向かい合う刃先

 薄紫の静けさをエンジンの駆動音がガタガタと揺らす。点々と照らす灯りを過ぎる冷ややかな風が夜明けが近いことを告げていた。遠く、霞んで見える赤い荒野が地平線の果てまで広がっている。


「アハ……! 慣れてくると気持ちいいね。すっごく速い」


「黙っていないと舌を噛むぞ」


「ここを進み続けたら……街の外? エストは荒野を渡ったことある?」


 シルヴィは話をやめようとはしなかった。バイクへの緊張が緩もうとも、道路が照らされていようとも、先は何も見えない。黙っていると不安が喉元にまで這い上がる。


「……何度かある。ノウハウが分かれば苦労することは少ない」


「荒野の向こうはどうなってるの? 他の都市があるのは知ってるけど、どんな街なの?」


「どこも変わることはない。都市は都市だ。人がいる。企業が都市を管理している。だが、エスコエンドルフィア製薬が支配している街はここだけだ。逃げ切れば、キミがしがらみに捉われることもない。後は好きにすればいい」


「好きに? ……好きにねぇ?」


 シルヴィの弱々しい呟きが風と駆動音に掻き消える。言葉が途絶えるとバイクの通り過ぎた残響が耳に残った。


「師匠は仕事が無事終わったとして――そのあとどうするつもり? その……ルドヴィコのこと」


「…………ケリは付ける」


 レーヴェの問いに、長い沈黙を置きながらも確かに言い切った。


 何の慰めにもならないことは分かっていたが、シルヴィは抱き締める力を込め直す。身体を密着させ、顔を埋めるように背に預けた。


「……どう? レーヴェさんみたいな良さは無いかもしれないけどぉ……、貧乳だから、心臓の音……よく聞こえるでしょ?」


「何を突然意味の分からないことを言っている」


 ふんと、自嘲混じりにシルヴィは鼻で笑った。顔をあげると轟々と激しい風音とともに景色が流れ去っていく。


「そうやって一蹴できるなら本当に問題なさそうね」


 なんてことのないように誤魔化した。声が上擦り歯が浮くような感覚。


 赤らんだ頬が夜風に冷まされる。釈然としなくてなんとか蠱惑的な笑みを取り繕いながら言いたいことを好き勝手に言ってやった。囁きでは掻き消えてしまうから、ハッキリと。


「……エストぉ、自覚ある? 本当にダメザコなときはこーんなちっちゃい女の子に甘えてたんだよ?」


「そうか。迷惑をかけたようですまなかった。キミには知らず知らずに何度も助けられていただろう。……感謝している」


「やめてよ。ゴール目前にそういうこと言うの。それと……! 別にイヤイヤしてるわけじゃないんだけどぉ? それとも、嫌♡ って言って欲しかった? …………別に、余裕があっても甘えたっていいの」


 沈黙を置いて出た言葉はぼそぼそと。バイクの騒々しいエンジン音を前に掻き消える。聞こえなくてもいい言葉だった。


「……気乗りはしないな。格好がつかないだろう」


「き、聞こえてたの――?」


 エストはそれ以上何も答えなかった。シルヴィはすぐに言い訳の言葉を考えようとしたが――突き刺すような敵意。研ぎ澄まされた殺意がそれを許さなかった。


 瞬間、【緋の糸】が熱を帯びて蛍光し始める。


 エストはハンドルを限界まで横に切った。地面に膝が触れる寸前にまで車体が大きく傾き、側面部のマフラーが火花を立てて激しく摩擦する。


 強引な急旋回、急ブレーキ。遠心力が上体を揺さぶるなか、エストは咄嗟に刀を抜いた。【緋色の剣】が光輝し、夜闇を照らす。


「師匠ぉ……、どこに行くつもりなんだいッ!?」


 怒りに震えた中性的な声。純白の軌跡が道路を容易く斬り裂きながら肉薄した。


 ――けたたましい金属音の残響が嘶く。


 鋭利な刃がぶつかり合い、緋色の炎と白い光の粒子が飛び散った。爛々と翡翠の眼を見開きルドヴィコはエストに歯を向けて笑う。


「師匠ッ!!」


「…………」


 エストは白い斬撃をいなし受け止めると軸足をそのままにルドヴィコの腹部を蹴り込んだ。足刀蹴りと共に炸裂する微量の火薬。金属底のブーツから仕込み刃が飛び出す。


 ルドヴィコは機械義手で仕込み刃を弾くと瞬いた衝撃と共に距離を取る。


 シルヴィとレーヴェは僅かに遅れながらバイクを飛び降り、臨戦態勢を取った。


 ルドヴィコは二人の少女を一瞥しながら、ゆらりと脱力したまま白銀の切っ先を向ける。エストもまた、沈黙したまま刃先を向け対峙した。


「感傷や思い出は苦しみを生むだけじゃあないか……。だから僕らは殺し合ったんじゃないのかい!? なのにどうして、そんな偶然関わった小娘なんかにここまでするんだい?」


「……小娘ではない。メスガキだ」


 低く威圧的な声で、その言葉の本来持つ意味も理解しないままエストはそう断言した。


 ルドヴィコは虚を突かれたように目を白黒させ、呆れまじりのため息をつきながらシルヴィを睥睨した。


「はぁ? キミは師匠に何を教えたんだい?」


「私は何も教えてなんか無いけどぉ? だってメスガキってぇ、理解(わ)からせられる側でしょ……ッ?」


 視線から滲み出る殺意。視姦なんて言葉では言い表せないプレッシャー。


 見据えられるだけで皮膚がズタズタに切り裂かれるような錯覚が息を詰まらせ、余裕のあるフリさえも許さない。声がか細くプルプルと震える。


 ぎゅっと小さな手で握り拳を作った。虹彩に煌めく髪を揺らし、【緋の糸】を巡らせる。


「メスガキが……!」


 怒りを露わにして表情を歪める。しかしすぐにルドヴィコは飄々とした笑みを取り戻して、だんだんと恍惚として剣を握る手に力を込めた。


 薄藍の空へ一発の銃声を轟かせると、どこからか無数の便利屋が姿を現し、三人を包囲していく。


「嗚呼、仕事を終わらせよう。師匠を殺してメスガキ達は勝手に街を支配すればいい。レーヴェ、君だけは今度は見逃すよ。……解体屋に渡した時さぁ、後悔したんだ。だから、僕“は”許すよ」


「ハッ……最低」


 レーヴェは淡々と地面にツバを吐き捨て剣を構えた。緊張が限界にまで張り詰めていく。誰も動けなかった。ただ呑み込まれるように二本の刃先にあらゆる感覚が向かう。


「…………」


 エストは長く沈黙していた。ガスマスクから漏れる僅かな吐息の音。深々と息を吸っていた。冷静さを保つように。【緋色の剣】の燃えるような熱を鎮めるように。


 【緋色の剣】は共鳴するように赤熱を増していった。眼前の白い刀身を寸断し、命を燃やすことだけを求めていた。


「嗚呼、師匠……。唱えてください。缶人を使ったということは僕への罪悪感や悲しみや喪失感や気持ち悪さを全部無くしてしまったんだろう? けど、代わりに躊躇を捨てた。僕の知る最も強い【緋刃】に戻ったんだろう!?」


 刀が激しく震えていた。自身の手だったかもしれない。荒れ狂いそうな自己嫌悪のなかで、二度と同じ後悔をしないためだけに。ジッと、ガスマスクの奥、初めて意識的にルドヴィコ・アーヴェに目を合わせた。


「…………すまなかった。アーヴェ、……お前と向き合うことができなかった。俺がお前をそのまま創り上げたというのに、俺は――……そのままでいることができなかった」


 ルドヴィコは表情を歪めたまま瞬きさえ止めた。眦に溜まる熱、涙。怒りと歓喜が混ざり合い、歯を軋ませる。


「もう同じ後悔はしない。もう目を逸らすつもりはない。……嗚呼、手遅れなことも多くあった。だが、……いや、だからこそ。お前に殺されるつもりはない。――――灯せ。【緋色の剣】」


 空気が歪んだ。途方もない熱が膨れ上がり激情を、命を燃料に刀身は緋(あか)く、鋭く燃え上がる。


「――――――ッ!!!!」


 轟々と燃え盛る業火を前に、ルドヴィコは言葉にならない叫び声をあげた。剣戟が交差する。

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終末のメスガキ アンドロイドN号 @rioro

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