギの気持ちなど知らぬげに微笑んだ。

「でも、本当にエニグマの気配はかなり弱ってる……ていうか、なんかしぼんでる気がする」

「そうだな、奴も疲れてるんだ。島の生成、それから海戦。彼女は膨大な魔力を使っているはずだから」

「うん。多分この先に彼女はいる。うずくまってる感じがするね」

 二人は再び手を取った。向こうにひときわ闇が濃いところがある。

 レーゼとナギは手を繋いだまま進む。

 闇の奥でうごめく気配がひとつ。それはこちらを見ている。激しい憎しみを込めて。

 二人は目を見交わし合う。

 それから一緒に闇の中へと飛び込んだ。


 

  ***


31日完結予定です!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る