第23話 谷底を抜けて

 「追いかけて!」


 いつのまにか10ヤード後方まで追いついていたランドール中尉が叫んだ。

 霧香はわずかに躊躇したのち、頷いてイプシロンを追いかけた。


 相手はすばしっこかった。ジャングルを疾走するのに慣れている。

 しかし死に物狂いで走るのは慣れていないようだ。霧香はどんどん距離を狭めた。

 間もなく川に行き当たる。

 だがイプシロンは川の直前で小さな脇道に飛び込んだ。

 霧香はその側道に達した瞬間、地面に転がった。頭上を槍が飛び過ぎていった。

 イプシロンが意味不明な悪態をつくのが聞こえた。霧香は素早く立ち上がり、追跡を再開した。

 前方の藪を掻き分ける音が聞こえた。つづいて川に飛び込む音がした。霧香はススキ型植物を掻き分けて川縁に出た。

 イプシロンの気配は消えていた。

霧香は溜息を漏らした。これ以上深追いすべきではないだろう。

 相手は彼ひとりとは思えない。


 小走りで野営地にとって返した。

 「ランドール中尉」

 「いるよ」

 ランドールはふたたびサボテンに保たれていた。霧香の姿をちらりと見て言った。

 「捕まえられなかったようね」

 「あの人……何者でしょう?」

 「分からない……本当に人間だったの?」

 「間違いありません」

 「ヘンプⅢでは、ここ二世紀で74人が遭難した。遺体を回収できなかったのはその1/4だわ。たいていはシャトルの爆発に巻き込まれて機体もろともメタンの海に落ちた。まさか遭難者の生き残り、あるいはその子孫だとは思えないけど……」

 ランドールは確信を欠いていた。彼女も霧香も警察官だ。この世ではなんでもあり得るという具体的な例を少なからず知っていた。


 「あるいは、ヤンバーンや宇宙海賊がここを基地化していたのかもしれません」

 「そうだな、その可能性のほうが高い……」

 「しかし、彼は明らかに退行していました。成人なのに身長は5フィート4インチほど……かつては海賊の一味だったとしても、とっくの昔に遺棄された根拠地の生き残りですね」

 「とにかく……早いところドロイドを呼んでここから移動しましょう。彼が仲間を連れて戻ってくるかもしれない」

 ランドール中尉は相手は複数だと踏んでいるようだ。彼は霧香の姿に極度な恐慌を示さなかった。ほかにも仲間がいるのだ。


霧香がテントを畳んでいるあいだにランドール中尉がコマンドを打ち込んだ。

 「一時間ほどかかりそう。地上を這ってくるから」


 ギリギリのタイミングだった。

 ランドール中尉に肩を貸してゆっくり断崖の麓に辿り着くと、間もなく上のほうからなにかの気配を感じた。ドロイドが三体、四本足を踏ん張って断崖を這っていた。滑らかな蜘蛛のような動きだ。地上に辿り着くと、三体は横一列に整列した。

 歩行モードのドロイドは大型犬に似ていた。マットホワイトの胴体は高さ3フィート。全長は10フィートもあり、猛獣サイズだ。頭部は細長い首の先端に乗った円盤形で、ふたつのカメラアイがますます動物らしかった。文明社会から隔てられたこの場所ではじつに頼もしい姿だった。


 M77スレイブドロイド……ランドール中尉と一緒にカプセル降下したこのヒューマンタイプドローンは、恒星間大戦中人間の損耗率を抑えるために開発された戦闘ロボットだった。終戦によって大量に余ったそれらはGPDに移管された。

 戦闘力の高い異星人に対応するために開発されたので、人間よりはるかに高い動体知覚性能を有していた。ジェネトン(電力を保存できるバッテリー)によって200時間くらいぶっ続けで行動できる。

 GPDの装備となった際、過剰な武装と装甲を取り払われていたが、今回はそれが裏目に出た。実体弾の攻撃によって半数以上を失った。


 ランドールは汗びっしょりで辛そうだったが、へたり込むまえにドロイドの指揮権を霧香の携帯端末に移していた。ホロモニターのコマンドラインを見ながら、02,03,04とナンバリングされたドロイドたちに話しかけた。

 「02,ランドール中尉を抱いて谷の上に運んで。03は02を援護。04はわたしを乗せ、02と03を援護する」

 たちまち02が後ろ足で立ち上がり、人間型に変形してランドールを抱え上げた。ドロイドたちは設定されなければ喋らない。候補生時代にいろいろいたずらして楽しんだものだが、ランドール中尉はお喋りモードを設定する趣味はなかったようだ。「かしこまりました」とか言う代わりに、頭のどこかでカチカチと音を鳴らし、あるいはカメラアイのあいだにアイコンを点滅させるだけだ。それでも霧香の指さすほうに頭を巡らせたり、人間の言葉を理解していることを示す動作はいろいろ仕込まれている。

 「怪我をしているから慎重に」

 言うまでもなくドロイドはランドールの状態を認識していたのだが、音声コマンド可能な相手だとつい喋ってしまう。ロボットはカチカチと律儀に了解を示した。


 03が先行して断崖をよじ登り始めた。ほとんど垂直に切り立っているのに軽々と登坂していた。しばらくすると二本のザイルがするすると降りてきた。ザイルの先端が02の肩ソケットににカチリとはまり、02はそのまま引っ張り上げられた。

 04の背中にハンドルがせり上がった。霧香は04の背中にまたがった。即席のストラップを腰に回し、04の固定具に装着した。

 乗り心地がよいとは言えないが、04が動き出しても霧香の身体はまったく揺れなかった。馬と違って歩行時の揺れは足のアブゾーバーがすべて相殺する。まるで自動歩行路の上をスライド移動しているようだ。そのまま岩肌に取り付き、ロッククライミングする人間そのものの動きでよじ登り始めた。霧香はハンドルをしっかり掴み、両足を小さなステップに乗せてしがみついていた。しかしドロイドは霧香の体重をものともせず、動作は人間よりずっと素早く迷いがなかった。溜息のようにかすかな動作音と岩肌をひっかく音しかせず、ちょっとシュールだ。

 断崖の中腹にへばりついていた02に追いついた。ランドールが眼下のジャングルを見渡していた。

 「見なさい、少尉」

 ランドールが指さすほうに振り返った。見渡すかぎり闇だが、遥か遠くに光点が見えた。いくつもの光点が、動いていた。たぶん篝火だろう。イプシロンが援軍を連れて戻ってきたのだ。

 「危ないところでしたね……」

 「さっき突然現れた。あのあたりに谷底からどこかに通ずるトンネルかクレバスがあるのかもしれないわ……」

 ドロイドたちは寡黙だが、コマンドラインには各ドロイドから送られてくるデータが明滅していた。新たな追っ手の動きもちゃんと認識しているようだ。

 人間がいくら気を回してみても、最大能力を発揮したドロイドは人間よりずっと優秀な兵士になる。まわりの動きはすべて人間より広範に感知しているし、集中力も途切れない。ただしその能力を活かせるかどうかは指揮官である人間次第だ。

 ドロイドたちが登りを再開したのでふたりは黙った。みたところ、追っ手はまだ半マイル離れていた。あの距離、しかもジャングルの闇では、崖を登る霧香たちには気付かないだろう。

 やがて霧香たちは崖を登り終えた。降りる際のバカ騒ぎを考えるとじつに呆気なかった。


 先に登り終えていたランドールは、さっそく外界にコンタクトを試みていた。だがむやみに電波をばらまいてはいない。03の背中からパラボラアンテナが生えていた。指向性のバースト通信を送るつもりなのだ。とりあえず一方的にこちらの状況を伝えてみる、ということだ。簡潔に状況をまとめたランドールは送信ボタンを押し、録音を宇宙に送り出した。

 「さて……どうしよう……」

 「どこかで休まないと」

 霧香はまわりを見渡した。暗いが平坦な地面が続いているようだ。「断崖沿いに、追っ手が現れたほうに移動しましょう。彼らの動きを見下ろせる場所にテントを設営して……わたしは歩哨について彼らを見張ります」

 「そうね……」ランドールは気だるげな口調で同意した。だいぶ疲労してい

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