第30話28 新たな出発 4

「クロウ! 戻ってきたのね!」

 カーネリアが駆け寄る。彼女は珍しく木綿のスカートを履いていた。

「戻ったとは聞いていたんだけど……その、疲れているってブルーから聞いて、声をかけなかったのよ……どうしたの?」

 スカートを摘みながら、もじもじしているカーネリアをすれ違う男たちが微笑ましそうに見守っている。

 しかし、クロウの返事が台無しだった。

「ああ、なんか食べるものあるかな。腹が空いた」

「あっ……そ、そうなの? じゃあ任せて! こっちよ!」

 カーネリアは、意気揚々とクロウを市場の隅のベンチに引っ張っていった。

「ここで待ってて」

 そう言って取って返したカーネリアは、すぐに大きな盆を抱えて戻ってきた。盆の上には、飲み物や食べ物を包んだ籠が乗っている。カップは二つあった。

「さぁ食べて!」

 カーネリアはにこにこしながら、籠からチーズだの、焼き肉を挟んだパンだのを出して並べた。

「クロウはお酒飲まないから、果物で味をつけたお水だけどね! 冷たくて美味しいよ」

「いろいろ気を遣ってもらって、すまない。ありがとう。けど少し多いな。カーネリアも食べるか?」

「私はクロウが食べてるの見てるだけで嬉しい。でもせっかくだから、このお菓子半分こしよ?」

 言いながらカーネリアは、黄色い柔らかそうな食べ物──パンケーキをいうものらしい──を二つに割った。

「すごいな、ここにはそんなものまであるのか?」

 クロウは素晴らしい食欲で、盆の上のものを口に運んでいる。さっき食べたものが誘水さそいみずになったようだ。いかな彼とて、食べ盛りの青年なのである。

「うん。元々の街が大きかったし、使えそうな建物もたくさん残ってたって言うんで、ギマから逃げて来た人たちが集まって来たのよ。一度破壊された街に、魔女は興味がないと言う噂が流布したようなのね。悲憤の魔女が滅んで、西と南のギマがいなくなったって聞いてから、一層人が多くなったらしいわ」

「悪い奴はいないのか?」

 人が集まれば良からぬやからもやってくる。それが人間なのだと、クロウは我が身をもって知っている。

「いるかもね。それだから私たちデューンブレイドが、いくつもの班に別れて警戒している。みんな故郷をギマに追われて、惨めな逃避行はもう懲り懲りだもの」

「それじゃカーネリアは、市場の担当なんだな」

「そうよ! 私の実家はパン屋だったの。戦いじゃない仕事は楽しいわ!

「ああ。カーネリアにはこんな仕事が向いてるのかもな。これ、美味いな」

「……」

 クロウはパンケーキを頬張り、しばらく二人は黙って食べて飲んだ。

「あのね、クロウ?」

 クロウが食べて飲み終わったのを見届け、もじもじとカーネリアが口を開く。

「なに?」

「魔女を滅ぼしたら、本当の名前教えてくれるって言ったよね?」

「ああ、そうだな……」

 クロウは視線を落とした。

「教えてもらえないの?」

「……魔女の一人は倒したけれど、俺の誓いはまだ、果たされてはいないんだ」

「誓った人に会いにいっていたのでしょう? 怪我も治りきってないのに、あんなに急いで出て行くほど大切な人だったのよね」

「……」

 途端に暗くなったクロウの表情に、カーネリアの口が止まる。

「その……会えなかった……の?」

「……遅かった」

「え? もしかして亡くなってたの?」

 苦しげな答えに、カーネリアは思わず声を上げた。

「違う!」

 クロウは即座に言い返す。

「あの人がいなくなれば、俺にはわかる。だから生きてるんだ。絶対に生きている!」

 空になった皿を睨みつけ、クロウはくり返した。

「……その人って、やっぱりクロウの好きな人?」

「……」

 好き。

 クロウにとって、その言葉は特別なものだった。

 がくれるまで知らなかった言葉で、彼女だけに使った言葉だったから。

 クロウは自分がその音を発するのさえ、他人には聞かれたくはなかった。


「……俺の命の恩人で、名前をくれた人だ」

 クロウは言葉を選びながら言った。

「大切な人なのね?」

「ああ、大切だ。大切で……」

 

 どうしていいのかわからないくらい。

 

 戦いの日々の中で、あの幸せだった半年が幻だったかもしれない、と恐れるたびに額の守り石に手を当てた。石は微かに暖かくて、それさえあれば安心できたのだ。

 しかし今はそれも、ない。

「ずっと一緒にいたいって思った。俺にとっては、あの頃だけが人生だったのかもしれない」

「そんなふうに考えるのは不健康だわ。だって、クロウはまだ十九歳なのよ」

「魔女を倒さなければ、若かろうが老人だろうが、未来はないだろう?」

「それはそうだけど……だからと言って今を無駄にすることはないわよ。戦いは辛いけど、それ以外は楽しめばいい。その人だってきっとそう思ってる」

「……そうかもな」

 魔女の呪いにおかされながら、いつも笑っていたレーゼ。

 些細なことを喜び、自分と分かち合おうとしてくれた女の子。


 もしレーゼが今の俺の言葉を聞いいたら、きっと悲しむだろう。


「カーネリアの言う通りかもしれないな」

「……もし会えたら?」

「俺は嬉しい」

「そしたらどうするの? 一緒に暮らすの? 女の人なんでしょう?」

 カーネリアは身を乗り出して尋ねた。

「わからない。あの人に会ってから考える」

「聞いてばかりでごめんね。でも、気になるの。ねぇ、どんな人だったの? 綺麗な人?」

「えっと……」

 カーネリアの言葉に、クロウは思わずレーゼの面影を追った。

「一つ年上なのに、俺よりずっと小さくて……目や皮膚が弱くて、身体中に包帯を巻いてた」

「え? それってもしかして病気?」

 カーネリアは驚いて言った。

「違う。ゾルーディアに呪いをかけられたんだ。だから俺は魔女を倒すと約束した。それなのに」

「ギマ……もしかして、魔女に連れ去られたの?」

「わからない。そうかもしれない……レーゼは、でも」

「……」

 クロウは自分が無意識に、その名を呼んだことに気がつかないようだった。

「体は弱かったけど、とても強い……強い人だった」

「……」

「……だから、俺は魔女を滅ぼす」

「そうか、それがクロウの誓いなんだね。じゃあ、お返しに私も言うね」

 カーネリアは真っ直ぐにクロウを見つめた。

「言ったでしょ? 私もクロウが好きなの。だからもしその時が来たら、クロウのそばにずっといたい」

「……その時?」

「ごめんなさい。その時があったらちゃんと言うわ。でもそれは私の勝手な望みだから、クロウは今は気にしなくていいよ。クロウはまず自分の誓いを果たして。それからのことは、終わってから考えたらいいわ」

 それはさっき、クロウも言った言葉だった。

「まずは魔女を滅ぼして、なおかつ生き残ることが最優先だもんね!」

 カーネリアは明るく言って、残りのパンケーキを口に押し込み、水を飲んだ。

「私だって、クロウよりお姉さんなんだから。それくらいのことはわきまえているわよ!」

 勢いよくカップを置いて、カーネリアは立ち上がった。

「だから、これからも一緒に戦うわ! 私だってかなり強くなったわよ。なんかよりもずっと、あてにしてちょうだい!」

 夏の風が娘の紅色の髪を揺らせた。


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