『掟と契り(二)』
まるで墨をこぼしたような漆黒の水面を一艘の舟が緩やかにかき分けてゆく。
「————いやあ、お舟にゆらゆら揺られるってのも中々オツなモンだねえ」
舟の真ん中に陣取った
「これで酒がありゃあ最高なんだがなあ」
「あるぞい」
成虎の独り言に船倉から返事があった。
「何⁉︎ オッチャン、酒があんのかい?」
「ああ、ワシの寝酒だがね。一人で呑むのも味気ないでな、良かったらアンタたち付き合わんかね?」
「願ってもねえ!」
成虎は眼を輝かせて喉を鳴らしたが、
「————あ、いや、やっぱやめとくぜ。
「なんじゃい、急に…………」
ぶつぶつと文句を言う船頭に手を挙げて謝ると、成虎は志龍を追いかけ声を掛ける。
「悪い悪い。おめえさん、酒の匂いだけでもダメだったな。
「…………」
しかし、志龍はあらぬ方向に顔を向けたまま何も語らない。
「おいおい、そんな怒らなくても良いだろい。酒の誘いは鉄の心で断ったじゃあねえか」
「……違う」
「あん?」
成虎の言葉を否定しつつ志龍は視線の先に指を伸ばした。成虎が顔を向けると、夜空の向こうに光り輝くモノが見えた。
「……なんでえ、ありゃあ? 星————」
「————にしては低すぎる」
「だな」
志龍に同意しながら更に眼を凝らしていると、星らしき光が徐々に大きくなってその全容が見えてきた。
「……ありゃあ、蛇……か?」
「いや、魚だな」
指摘通り、こちらに迫って来るソレは
「————こいつぁ驚いたぜ!
「いや、あれは妖怪だろう」
「……いや、そんな真顔で突っ込まれても困るんだがよ……」
二人が噛み合わないやり取りをしていると、船頭が声を掛けてきた。
「あれは『
「————タイホウ⁉︎」
あまり聞きたくない音の名前を聞いた成虎は思わず訊き返してしまった。
「そうだが、それがどうした?」
「い、いや、なんでもねえ。それよりオッチャン、妖怪が迫って来てるってのに随分余裕があるじゃあねえの?」
「フフン、まあ見てるといい」
意味深に言うと船頭は腕組みをして帆柱に寄り掛かった。その余裕な様子に成虎は引っ掛かりを覚える。
「なんでえ……ん? そう言やあ、あん時もこんな風に妖怪がこっちに向かって来て…………」
「————
珍しく声を張った志龍に従い、成虎は飛来する妖怪へと視線を戻した。そこには予期していた通り、妖怪を追い回すように背後にピッタリ張り付き滑空する女の姿があった。
(ありゃあ
女の容貌を見て成虎が眼を見開いた時には、妖怪・大鵬と朱雀派の門人と思われる女は舟の上空を通過して陸地の方へ飛んで行ってしまった。
「ああ……、行っちまった————ッ志龍⁉︎」
成虎が残念そうに声を漏らすと突然、志龍が女を追うように船首から跳躍した。しかし、船は
案の定、跳躍した志龍の身体が水面に吸い込まれると思われた瞬間————、
「————おおっ!」
志龍は水面に浮かぶ枝を足掛かりにして、枝が沈み込む寸前で再び跳躍してみせた。流石に爪先の辺りが少々水に浸かってしまったようだが、志龍のこの見事な軽功に成虎は思わず喝采を送った。
(野郎……! 軽功もかなりのモンじゃあねえかよ! 俺も負けてらんねえぜ!)
好敵手に対抗心を燃やした成虎も志龍に
「じゃあな、オッチャン! 束の間の舟旅、楽しかったぜ!」
言い様、成虎は空中から何かを投げて寄越した。床の上に落ちたそれを船頭が拾ってみると、なんと
「おおい! こんなに受けとれんぞ!」
銀子を手に船頭が顔を上げた時には既に虎のような大男の姿は夜の闇に掻き消えており、船頭は手を合わせて感謝の意を示した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます