『侠侶(三)』

 交流試合でもさほど表情を変えなかった志龍シリュウがしどろもどろになっている。成虎セイコは面白そうに眼を細めた。

 

「おお? 急に慌ててどうしてえ?」

「べ、別に慌ててなどいない。私は修行で各地を巡っているだけのこと。それより貴殿こそ何故、紅州こうしゅうで行き倒れになっていたのだ?」

 

 志龍の反撃を受けて今度は成虎が口ごもる。

 

「お、俺も神州しんしゅう各地を武者修行中でえ。行き倒れてたのは、さっきも言った通り方向音痴だからだ!」

「方向音痴が神州各地を武者修行か。それはさぞ良い修行になるだろうな」

「うるせえ、ほっとけ!」

「それだけ吠えられるほど回復したのならもう大丈夫だな。それでは私はこれで失礼する」

 

 包拳した志龍は再び馬上の人になった。

 

「待ちな。おめえさん、これから何処どこに行くんでえ?」

「貴殿に答える必要はないと思うが?」

「あるぜ。特に用がねえなら俺と道連れにならねえかい?」

 

 突然の申し出に志龍は馬の脚を止めた。

 

「……何を言っている……⁉︎」

「そう邪険にしねえでもいいだろい。実を言うと俺ぁ、おめえさんに大分でえぶ興味があるんだよ」

「…………」

 

 この言葉は刺さるところがあったようで、志龍は黙り込んだ。脈ありと見た成虎は畳み掛けるように続ける。

 

「交流試合でおめえさんと手を交えてた時に思ったモンさ。『コイツはいってえ今までどんな修行してたんだろうな』とか、『青龍派せいりゅうはにゃあコイツよりもっとつええヤツがいんのか?』とかよお」

「…………!」

 

 志龍の眼が驚きで見開かれた。何しろ成虎が口にした感想はおのれも感じていたことだったのである。

 

「————私も」

「あん?」

「……私も、あの試合は誠に良い経験になった。貴殿と手を交えたことで、心の内に少なからずあったおごりが霧散した」

「そ、そうかい! そいつぁ何よりだな!」

 

 明るく言いつつも成虎は背中に冷や汗をかいた。

 

(……この野郎、あの腕前で慢心とかしてやがったのかよ。そいつが失くなっちまったとなると、今はいよいよ手が付けらんなくなってんじゃあねえのか……⁉︎)

 

 しかし、そんな内心の動揺は噯気おくびにも出さず成虎は笑みを浮かべる。

 

「————なあ、志龍。俺ぁ、おめえさんの話を聞いて見てえんだよ。どっかの酒楼で武術談義でもしようじゃあねえか?」

「……しかし、先ほど言った通り私は下戸げこ————」

「酒が呑めなくたって、メシでも食いながらで良いじゃあねえか! ぃ良し、決まりだ! 行こうぜ!」

 

 言うが早いか成虎は素早く跳躍して志龍の後ろに陣取った。

 

「お、おい、私はまだ————」

「なーに、ゼニのことなら気にすんねい。こういうのぁ、誘った方が持つって相場が決まってんのよ!」

「待て、私はそんなことを心配している訳では————」

 

 しかし成虎は馬の尻を叩いて志龍の言葉を遮った。成虎の団扇うちわのような掌で尻を叩かれた馬は高くいなないて走り出し、志龍は溜め息をついて仕方なく手綱を握った。その背後で成虎はニンマリと口の端を持ち上げる。

 

(へへっ、こののヤツぁ扱いやすいぜ。メシを奢ってやる分、しっかりと働いてもらうぜ、志龍のダンナよお)

 

 志龍に興味があるというのは本当のことだったが、成虎の狙いは別のところにあった。几帳面でしっかりしていそうな志龍に月餅湖げっぺいこまで案内させようという腹づもりなのである。

 

(コイツの性格からいって、他人に奢られた借りはしっかり返そうとするだろう。万が一、朱雀派すざくはの連中にまた絡まれた時にゃあ加勢も期待できるっつう二段構えってモンよ。さすがガク成虎さまだぜ、腕が立つ上に頭脳アタマもキレる!)

 

 心中で自画自賛した成虎は、してやったりという風に拳を握った。

 

 

 

 ————半刻後、『丹陽たんよう』という城市まちに到着した二人はまず成虎の上着を買い求めた後、酒楼へと足を運んだ。

 

「『紅酔楼こうすいろう』か……、なかなか雅な屋号じゃあねえのよ」

 

 真新しい長袍に身を包んだ成虎は酒楼の扁額へんがくを眺めて風流人のようにつぶやいた。

 

「岳どの、何をしている。入らぬのなら私はもう行くぞ」

 

 馬を繋いだ志龍が声を掛けると、成虎は手を挙げて答える。

 

「まあ待ちねえよ。その前にちょいとやることがあんのよ」

 

 そう言うと成虎は入り口で客引きをしていた店の者を捕まえて、何やら言付けた。

 

「いったい何をしていたのだ?」

「大したことじゃあねえさ。さあさあ、入ろうぜ。俺ぁ腹が減っちまったよ」

 

 酒楼に入ると日暮れ前のためか客の入りはまばらである。二階の見晴らしの良い席に着くなり成虎が大声を挙げる。

 

「まずは酒を二本と————」

「私は龍井茶ろんじんちゃでいい」

「ああ、おめえさん呑めねえんだっけか。それじゃあ、メシは————」

 

 全ての料理を頼む勢いで次々と注文していく成虎に志龍が待ったを掛ける。

 

「岳どの、そんなに頼んで大丈夫なのか? 私はそれほど腹は減っていないぞ」

「でえじょうぶ、でえじょうぶ! おめえさんが残した分も俺が全部食ってやるよ!」

 

 最初に運ばれて来た酒を手酌で飲みながら成虎が笑って答えると、志龍は諦めたかのように首を振った。

 

「……それで実際のところ、どうなのだ?」

「あん? 何がでえ?」

「その傷は誰に付けられたと訊いている」

「…………」

「私と武術談義をしたいのだろう? 答えるつもりがないのなら、お開きとさせてもらおうか」

 

 志龍が立ち上がると、成虎は慌てて止めに掛かる。

 

「分ーかった、分かった! こいつぁ朱雀派の門人にやられたんでえ!」

 

 朱雀派の名を耳にした志龍は足を止め、振り返った。

 

「……やはり朱雀派か。この辺りで貴殿に手傷を負わせられる者は限られる」

「言っとくが、負けちゃあいねえからな!」

「分かっている。だが何故、朱雀派の門人と揉めたのだ?」

「こっちが訊きてえよ。えらく傲慢な姐さんに絡まれて仕方なくだ」

「…………」

 

 憤懣ふんまんやるかたないといった成虎の様子に、志龍は一応納得したようで再び席に着いた。

 

「————では次は、私に何をさせるつもりなのかお聞かせ願おう」

「……俺がひでえ方向音痴だってのは話したよな」

「ああ」

「つまりだな、おめえさんに俺が行きてえトコまで道案内をしてもらいてえなと……」

「…………」

 

 成虎の頼みに志龍は腕を組んで思案するような顔つきになった。

 

「————いや! でもよ、おめえさんと武術談義をしてえってのぁ本当だぜ! 普段どんな修行してんだとか、ガキの頃は何をやってたとかよう!」

「…………いったい、何処どこに行きたいと言うのだ?」

 

 道案内を承諾してくれそうな志龍の口ぶりに成虎の眼が輝いた。

 

「月餅湖だ!」

「————!」

 

 月餅湖と耳にした志龍が一瞬驚きの表情を浮かべた。

 

「月餅湖…………私もちょうど向かおうとしていたところだ」

「————本当かい! それじゃあ…………⁉︎」

「…………いいだろう。付いてきたいのなら好きにするが良————」

 

 言葉の途中で突然、志龍が卓に突っ伏した。

 

「お、おい! 志龍! どうしてえ⁉︎」

 

 急病かと思い慌てて助け起こすと、普段は青白い志龍の顔が真っ赤になって眼が閉じられていた。明らかに酒に酔って潰れてしまっている状態である。成虎は酒が入った徳利とっくりに眼を向けた。

 

「…………マジかよ。この距離の酒の香りだけで酔っ払っちまったってのか……? いってえどんだけ酒によええんだ……⁉︎」

 

 規則正しく寝息を立てる若龍の姿に、成虎は苦笑を浮かべるばかりであった。

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