第3話 2 傷ついた少年 忘れられた少女 1

 少年は夜を走った。

 走らないと、死ぬ。

 月も見えない曇った夜、街道は荒れ果てていた。

 どこの国も街もそうだが、自分達の住むところを守るのに精一杯で、街道の整備まで行うゆとりはないのだ。

 道は石ころだらけで、ところどころ穴も空いているが、靴も履かない少年の足の裏は、皮が固く痛みも感じない。

 彼はもう長いこと走り続けている。それでも息が上がることはなく、速度も衰えなかった。

 道の片側は街に流れ込む川。もう片側は、ところどころにいじけた林があるだけの荒野になっている。

 走り続ける少年は、突然立ち止まって地面に耳をつけた。

 駆けてきた方角からひづめの音が聞こえる。

 まだ遠いが、音からして追手は三人、この近辺を荒らしまわっている盗賊団の下っ端だ。

 ここはアルトア大陸の南西、かつては豊かな王国だったのに、人も土地も荒れて十年以上経っている。

 すべては魔女のせいである。魔女は人間を憎み、恐ろしい術で人間を襲うが、その結果、人間の敵は魔女だけではなくなってしまった。

 人が人の心を失い、人を憎み、人を殺す。

 それがまさしく魔女の思い描く世界だった。


「いたか!?」

「いや、まだ見えねぇ!」

「負え! 絶対に逃がすな! ここで別れる! しらみつぶしに探すぞ!」

「相手は餓鬼だ! そんなに遠くには逃げられないはずだ。捕まえたらすぐに殺せ! 俺たちの獲物を取り戻せ!」

「……」

 立ち上がった少年は素早くあたりを見渡した。

  少年の体は小さく細く、身も軽い。彼は大人では絶対に登れない、ゆえに見逃すであろう街道脇の灌木かんぼくによじ登り、一番茂った葉の間に身を隠した。すぐに一騎の追手が下を通る。

「……っ!」

 無言で彼は枝を蹴った。

 速力を出して走る騎馬の背後に樹上から乗り移るなど、普通では考えられない技であるが、少年は難なく男の背後に下り立つ、と同時に隠し持った刀子とうすでその首をき切った。

 噴水のような血が吹き上がり、男は声も上げられずに絶命する。

 しかし、男を馬から落とすわけにはいかない。少年は男の脇から手を伸ばして手綱をとり、あたかも男が生きて馬を操っているように見せかけた。暗い夜なので遠目にはわからないはずだ。

「そっちは山だぞ! 山には入るな! 俺たち以上にやばいも奴らいるっていう噂だ! 気をつけろよ、俺はこっちを探す!」

 左の前方から、死んだ男の仲間がそう言って駆け去る。彼は男が生きて馬をって続けているとみじんも疑っていないのだ。

 少年は男の背中を押して、うなずいたように見せかけ、前の馬をやり過ごすと前方の山の方へと馬を飛ばした。

 彼にとってはいともたやすい逃亡劇だった。

 ある程度馬を走らせてから、近くの藪の中に男の死体を突き落とす。運が良ければ仲間に見つけてもらえるかもしれないが、おそらく夜のうちに獣たちによって骨まで喰われてしまうこととだろう。もっと悪くてに変化させられるかもしれない。

 恐るべき存在によって。

 しかし、少年は何も感じなかった。

 年相応の柔らかい瑞々みずみずしい感情はうになくしてしまったのだ。

 いや、失っていることさえ彼の意識にはない。こんな生活を続けてもう何年になるのかもわからない。

 彼は黙って夜を駆けた。冷える秋の夜だが、馬の体温だけが温かい。

 山のふもとには、彼の属させられている<シグル>という組織の構成員が待っている。

 今夜は二人のようだ。

「戻ったか、九十六号。渡せ」

 一人が無感動に言った。盗賊から奪った物品を出せということだろう。

「……」

 九十六号と呼ばれた少年は黙って革袋を差し出す。男は中身を確かめた。中には金貨や宝石が入っている。

「盗賊どもは全員殺したか?」

「騎馬だったから殺したのは一人だけで、二人は逃がして……うっ!」

 いきなり殴られて細い少年はふっとんだが、空中で姿勢を取り直し、何とか地にまみれずに着地する。

「全部殺せといっただろうが! それが俺たちの受けた命令だ」

 殴った男が怒鳴り、少年をさらに蹴りつけようとするが、隣の男が割って入った。

「まぁ、騎馬なら仕方があるまい。それに優先順位は盗られたものを取り換えすことだからな。それに馬のお土産つきだ。子どもの働きにしては十分だろう」

「いや、こいつは奴らに背格好を見られたはずだ。全員殺す。八号、お前は九十六号と一緒に今夜のうちに残党を全員始末するんだ。逃げた相手はたった二人だ。まだそこいらをうろついているだろう。簡単な仕事だ。今すぐ行け」

「……わかった、五号。聞いていたな、九十六号。行くぞ」

 八号と呼ばれた男は、少年が奪ってきた馬に彼を引き上げると、自らも飛び乗り、夜の荒野へと駆けだす。

 冷たい月だけがそのやり取りを見ていた。


 八号と九十六号が<シグル>のアジトへ戻ったのは明け方近くのこと。二人とも血まみれだが無傷だ。

「終わったぞ。五号」

「ご苦労だった。お頭には俺から伝えておく。思ったより身入りの良い仕事だったので、機嫌を良くしておられる。そうだ……ギマは出なかったか?」

「めずらしく出なかったな」

 八号はそっけなく答えて、背後に立ったままの少年を促した。

「お前は仮眠をとっておけ。今日の午後から明日の夜明けまで、山岳戦闘の訓練がある。それが最後の関門だ。おそらく多くのお前の同朋どうほうが死ぬだろう。だがお前は生き残れ。必ずだ」

「……」

 九十六号と呼ばれた少年は、小さくうなずくと、疲れた体を自分のねぐらへと引きずっていった。



   ***



刀子(とうす)とは、鋭い刃のついた小刀のことです。

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