『掟と契り(四)』

 太鳳タイホウの言葉を聞き間違えたと思った成虎セイコは耳をかっぽじって訊き返す。

 

「…………すまねえ。よく聞こえなかったモンで、わりいがもういっぺん言ってくんねえかい?」

「お前の『子』を産ませてくれって言ったのさ」

「…………‼︎」

 

 どうやら聞き間違いではなかったようである。しかし何がどうなってこうなるのか理解が出来ない成虎は数回頭をひねった後、指を鳴らし、真面目な表情で太鳳の両肩に手を掛けた。

 

「……姐さん————いや、太鳳。おめえの気持ちは嬉しい。嬉しいが、その気持ちには応えてやることは出来ねえ」

「はあ?」

「いや、みなまで言わなくても分かってるさ。初めて自分てめえを負かした男に惚れちまうなんてなあ、よく聞く話だ。けど生憎あいにく俺にゃあ————」

「————ちょっと待ちな」

 

 太鳳は怪訝な顔付きで肩に掛けられた手を払い除けると、キッと成虎を睨みつけた。

 

「誰が誰に惚れてるって…………⁉︎」

「え? いや、だからおめえさんが俺に惚れっちまったんじゃあ……ねえのかい?」

 

 雲行きが怪しくなり始めたことを察知した成虎が確認すると、太鳳の眼が殺気を帯びた。

 

「……ちくしょう、なんだってこのアタシがこんな馬鹿面の男なんかに……‼︎」

「…………⁉︎」

 

 この太鳳の様子では、おのれに惚れてしまったというのは勘違いだったようだ。しかし、それでは『子が欲しい』云々うんぬんの意味がまた分からなくなってしまい成虎は混乱するばかりである。

 

「ね、姐さん。俺に惚れたんじゃあなけりゃあ、なんだって俺のガキが産みてえなんて言うんだい……⁉︎」

「…………『掟』だよ」

「掟ぇ⁉︎」

 

 素っ頓狂な声で成虎が訊き返すと、太鳳は苦虫を噛み潰したような表情で語り始める。

 

「……朱雀派すざくはの掟だよ。朱雀派の門人は決闘で男に敗れると、その男の子種を受け入れなければならないのさ」

「なんでえ⁉︎ そのヘンテコリンな掟はよう‼︎」

「朱雀派には女弟子しかいないんだよ」

「ああ、確かそんなような話を聞いたことがあるような————ってえ、まさか…………」

「察しが良いね。そのまさかさ」

 

 太鳳は腕を組んで成虎に背を向けた。

 

「強い血統の男の子供を産むことで朱雀派は繁栄を続けてきたってことさ」

「……つまり、産まれたガキが女だったら朱雀派の門人にするってことかい。それじゃあ、産まれたのが男だった場合はどうなるんでえ?」

「男だったら父親に返すか、寺院に預けられる」

「…………!」

 

 朱雀派の掟の全容を聞いた成虎はなんとも言えない心持ちになった。

 

(……なんてえこったい。白虎派びゃっこはにも掟はあるが、朱雀派ってえのはキチガイの集まりかよ。こんなクソみてえな掟を課す掌門も掌門だが、それに従う門人も門人だ。自分てめえの心ってえのはねえのかよ⁉︎)

 

 成虎が黙り込んでいると、背を向けていた太鳳が振り返った。

 

「さあ、もう良いだろう。さっさと始めようじゃないか」

「ま、待ちねえよ! おめえ初めてなんだろう⁉︎ 最初の男が好きでもねえ俺なんかでホントに良いのかよ⁉︎」

「アタシの気持ちなんて関係ないさ。掟だからね」

 

 そう言うと太鳳は帯に手を掛けて褐色の肌と豊かな双丘を露わにした。そのなまめかしい肢体から放たれる引力によって成虎は眼を逸らせずゴクリと生唾を飲み込んだが、何かを振り払うようにブンブンと頭を振った。

 

「————だ、ダメだ、ダメだ! やっぱこんなのはいけねえ!」

「何がいけないんだい? 男って奴は買ってでも女を抱くものなんだろう?」

「…………ッ」

 

 何度も妓院ぎいん(遊女宿)に通ったことのある成虎は返す言葉に詰まったが、幾度か歯を食いしばった後、ようやく口を開いた。

 

「……確かに俺もカネを払って女を抱いたことはあるが、基本的に双方納得済みのことだ。俺は相手が少しでも嫌がる素振りを見せたら無理強むりじいはしねえ」

「別にアタシは嫌がってないよ。お前の馬鹿面には腹が立つけど、強いところだけは気に入ってる」

「そうじゃあねえ! そう言うことじゃあねえよ! もっと自分てめえ肉体からだと気持ちを大事でえじにしやがれ!」

「…………」

 

 成虎が怒鳴り声を上げると、勝気な太鳳が珍しくシュンっとなった。

 

「……分かったよ」

「わ、分かってくれたかい!」

「要するに、アタシが凰珠オウジュよりも女として劣るってことなんだね……⁉︎」

「————おめえ、なんにも分かってねえじゃあねえか!」

「だってそうだろう! アタシがお前にとって、あの娘より魅力的なら抱いてるんじゃないのかい⁉︎」

「う…………っ」

 

 これには成虎は再び返す言葉に詰まってしまった。太鳳は凰珠に比べて劣るどころか、絶世の美女である西王母セイオウボと並べても遜色ない美しさである。普段の成虎であればこちらから頼み込んででもお相手願いたいものだが、何故だか気が進まない。それは凰珠に対しての真心が理由ではあるが、もう一つ成虎自身気付いていないある感情が障壁となっていたのである。

 

 それは太鳳に対する畏怖によるものであった。武術の腕では太鳳の上に立つ成虎だが、本能的に太鳳を恐れているのである。交尾の後、メスに食される運命の雄蟷螂オスかまきりのように————。

 

「…………そ、そんなことはねえ。姐さんはスゲえ魅力的だよ。少なくとも俺が出会った女の中でアンタは一番の美人だ」

 

 一番の美人と言われた太鳳は少し機嫌を直したようである。余程ひねくれた者でない限り、美人と褒められて喜ばない女はいない。

 

「……だったら、どうして抱かないんだい」

「そ、そいつぁ…………」

「凰珠のことなら気にしなくて良いんだよ。アタシはお前の子種が欲しいだけで、別に夫にしようなんて思ってないんだ。その後ならいくらでも凰珠に会いに行けば良い。大体あの娘だって掟は知ってるんだからねえ」

「————‼︎」

 

 太鳳の言葉に突如、成虎は閃くものがあった。

 

(————そうかい。凰珠があの時、武術勝負にこだわったのは掟のためだったってえワケかい……)

 

 この場所で凰珠と出会った時のことを思い返すと、成虎の下腹部が落ち着きを取り戻した。

 

「……太鳳。やっぱりおめえさんを抱くことは出来ねえ」

「————どうしてだい⁉︎」

「おめえさんの身体からだ心配しんぺえなんだ。まず折れちまってる肋骨アバラが治ってからにしようや」

「…………!」

 

 成虎は太鳳のはだけた衣服を整えてやると、諭すように優しく頭を撫でてやった。

 

「それじゃあな。しっかり養生しろよ」

「…………」

 

 太鳳は無言で撫でられた頭に手をやり、離れてゆく男の大きな背中を眼で追っていた。

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