第十一章

『侠侶(一)』

 白虎派びゃっこはの奥義『浸透勁しんとうけい』を会得した成虎セイコはしばらく悦に浸っていたが、小川に落水した太鳳タイホウがいつまで経っても浮かび上がって来ないことに気が付いた。

 

「————やっべえ! やり過ぎちまったか⁉︎」

 

 成虎は太鳳に斬り刻まれボロボロになった上着を脱ぎ捨てると、慌てて小川に飛び込んだ。

 

(……ちっくしょう、高飛車姐ちゃんめ。好き放題に斬りまくりやがって、傷がみていてえったらねえぜ)

 

 さほど広くない川幅のわりに小川は思ったより深さがあり、流れも早い。成虎は蛙のように水を掻いて進んで行く。

 

(やれやれ、これじゃあ『成虎』じゃなくて『成蛙』だぜ————っと、いやがった!)

 

 数丈先には川底の大岩に引っ掛かって沈んでいる太鳳の姿があり、成虎は近づいてその身体を抱きかかえた。太鳳の眼は固く閉じられ、身体から何の力も感じられない。完全に気を失っているようである。成虎は川底を蹴って一気に浮かび上がった。

 

 川から上がった成虎は動かない太鳳を横たえ鼻の下に指を当てた。

 

(……息をしてねえ。心臓は……⁉︎)

 

 続いて胸に耳を当てたところ心臓の鼓動も止まっており、成虎は泡を食った。

 

(————緊急事態だ! 許せよ、姐さん!)

 

 胸を圧迫しながら心臓に真氣を流し込んでいき、合間に唇を重ねて酸素を直接送り込む。成虎の怪力によって肋骨が折れる音がしたが、命には代えられない。その後も何度か繰り返したところ、

 

「————ゲホッ! ゴホッ、ゴホッ!」

 

 太鳳の身体が跳ね水を吐き出した。しきりに咳き込む様子に成虎はホッと胸を撫で下ろし、その場にへたり込んだ。

 

「……ふう、親父に溺れたヤツの対応を習っといて助かったぜ……」

「…………うう、ア、アタシは……⁉︎」

 

 意識を取り戻した太鳳は何が起こったのか分からない様子である。

 

「無理すんねい、姐さん。アンタ、ついさっきまで黄泉よみの国まで行きかけてたんだぜ」

「————お前ッ! うっ‼︎」

 

 成虎の声を聞いて上半身を起こした太鳳は胸を押さえて苦しげな声を上げた。

 

「おっと、無理すんなつっただろい。わりいが心臓が止まっちまってたアンタを助けるために、肋骨が折れる羽目になっちまった」

「……心臓が……⁉︎」

 

 太鳳はびしょ濡れになったおのれと成虎の姿を見て、何が起こったのか察したようである。

 

「…………アタシは、お前に負けたのか……」

 

 普段の太鳳の姿からは想像もつかないか細い声に、成虎は何だか申し訳ない気持ちになった。

 

「お、おう。まあ、そんなに気にすんねい。勝負事にゃあどうしても勝ち負けがついて回るモンだ。どんなに馬鹿ヅキしてるヤツでも、しっぺ返しが来る時もあらあな!」

 

 落ち込む太鳳を励まそうと成虎は豪快に笑って見せたが、この言い方では太鳳が今まで勝って来れたのは、単に運が良かったからと言っている様にも聞こえる。

 

「…………ち」

「『ち』?」

「————チクショォォォォッ‼︎ アタシが! このアタシが、お前みたいな馬鹿面の男なんかに負けただって⁉︎ あり得ない! こんなのあり得ないよ‼︎」

 

 太鳳が突然立ち上がり発狂したように叫んだ。このあまりに恐ろしい剣幕に成虎はひるんで、再び恐る恐る声を掛ける。

 

「い、いや、姐さんは充分強えよ。それによく言うだろい。『敗北から学ぶものもある』ってよ。きっと、これをかてに姐さんはもっともっと強くなるぜ。この俺が保証するぜ、うん」

 

 成虎の励ましの声に反応して太鳳が顔を向けた。

 

「……許さない……、お前は絶対に許さない……‼︎」

「…………‼︎」

 

 悔し涙を流しながら憤怒の形相を浮かべる太鳳に成虎の背筋が凍りついた時、どこからかピィーという鳥の鳴き声にも似た音色が聞こえてきた。

 

「ッ今度は何でえ⁉︎」

 

 眼を凝らしてみると、南の空から太鳳と同じ装束の女が四名こちらに滑空して来るのが見え、成虎の表情が歪んだ。

 

「————ゲッ! 新手かよ⁉︎」

 

 太鳳一人相手でもギリギリ勝ちを拾ったというのに、さらに四人も相手にするなど命がいくつあっても足りない。朱雀派すざくはの援軍が太鳳以上の手練れである可能性も捨て切れないのである。幸いと言っていいのか、援軍の中には捜している凰珠オウジュの姿はない。これ以上ここに留まる理由がない成虎は素早く立ち上がった。

 

「そんじゃあな、姐さん! もう会うこともねえだろうが、しっかり養生しろよ!」

「待てッ! 逃さないよ————ッ‼︎」

 

 鬼嫁に浮気現場に踏み込まれたボンクラ亭主のように逃げ出した成虎を追い掛けようとした太鳳だったが、手を伸ばした瞬間、折れた肋骨に痛みが走り足を止めた。

 

 顔を上げた時には既に忌々しい大虎の姿は見えなくなっており、太鳳は唇を噛んで地面がえぐれるほど地団駄を踏んだ。

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