『月下の決闘(三)』
————数年振りに交わった
一方が腕を振るうごとに一方の肉体が確実に
二人の男に同時に愛された
凰珠の瞳から一筋の涙が流れる。無論、心痛によるものではない。悔恨の涙である。決闘の前にどちらかを選んでさえいれば、愛する男たちが殺し合いにまで発展することはなかったかも知れない。
しかし、もう遅い。
凰珠はこの期に及んでもどちらかの男を選ぶことの出来ない自分の弱さに憤慨し、流れ落ちる涙は
————真円を描いていた月が欠け始めても
超一流の武術家である彼らが呼吸を大きく乱し、
肩を弾ませる二人は深呼吸して丹田に僅かに残った真氣を集めに掛かった。乱れていた呼吸が落ち着いていくと同時に、それぞれの拳と剣が淡い光を帯び始める。この記録に残らない稀代の一戦は次の一手で決着がつくのである。
残り僅かな力をかき集めるために間合いを空けていた成虎と志龍は最後の攻防のためにジリジリとにじり寄る。互いの距離が縮まり、一足飛びで対手の
最後の攻防に臨む二人の顔つきは正反対なものであった。
眉根を寄せて苦しげに歯を食いしばっている成虎に対し、かたや志龍は達観したような朗らかな表情を浮かべている。この両極端な表情の下に隠されている心情は彼ら自身にしか分からないだろう。
成虎と志龍は眼を合わせて示し合わせるようにうなずくと、同時に地面を蹴って最後の技を繰り出した————。
————次の瞬間、志龍の眼には鮮やかな
両腕を広げて背中で志龍をかばう凰珠の眼が全てを物語っていた。全てを悟った成虎は
凰珠は涙顔のまま、去りゆく成虎の大きな背中に感謝するように何度も叩頭してみせる。やがて成虎の姿が見えなくなると、ゆっくり立ち上がり振り返った。その視線の先には真に愛する男の姿があった。
茫然とした顔で
————しかし、この時の凰珠には想像も及ばなかった。愛する女に背中でかばわれた男の心の傷の深さがいかばかりかということを…………。
そして、この傷は
————
————あのまま続けていりゃあ、俺は志龍に勝ってたのかも知れねえ…………。
成虎の
————だが、それがなんだってんだ……? 俺は結局『アイツ』に二度も負けちまった…………。
生涯二度目の敗北の味はあまりにも苦く、止まった血液の代わりに今度は涙が道標となった。
成虎は頼りなく歩きながら、初めて凰珠に会った時のことを思い返していた。あの時は空腹のあまり湖面に浮かんだ満月を月餅と思い込んで手を伸ばしたが、いくら試みても手中に収めることは出来なかった、
————喉から手が出るほど欲しいモンってのは、やっぱり手に入らねえモンなんだなあ…………。
才能溢れる成虎は、子供の頃から望まずとも欲しいモノが向こうからやって来ていた。
しかし、心の底から望んだモノはことごとくその手からすり抜けていってしまうのである。幼い頃、病に倒れた母のために毎日神仏に祈っていたが、遂に祈りは実らず母は若くして帰らぬ人となった。そして、初めて愛した女さえも————。
————俺が本当に
ふと気付くと、視線の先に見知った女の姿があった。笑みを浮かべているような、いないような何とも言えない表情の
太鳳は何も言わずにゆっくりと両腕を広げた。それは親鳥が自らの羽で我が子を優しく包み込むような愛情に溢れた動きであった。
この姿を眼にした成虎は引き寄せられるように近づき、太鳳の
————相手は誰でもよかった。ただただ眼の前の瑞々しい肉体に、独りではとても抱え切れない悲しみを、やり場のない悔しさを獣欲のままにぶつけたかった————。
————夜が明けた頃、成虎は頬を舐められる感触で眼を覚ました。
眼を開けた先には心配そうな表情で固まった血液を落としてくれている愛馬の姿があった。
頭がハッキリとしてくると、まず感じたのは全身の痛みと耐え難い渇きである。次いで右手に何かの感触を覚え見てみると、水の入った竹筒が握られていた。震える手で栓を抜き、寝転んだまま顔に清水をぶち撒ける。
一心地ついた成虎は痛む身体に鞭打って半身を起こした。辺りを見回してみたが、水筒を持たせてくれたであろう太鳳の姿は見えない。
「……
ポツリとつぶやいた成虎はヨロヨロと立ち上がると、馬に
———— 第十五章に続く ————
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