第30話 断崖


 霧香は歩きながらタコムを操作して04の安否を確かめた。ドロイドは健在で、すでに戦闘をやめて待機モードに移行していた。

 霧香は04を呼び戻した。ランドール中尉と連絡を取るには04が必要だった。

 (ランドール中尉はだいじょうぶかな……)


 やがて谷底の切れめに辿り着き、ふたりは立ち尽くした。

 テーブル台地の縁に出てしまったのだ。険しい断崖が垂直に落ち込んでいた。眼が眩むほどの高さだ。断崖は二千フィートも下で濃密なガスの雲海に消えていた。

 雲海は果てしなく、地平線まで続いている。テーブル台地がその雲海からいくつもそそり立っている。

 一番近い台地まで10マイルほど離れていた。エルドラド台地よりずっと小さく、差し渡し5マイル程度か。それでも台地には緑色の植物群をかすかに視認できた。

 台地の根本は長年の浸食でかなり崩落が進んでいるようだ。真新しい崩落跡は岩肌の色が違う。

 「さっき地震があったでしょう?」

 「ええ、ちょっとした揺れだったわ」

 「ここに来て何度目?」

 「初めてだったな……」

 「あの台地を見て」霧香は一番近い台地を指さした。「崖の一部が色が違う。ごく最近岩盤が剥がれ落ちている」

 「そう見えるわね」

 「たぶんこのエルドラド台地も、一部が崩落しかけている。地震はその影響だと思う」

 「なんですって……!」シンシアは叫んだ。「なるほど、腐食性のガスに漬った岩だものね。それちょっとまずいんじゃない?」

 「たいへんまずい」

 それでもふたりはそのやばい崖縁から離れず、ぼんやり立ち尽くしていた。

 シンシアはふたたびカメラを構えている。撮影しながら呟いた。

 「すごい眺め……」

 「ホントに」

 シンシアはゆっくりカメラをパンして、崖縁から身を乗り出していた。滝を撮影しているようだ。

 「あ……!」

 「なに?」

 「百ヤードくらい下に棚が張りだしてるんだけど……見える?」

 霧香は崖っぷちに身を伏せて下を見た。眼を凝らすと、見えた。おびただしい数の人骨が横たわっていた。

 「あれは……」

 「なんだろう?……ねえ、ひょっとしてまさか、あいつら食人族かなにか?」

 霧香はすこし考えて、首を振った。

 「いえ、たぶん……遺体を遺棄したんだと思う。埋葬の習慣がないのかも知れない」

 「そうか……そうね」少しがっかりした口調だった。

 霧香は立ち上がった。 「そろそろ移動しないと」

 「どこに?」

「待って……」霧香は携帯端末のホロを確認した。「もうすぐ……」

 背後の川岸からドロイドが這い上がり、シンシアは驚いて軽く飛び上がった。04は軽やかな動作で地面に躍り上がると、四足歩行モードで霧香のそばに歩み寄った。なんとなく頭を撫でたくなるような動きだ。右後ろ足にかなりダメージを負っていた。霧香はコマンドラインのステータス表示を見た。稼働効率六五パーセント。充電の必要。

 03のコマンドラインが消失していて、霧香は冷や水を浴びせられたように身を硬くした。ランドール中尉が霧香を支援するために送り出したのだろう。そしてドローン群に撃破されたのだ。

 「04、悪いけどもう少し働いて。わたしたちを崖の上に運んで欲しいの」

 04はカチカチ応答すると、さっそく崖に取り付いた。三本足になったがそれほど登坂に難儀してはいないようだ。間もなく20ヤードほど登った先に足がかりとなる棚地を見つけ、そこからザイルを垂らした。霧香はシンシアの腰ベルトにザイルを括り付けた。

 「あの子、ちゃんと支えてくれるんでしょうね?」

 「だいじょうぶ、わたしよりずっと頼りがいがある」

 シンシアはザイルを掴んで崖を登りはじめた。

 04のもとまで登り切ったシンシアが叫んだ。

 「少尉!」

 霧香は川の上流に振り返った。

 原住民の追っ手がぞろぞろやってきた。

 「04!シンシアを連れて逃げろ!ランドール中尉と合流して!」

 「ホワイトラブ少尉!」

 04はシンシアの身体を抱え上げると崖を登りはじめた。

 「これを持って!」シンシアがなにか放った。

 小さなメモリープレートが足元に転がり落ちた。霧香はそれを拾い上げると、ブーツの内側に押し込んだ。

霧香は追っ手に向き直った。

 彼らは慎重な足取りで接近してくる。男性ばかり20人ほど。みな棍棒を持っていた。先を尖らせた木の槍を構えているものもいたが大勢ではない。

 (やっぱり狩猟生活はしていないな……)

 霧香はライフルをゆっくりと地面に置き、両手を挙げた。いちどだけ頭上を仰ぎ見ると、04が崖を登り切って姿が見えなくなるところだった。

 「降参」の仕草はなんとか通じたらしい。いきなり殴りかかられるようなことはなく、男たちは遠巻きに霧香を取り囲んだ。

 「ワタシと、一緒に来なさい」年長者のひとりが妙なイントネーションの英語で言った。背後から槍でつつかれ、霧香は素直に従った。

 「ついて、来なサイ」

 「分かったわ」

 言葉が通じることにみな驚いている。

 はっきりとした敵意は感じられず、好奇心と見慣れない異物に対する嫌悪感が半々と言ったところだ。

 彼らは外敵や種族間の争いといった、猜疑心や警戒感を発達させる経験をあまり積み重ねていないのだ。少なくとも霧香がかれらと同じ人間だとは理解しているだろう。

 彼らに英語を教えたのは、おそらく宇宙船のコンピューターだろう。言葉の他にもいろいろ教わっていると思われた……そうではないと考える理由がない。

 衣服を生産しているのも宇宙船だ。ただし原料はあまり豊富ではないのだろう。若者の何人かは粗い繊維質を縫い合わせた粗末な上着一枚だけの姿だ。それになにかの植物を利用したサンダル。石油はなく、動物もいないので毛皮も手に入らない。そうすると動物性タンパクも……。「食人族」というシンシアの言葉を思い出し、霧香は身震いした。

 船のシステムは優秀のようだ。人間だけ運んできたとは思えないし、動物性タンパクもどうにかして提供しているかもしれない。少なくとも原生動物や虫、甲殻類はいる。ヘンプⅢの植物を食べられるなら、それらも食べられるだろう。

 あるいは機械らしい合理性を発揮して定期的に同士の肉を摂取するよう教えたかも知れない。合成タンパクよりずっと簡単な方法だ。

 かれらが徹底したベジタリアンであれば嬉しいのだが。

 霧香はまわりを見回した。浅黒い肌に縮れた黒髪。彼らはポリネシア人かモンゴロイドか、なにかそのあたりの身体的特徴を備えているようだ。

 いったいいつからこの惑星で生活をはじめたのだろう。30光年を踏破するのに要した時間を3世紀から5世紀として、少なくとも三百年前だろうか。われわれがこの惑星を探査する直前。

 冷凍冬眠か、それともDNA貯蔵状態で運ばれたのか……。おそらく後者だろう。多くの動植物とともに運ぶためにはそれがいちばんだ。

 平均身長は5フィート4インチほど。霧香より頭半分ほど低い。痩せて骨格も貧弱だが、飢餓の兆候はない。貧相な体格は慢性的な栄養不足によるものだろう。かれらとしては特異な環境下に置かれながら精一杯健康を保っている、といったところだ。独特の体臭も漂っていたが、不快なほどではなく、身体衛生にはそれなりに気を使っているらしい。薄汚れた感じはない。

 ときおり仲間同士で声を掛け合っているが、英語ではなく、霧香の知らない言葉だ。黒髪は短く刈り込まれているか、スキンヘッドだ。浅黒い顔は一様に無表情で、内面は伺い知れなかった。

 シンシアが放って寄こしたデータプレートには、おそらくシグナルコードが納められている。彼女はまだ試していない正しいコードがあると思っているのだ。それを試せと言っているのだろう。

 なんとか試すしかない。宇宙船を武装解除させるしか霧香たちが助かる道はない。

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