第19話 ジャングル


 身体が回転しながらなにかの塊の中に突っ込んだ。

 たぶん下のジャングルの植物だ……妙に冷静な心の一部でそう思ったが、それから木がへし折れるうるさい音と立て続けの打擲で体じゅう激しくどやしつけられ訳が分からなくなった。



 気付いた時にはすべてが停止して、静まりかえっていた。霧香は子供のように身を丸めて地面に横たわっていた。

 時間感覚が麻痺していた。落下したのは10秒まえなのか、それとも30分もまえだったのか……


 (生きてる……)


 ゴクリと唾を飲み込んだ。喉が渇いていた。しばらくそのままじっとしていた。心臓が高鳴り、耳の中がどくどく脈打っている。


 (痛みは、ない……)


 ゆっくりと、慎重に手足を伸ばした。

 やはり痛みはない。とにかく体中が麻痺したように軋んでいたが、それは緊張のせいで、予期していた骨折の痛みは感じなかった。横たわったまま手足の指を動かし、ホッとした。感覚はある。背中も無事だ。ひどい怪我もないようだった。

 運が良かった!

 いやいや、コスモストリングのフォースフィールドが働いたのだ。

 おかげで擦り傷も最小限で済んだ。「制服」の威力を実地で試したのは初めてだが、驚くべき性能だった。母親が見たら嘆きそうな紐ビキニではあったが、霧香は見直した。さすが銀河連合の超ハイテク装備だけのことはある。

 ゆっくり上半身を起こした。

 マスクが外れていることに気付いた。慌てて捜したが、外れて背中にぶら下がっていた。それで汚臭がないことにようやく気付いた。


 手近な植物に手をかけてそろそろと立ち上がった。

 膝が笑っていた。そこらじゅう固い枝に当たった打ち身の痛みは感じていたが、ひどい打撲や内出血、裂傷はなく、まずは無事だった。

 たったいま落ちてきた崖を見上げた。巨大な羊歯の葉が折り重なって空はほとんど見えなかったが、高さ30フィートほどもある大きなサボテン植物の上のほうに、剥がれ落ちたマングローブの枝が引っかかっていた。ぞっとするほど高い場所から落ちたのだ。

 落ち込んだ場所が高密度の空気溜まりになったのか、とにかく汚臭が無くなっていた。なんらかの理由で谷底の植物は繁栄したらしい。だがかわりに濃密な腐敗臭が漂っており、息が詰まりそうだ。


 日が暮れかけていた。とにかく、夜になる前にジャングルは横断したかった。地べたに散らばっていた荷物を確認した。奇跡的になにも紛失していない。

 マスクを被り直し、妙な倦怠感に包まれた身体を無理に動かして歩き始めた。動いたほうが良い。半時間も歩けば対岸の麓までたどり着けるはずだ。それから存分に休む。


 予期すべきことだったかもしれないが、谷底は湿地帯だった。足首まで水に浸かりながら慎重に進むしかなかった。足許はふわふわしていた。堆積した諸物の絨毯だ。こぶし大の原始的な水生生物がたくさんいる。たいていは霧香の気配に気付いてのんびり離れてゆく。地球の分類に当てはめられる生物は少なかった。もちろん、地球だって太古に生息していた生物相の三割程度しか知られていないのだが。


 谷の真ん中あたりに差しかかると完全な川となり、腰まで浸かるほどの水流を掻き分けながら進んだ。水は澄んでいて、底まで見渡せた。いまのところ巨大な鰐や蛇が現れる様子は無い。

 ジャングルは頭上を被うようにのしかかり、トンネルのようだ。川の対岸は密生したススキのような植物の藪で、掻き分けて岸に這い上がるのがひと苦労だった。湿地帯はそれでおしまいだった。先には固い地面が存在していた。


 平らな地面に貧相な植物がまばらに根付いていた。このあたりでは頭上を覆う巨大な木がほとんど空を遮っている。脳髄かもつれたスパゲティの塊のような蔓草かキノコががいくつか並んでいた。塊は大きく直径二フィートほどある。日光が一日じゅう差し込まないため葉緑素を持った草は育たず、大木と地面のあいだに空洞が生じていた。大木の根元に地菌類が群生していた。プレッツェルのように垂直に育つキノコ、妙なリング状の模様を描く苔類、ハニカム構造のボール型の植物。見た目は不気味だ。

 辺りは暗くなっていたが、断崖はもうすぐそこだ。

 植物のトンネルが途切れた先に対岸の岩肌が見えた。だが駆け寄ろうとしたそのとき地面に不自然な畝を発見し、霧香は立ち止まった。地面がながながとえぐられていた。

 まだ新しい。

 いよいよ巨大生物と対面だろうか。霧香はライフルを肩から外して構えた。だが地面にまっすぐ刻まれた畝を辿ったその先に横たわっていたのは、マシンの残骸だった。

 (見つけた!)

 霧香は思わず心の中で叫んだ。


 駆け寄ってみると、大型のフローバイクだった。少なくともその残りカスだ。機械部品の類が抜き取られているのがひと目で分かった。ところどころ穴や裂け目のある薄いケブラー強化成形のカウルだけが転がっている。GPDの標準装備車両だった。

 霧香はフローバイクの残骸から目を逸らし、あたりを見回した。

 「ランドール中尉!」

 マスクを脱いで再び叫んだ「ランドール中尉!いますか!?」


 なにかが這ったあとを見たような気がして地面を見回した。辺りはますます暗くなりかけていて、霧香は気を急いた。

 苔生した地面が一部、枯れているような気がした。その痕跡は途切れながらジャングルに続いている。

 百ヤードも行かないうちにランドール中尉とおぼしき女性を発見した。彼女はサボテンの大木に頭を保たれて横たわっていた。

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