第49話47 光は闇を包み、闇は光に焦がれる 3

 道は再び上り坂になる。

 よどんだ風が吹き付ける方向が、進むべき道だった。

 最初強かった腐臭は、今は血の匂いに変わってきている。

 ナギもレーゼもしっかりと顔を覆って、なるべくその鉄の匂いを吸い込まないようにしていた。

 突然、闇の中から手が伸びる。ギマだ。

「……っ!」

 ナギは予備動作もなく、その首を切り落とした。

 途端に周囲の様子が見えるようになった。それは明るくなったのではなく、闇が薄まったと言うだけのことだ。

「あああ!」

 レーゼが思わず叫んだ。

 そこは広い空間で、床を埋め尽くすように、かつて人であったもの、死体が転がっている。

 そしてそれはまだ新しかった。と言うよりも今しがた死んだ者たちであるようだ。なぜならその傷口からはまだ血が流れているからだ。

 つまり、その死体は先ほどまでの戦いで命を落とした仲間のものだった。

「くそっ! もうギマにされていたのか!」

 その一つがゆらりと立ち上がる。ナギの下で働いていた、ヴルドと言う若者だった。

「あ〜、ああああああ……」

 まだ腐りきっていない声帯から、虚ろな声が漏れる。

 あちこち皮膚が破れているから、海中に落ちて魚に食い殺されたものだろう。他にもギセラに喉を裂かれたものや、溺死したものもいるようだ。

 次々に立ち上がる死者は全て、つい先ほどまでレーゼとナギの仲間だった者たちだ。

 これはしんどい、とナギは思った。

 死ぬところを見ていないから、ギマとなって初めて彼らが死んだとわかるのだ。

 ナギでさえそうなのだから、レーゼにはもっと辛いだろう。

「レーゼ! もう彼らは人間じゃない! 顔が見えないように面頬を下ろしておけ!」

 レーゼは真っ青な顔で一体のギマを見つめていた。その体ががたがたと震えている。

 死体で埋めつくされた広間の一番奥から、足を引きずって向かってくる影がある。服装からして女性のようだ。

 女にしては大柄で、戦士の体つきをしている。

「ルビア……」

 レーゼは声にならない声でつぶやいた。

 そう。それはまさしくルビアだった。

 エニグマが細工したものか、たった今死んだような元の姿をしている。

 王族のギマに襲われてレーゼを逃すために戦って死んだはずだが、見たかぎりどこにも傷跡はない。

 彼女は何年もレーゼを守り、母のように愛してくれた存在だ。

 そしてナギにとっても、顔も知らない実の母の代わりに唯一、母と思えた人だったのだ

「……ルビア、なのか?」

 顔にはあの懐かしい微笑みさえ浮かべている、その瞳さえ濁っていなければ、レーゼは思わず抱きついてしまったかもしれない。

「れ……れーぜさま……ごぶじで……ございました……か」

 ルビアはのろのろと口をきいた。

 ジュリアと同じ術を施されたのか、ルビアのギマはレーゼに向かって両手を広げる。昔、甘えたくなったレーゼを抱きしめる時にしてくれた仕草だった。

「わたしのだいじな……れーぜさま……また、おあいでき……うれし……ございます」

「黙れ! お前はルビアじゃない!」

 レーゼは大声で叫んだ。

 閉鎖した空間にわんわんと声が響く。

「お前などがルビアを名乗るな! ルビアは私の大好きなお母さんだ!」

 レーゼの声に、ルビアのギマは一瞬動かなくなった。

 どんより濁った瞳がわずかに見開かれる。

 しかし、何か別の声が死んだ脳に届いたものか、すぐにまたのろのろとレーゼに近づこうと歩き出そうとする。

「エニグマ! 私はお前を許さない! 絶対に許さないから!」

『は……ははは……はは。許さない? からどうだと言うのだ、ゴールディフロウ、最後の王女よ……』

 空間に不吉な声が漏れてくる。

 エニグマの声だった。

『さぁ王女、それに黒い戦士よ。こやつらを葬って我が元へとくるがよい……』

 声が途切れた途端、二人は気がついた。

 仲間の姿をしたギマたちに、すっかり取り囲まれていたのだ。かつての仲間はその慕わしい姿形のまま二人を見つめている。

「クロウ……なんでおれをたすけてくれなかった……」

「おれは、おまえのつよさが……うらやましかった……」

「れーぜさま……あなたはやはりとくべつな……ひとでした」

「クロウ」

「クロウ」

「クロウ」

「れーぜさま」

「れーぜさま」

「れーぜ……さま」

 ギマの輪が縮まっていく。

「黙れ! 黙れえぇええええ!」

 ナギの鞭が唸った。

 取り囲んだギマたちの首が次々に吹き飛んでいく。

 一番内側のギマが倒れたところに、ナギの投擲した刀子とうすが、光の帯を引いてギマの額に次々に突き刺さった。

「お前たち! すぐに楽にしてやる!」

 ナギが長剣を振りかざしてギマの群れに突っ込んだ。全て見知った顔、見知った姿、見知った剣筋の中へ。

「レーゼ! 壁際にいろ! 絶対に灯りを消すなよ!」

「ナギ!」

「エニグマ! 俺の剣を受けろ!」

 激しい怒りに駆られたナギに対抗できるギマなどいない。

 死体など、いくら仲間のものであっても、ただのだ。

 ギマの群れは鮮血を撒き散らかしながら、次々に土と化していく。エニグマの埋め込んだ”血の種”もいくつも転がったが、ナギは全て足で踏み躙って粉砕した。

「レーゼ!」

 さすがに少し息を上げながらナギが振り返った時、レーゼがいる向こうの壁の隅には一体のギマが立っていた。

 ルビアだ。

 彼女のギマは、ナギの攻撃を上手くすり抜け、レーゼの元まで擦り寄っていたのだ。

「れーぜさまぁ……るびあを、おわすれでございますか……かなしゅうございます」

 ルビアだったものは元兵士の鍛えられたその腕をレーゼに伸ばす。レーゼは震えながらもその顔を見つめていた。

 昔レーゼを優しくでてくれた手が奇妙に回転し、黒く小さな刃が握られる。刃の先には赤黒い血がたっぷりと塗り込めらてていた。

「レーゼ!」

 絶叫しながらナギが走るが、空間は広かった。

 ルビアのギマの腕が振り上げられるのが、ナギの目に映る。絶望とともに。

 レーゼは面頬を上げていた。

「あの時さよならを言ってなかったわね、ルビア。だから今言うわ」

 レーゼが青く光る鎧の腕を、ルビアの前にかざした。

「さようなら。ルビア母さん、私を守ってくれてありがとう」

 再びルビアの動きが一瞬止まる。レーゼは大きく前に出てルビアを抱きしめた。

「愛しているわ」

 その瞬間、声にならない絶叫がルビアの口から発せられた。

 レーゼが触れたところから体が青い炎に包まれていく。たちまちそれは全身に広がり、ルビアは青白く燃えた。

「ルビア!」

 燃え尽きる瞬間、虚だった瞳に、かつての光が宿った気がしたのは気のせいかもしれない。

 けれど、レーゼには、ルビアがかすかに微笑んだように見えたのだ。

 それは他のギマたちのように土塊にはならず、灰も残さずに燃え尽きた。

「……ルビア。ごめんね」

 膝から崩れ落ちるレーゼを支えたのはナギだ。

「レーゼ、レーゼ! 怪我は?」

「ないわ。かすり傷ひとつない。だって、ルビアが私を怪我させるはずないじゃない!」

 レーゼの瞳からナビだが溢れ出る。

「ルビアは、いつだって世話好きで強くて、私を心配しすぎるほど、心配してくれていたんだから!」

 泣きじゃくりながらレーゼは言った。

「そうか。そうだよな。ルビアだもんな」

 ナギはレーゼを抱きしめながら言った。鎧の中の体が震えている。どんなにか辛かったことだろう。

「レーゼ、レーゼはルビアを助けたんだ。だからルビアは最後に笑っていただろう?」

 ナギはレーゼを抱きしめながら思う。


 一番残酷なことを選択する魔女。

 エニグマ、お前だけは許さない。


「エニグマ! そこにいるな! 俺は行くぞ! お前を滅ぼしに行く! すぐにだ!」


 ナギはゆがんだ闇に向かって叫んだ。


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