第2話 任務の中身


 リフトは荷揚用を兼ねた円筒型の透明チューブを行き交う、フープ状のバーを何本も並べた無蓋パレットにすぎない。

 霧香たち乗客は緩衝フープに掴まり、見えないレール上を音もなく滑る四角い床のパレットの上で外を眺めた。強化発泡素材の隔壁越しに、頭上にのしかかるヘンプⅢが見えた。約二万マイル離れたステーションからはその姿をとくと眺めることができた。

 グリーンと灰色の縞模様が惑星の昼の側をほぼ被っている。海も大陸も判別できない。地球よりもずっと高温多湿で、極地の氷はすべて溶け、赤道付近は猛烈なハリケーンが無数に発生している。


 過去一千万年以内に少なくともひとつの惑星が砕けて、アステロイドになった。ヘンプⅢはその破片の爆撃を受け、いびつな月をひとつ獲得した。その余波がヘンプⅢの環境に影響を与えたといわれていた。

 温室効果が高まり大気は酸性化し、大陸を浸食した。惑星をひとつ失ったことによる重力バランスの変化によって、大陸だったものが激しく沈下して、残ったのは有毒ガスの海にそびえるテーブル状の台地だけだった。

 生き残った生物は分断された台地でガラパゴス島的に独自進化した。平均3000フィートという高さの台地はメタンガスとどろどろの海によって隔てられていた。

 いちばん大きな台地は直径100マイルほどの大きさだ。

 そこが霧香の仕事の現場でのはずだった。

 

 完全自動の検疫フロアにつくとスーパースキンスーツを解除して全裸で20通りの検疫検査を受けた。ここ10年あまりで人口が急激に増加したために設けられた措置だという。

 時間経過など気にしない機械の検査はひと息つく間もなく続き、絶対にパスしないのではないかと確信し始めた頃にようやく開放された。


 コスモストリングに着替え、その上にGPDジャケットを羽織ってごく小さな通関を通った。国連職員として身分は保障されていたため、そちらはほとんどフリーパスで通過できた。


 太陽系から36光年離れたこのステーションは、国際法的にはカナダ-南米-北アフリカ連合領だ。奇妙だが、地球を訪れたことのない霧香は、これで公式に訪れたことになる。


 エレベーターシャフトでリムに降りた。

 楕円断面のリムは中空で、緩やかに湾曲した床はメインストリートと呼ばれる広い道路が占め、道路の両脇に建物が並んでいた。メインストリートは真っ直ぐではなく蛇行していた。閉鎖空間をなるべく意識しないように、遠くを見通せないようレイアウトされているのだ。

 空の高さは200フィートあまりで、天井と建物のあいだは広く、ローバーが飛行できるほどのスペースが空いていた。かなりゆとりがある。

 

 案内図に従って国連事務所を探した。常駐する300名に加えて休暇中の資源開発技術者やビジネスに携わる人々が往来している。

 異星人が経営するスターブライトラインズの恒星間旅客船が就航して17年、こんな僻地でも人間の往来は倍増した。戦争前はワープ旅行なんて一生にいちど……移民船に乗る場合だけだったのに、いまは毎週定期船がやってくる。


 国連旗を掲げたガラス張りのオフィスを見つけてドアをノックした。中でカウンターに付いていた女性が顔を上げた。霧香は自動ドアをくぐってオフィスに足を踏み入れた。

 「ハイ」

 「ハロー。なにか御用ですか?」

 「わたしはGPDです。霧香=マリオン・ホワイトラブ少尉」

 「ああ!」女性はカウンターの奥でなにか操作してホロモニターを呼び出した。「聞いてるわ。銀河パトロールの人ね」

 ホロモニターのメールを読み、頷いた。「霧香=マリオン・ホワイトラブ少尉……身元確認をお願いできる?」

 「はい」

 霧香は右手首のブレスレットをホロモニターにかざした。

 特注の携帯端末タコムで、中には霧香の固有コード……大昔の社会保障番号などといった当てにならない物ではなく、遺伝情報と最新の基本肉体構成データ……が収められている。肉体構成データはつい先ほど検疫センターで刷新されたばかりだ。個人照合はそれらのランダムな組み合わせによって為される。

 端末が短い通信を交わし、すぐにGPDの公式エンブレムが表示された。

 ふたつの流星が交差するマークだ。ひとつは人類文明、もうひとつは銀河連合を表している。

 女性は頷いてホロ画面になにか打ち込んだ。

 「そのタコム素敵ねえ。まさか本物のプラチナと黄金?」


 タコム――つまりターミナルコマンドはふつう手に収まる大きさで、かたちはゾウリムシのような平たい楕円形で、半透明な軟質素材でできている。

 通信装置として使うときはあたりに遮蔽シールドを張り音が洩れないようになる。ポケットに入れて持ち歩く場合もあるがたいがいの人は肩かお尻のあたりに貼り付けている。コマンドアイコンは網膜投影されるかホロ表示されるのでいちいち取り出す必要はない。なので装飾にこだわる人は滅多にいない。


 「ありがとう、残念ながらコーティングされた合金です。宝石もジルコンだし」


 故郷では携帯通信端末程度の役にしか立たず、子供は常に持ち歩く習慣もなかったのだが、先進社会では必須だ。田舎出身の霧香にとっては煩わしいが、それは身分証明書であり、パスポート、財布、その他生活に必要なあらゆる機能を備えている。

 インプラント版もあってネットワーク常時接続が流行っていた数世紀前には主流だったが、人間の活動範囲が恒星間規模に広がり、ネットワークから切り離される機会が増えた現在ではあまり普及していなかった。


 「奥にいるブレントと会って。彼が状況を話してくれるわ」

 「了解」


 カウンターの隣のドアをノックすると、返事がなかったので事務所の奥に入った。

 背広姿の男性が洗面室から出てきて霧香の姿に気付き、立ち止まった。


 「おっと、あんたは?」

 「GPD、霧香=マリオン・ホワイトラブ」

 「ああ、増援の。わたしはブレント・パワリー。国連ヘンプⅢ駐在所代表だ」

 「お世話になります」

 「座って」ひとつだけあるソファーセットを指さした。

 霧香は椅子の側らにアタッシュケースを置いて座った。並んだ机のひとつからデータシートを取り上げ、霧香の向かいに腰を下ろした。

 ブレントがデータシートを繰り回す手を止めて、何をしようとしていたのか忘れたように霧香を凝視していた。

 「なにか?」

 「ああいや……」ブレントは咳払いした。「早かったね。着いたばかり?」

 「ええ、通関からまっすぐ」

 「長旅ごくろうさま。タウ・ケティから?」

 「はい」

 「ステーションの空気はどうだい?喉が渇いたなら何か飲物でも……」

 「だいじょうぶのようです、お構いなく」


 なんとなく初めての長旅を無事やり遂げた子供に話しかけているような調子だ。さすがに若すぎると思われてるのかな……。

 霧香は内心溜息をついた。職業人の物腰を身につけるまでは我慢するしかない。


 「仕事の概要は分かっていることと思うが」

 「ええ、ここに来るまでにひと通りおさらいしましたから」

 「ひょっとしたらきみが到着する前に解決するんじゃないかと思っていたのだが……「下」からは何の連絡もない」データシートの束を選り分け、目当てのものを探し出した。「ああ、これが最新の状況報告書だ。まとめておいた。きみがやって来るあいだに動きがあってね……実をいうとランドール保安官もいないんだ。一足先にヘンプⅢに行ってしまって、通信が途絶えたままなんだ」

 「ランドール中尉も行方不明!?」

 「降下してすぐに連絡が途絶えてね……三日以上連絡がない」

 「遭難した、ということですか?」

 「残念ながら、そう考えるのが妥当だろう。シンシア・コレットの捜索も相変わらず、まったく進展無しでね……困ったものだ」

 「そうですか……」

 「たいした量はないが、情報はこれで全部だ」データシートを寄こした。「シンシアコレットが確認できた最後の地点と、ランドール中尉の降下地点。事前の捜索計画。惑星の低軌道上に配置された監視衛星の位置とアクセスコード。ドローンのアクセスキィ。たいしたデータはないが、これはコピーだから持っていっていいよ」

 「いただいていきます」

 「国連科学委員会からクレームが激しくてね。早く連れ帰らないとヘンプⅢが汚染されてしまうではないかとかなんとか……わたしにはどうも大げさすぎると思うんだが、科学者先生たちの言うことは絶対だからな。今度こそ成功させてくれ。頼むよ」


 霧香は立ち上がった。

 「さっそく捜索を開始します」

 「すぐにじゃないよな?宿を取って一日休んでからだろ?」

 「まあ、降下の手配その他でもうすこし時間がかかりますし……」霧香は急いで言い添えた。

 「そうだよ。下への定期便はない。外のセルマ君に宿の手配やなにやら頼んでみたまえ。ここは見たとおり人手が足りないが、仕事もそれほど忙しくないからね」

 「感謝します……が、GPD詰所に行こうと思ってたんですが……」

 「そんなもの無いよ。ランドール中尉もここを連絡先に利用していたが、普段はホテルを使っていたし」

 「なるほど……」

 「出発前にひと声かけてくれよ。ヘンプⅢ管理委員会も救難隊を組織しようという動きがある。クールランド……第七惑星から探査船が帰還したら回してくれるかもしれないそうだ」

 「はい」


 どうも気持ちが急いてしまう。こういう時はちょっと立ち止まって何か忘れてないか確かめるんだった。だが仕方ない。


 本件は霧香にとって初任務、しかもたったいま単独任務となったのだ。 


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