第五章

『西遊(一)』

 五尾の狐の退治に成功した成虎セイコ将角ショウカクは西へと歩を進めていた。

 

「————なあなあ、それで白虎派びゃっこはってのはいってえ何処どこにあるんでえ?」

崑崙こんろん山脈にある」

 

 後頭部で手を組んだ成虎が尋ねると、隣を歩く将角が相変わらず簡潔に答えた。

 

「崑崙山脈? ガキの頃に聞いたことあんな。仙人が住んでるっつうナントカきょうがあるとかなんとか…………」

桃源郷とうげんきょうだ」

「————そう! それよ! 桃源郷だ!」

 

 将角の返答に指をパチンと鳴らした成虎が続ける。

 

「桃源郷と言やあ確か……ナントカっつう母ちゃんがくれる桃を食ったら、不老不死になれるとかなんとか…………」

西王母セイオウボさまだ」

「————そう! それよ! 西王母だ!」

 

 再び成虎が指を鳴らしてみせる。

 

「西王母さまは我が白虎派の掌門しょうもん(総帥)でいらっしゃる」

「へええ、ホントかい! んで、その西王母サマってなぁ美人なのかい⁉︎」

「絵の中の仙女が現れたかのような方だ」

 

 嘘をつけずお世辞の言えそうにない将角がこう言うなら、西王母を名乗る白虎派の掌門は本当に美人なのだろう。将角の美的感覚が常人とかけ離れていなければの話だが。

 

 成虎は満足したようにうなずいた。

 

「そんじゃあ、腕の方はどうなんだい? やっぱつええのかい!」

「……お前の想像する強さではないと思うが、推して知るべしだ」

 

 この質問に対しては、珍しく歯切れの悪い将角を成虎は不思議に思った。

 

「なんでえ、なんでえ。おめえさんにしちゃあ、随分奥歯にモノが詰まったような言い方をするじゃあねえのよ」

「俺などには計り知れぬお方だ。自分の眼で確かめてみるがいい。それより少し寄り道をするぞ」

「寄り道ぃ? こんなトコでどこに寄ろうってんだい?」

 

 成虎は周囲を見回すが、辺りは一面緑の絨毯じゅうたんが敷き詰められたような草原で、楽しめそうなモノは見当たらない。

 

「馬だ」

「馬ぁ? ————そうか! 近くで賭け競争でもやってんだな⁉︎」

「違う。馬を買うのだ」

 

 博打好きな成虎はガッカリして肩を落とす。

 

「馬なんて道中いくらでも買えたじゃねえか。何で今更…………」

彩族さいぞくの育てた馬は持久力があって従順なのだ」

「彩族ってのぁ何でえ?」

 

 初めて耳にした言葉に成虎が訊き返す。

 

「馬と共に生き、馬と共に死ぬとまで言われる異民族だ。草原地帯を移動しながら暮らしていて、今頃の時期ならこの近くに天幕を張っているはずだ」

「ふーん、遊牧民ってヤツかい。良いぜ、行ってみようじゃねえか!」

 

 俄然興味が湧いてきた成虎は足取り軽く、前を行く将角の後を追った。

 

 

 

 ————もうじき夜のとばりが降りようかという頃、二人は彩族が天幕を張る集落にたどり着いた。

 

「————ほぉ、これが彩族の天幕かい! まるで蛍の群れみてえじゃねえか!」

 

 成虎の感想通り、何十と張られた天幕には灯りが灯されており、真っ暗な草原の中に突然蛍の群れが現れたかのような幻想的な情景であった。

 

「成虎、まずは挨拶に行くぞ」

 

 しかし将角は見慣れたものなのか特に興味を示さず、一際立派な天幕へ向かって歩き出す。

 

「挨拶? 誰にだい?」

おさだ。今日はもう遅い。今夜はここで休ませてもらおう」

「天幕で寝られんのかい! 俺ぁ初めてだぜ!」

 

 興奮した様子の成虎とは対照的に、将角は普段通りの顔つきで長の天幕の前に立った。

 

「————夜分遅く失礼する。旅の者だが長にご挨拶申し上げたい」

「…………入られよ」

 

 天幕の中から流暢な神州語で返事があると、将角が先陣切って中に入り成虎も続いた。

 

 中には見事な模様の毛織物が真ん中に敷かれ、その上には肉や見たことのない食材の他に、白く濁った酒らしきものが置かれていた。彩族の集落に着いてからとうに腹の虫が鳴っていた成虎だったが、酒の匂いが鼻腔をくすぐると、その眼は杯に釘付けになった。

 

「……おお! おぬしは確か、白虎派のどのではないか!」

「私のことを覚えておいででしたか」

「勿論だ! あの折は本当に世話になった!」

 

 長と思われる男は立ち上がって、親しげに将角の肩を掴んだ。どうやら二人は過去に面識があったらしい。

 

「ささ、座られよ。今夜は呑もうではないか。お連れの方もどうぞ」

「————良いのかい⁉︎ いや、悪いねえ!」

 

 長が相伴しょうばんを勧めると、将角が答える前に成虎はドッカと上座に座って酒を喉に流し込んだ。

 

「…………くぅ〜〜〜〜ッ、空っぽの胃にキくねえ! 初めて呑んだ味だが、こいつあ何てえ酒なんだい⁉︎」

「おい、成虎!」

 

 余りに礼をしっする成虎の振る舞いに将角がたしなめるが、長は笑みを浮かべて手を振った。

 

「気になさるな、羅どの。お若い方、それは馬乳酒という酒だ。文字通り馬の乳から作っている。さあ、もっと飲みなされ」

「おお! 話の分かるオッチャンだねえ!」

 

 杯を掲げた成虎はここで初めて長の姿をしっかりと眼に収めた。歳は五十代くらいだろうか、鋭い眼光に立派な口髭を生やした威厳のある顔つきだが、それより一層眼を引くのは頭にグルグルと巻かれた布である。

 

「長のオッチャン、その頭に巻いた布は何なんだい?」

「成虎! 失礼だぞ!」

 

 再び将角がたしなめたが、やはり長はニコニコ笑っている。

 

「これは我が彩族の伝統衣装だ。一番偉い者が一番立派な布巻くことが出来るのだ。どうかな、ワシの布は立派だろう?」

「そんなの分かんねえよ。他のヤツのを見たことがねえ!」

「ははっ! 確かに、見たことが無ければ比べようがないな!」

 

 長はどうやら成虎の豪放磊落な性分が気に入ったらしい。将角は苦笑を浮かべると自らも座って杯を手に取った。長も杯を掲げて高らかに声を上げる。

 

「————友人との再会と、新たな友人との出会いに乾杯‼︎」

 

 出自も歳も全く違う三人の男は、なみなみ注がれた杯を打ち付け豪快に飲み干した。

 

 ————その夜、長の天幕の灯火ともしびは遂に途絶えることはなかった。

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